Chapter19 : 厳冬


「ひどい……」


 レックスの隣に座っていたカンナが、思わずといった様子でつぶやいた。膝の上、ぎゅっと握りしめられた拳が義憤に震えている。


「全くだ。ウチの看板掲げてなんてことしやがる……!」


 ぎざぎざの犬歯を剥き出しにして、吐き捨てるように言うジョー。微妙にピントのズレた怒りに、「いやそうじゃなくて……まあそれもそうなんだけど……」と表情を曇らせるカンナ。


「……ひとつ確かなことがある」


 ヘイミッシュがクランマスターらしい厳粛さで口を開いた。


「それは、お前の村を裏切った連中が伊達や酔狂でウチの名を騙っていたワケではない、ってことだ……なぁ、?」

「えっ?」


 ヘイミッシュの呼びかけに、うつむいていたレックスはギョッとして顔を上げた。


 パズルパンサー(本物)のメンバーのひとり、ヘイミッシュの斜め後ろで話を聞いていた半裸スキンヘッド男が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……エイヴリアンだ。皆からは『エイヴリー』と呼ばれている」


 ぱしっ、と禿頭を撫でつけながら、憐憫の眼差しを向けてくるエイヴリアン。


「俺はけっこうな古株でな。隊商護衛なり、討伐なりで街の外に遠征するときは、隊長リーダーを務めることが多い。いわゆる切り込み隊長ってやつだ、ハハ」


 気だるげに笑ってみせたエイヴリアンは、ベルトから大振りなナイフを抜き取り、そのまま自らの顎を刃でそっと撫でた。


「ちなみに……最近は暑いから剃ったが、ついこの間までヒゲも生やしていた」

「…………」


 顔つきはあの『エイヴリー』と似ても似つかないが、【パズルパンサー】所属の、『スキンヘッド』に『あごひげ』を生やした『リーダー格の男』――という構成要素が、恐ろしく一致していた。


「さらに言えば、今ウチが所有している装甲車は全部で2両だが――」


 腕組みしたまま、険しい顔でガレージの装甲車を睨むヘイミッシュ。


「――実は去年まで、もう1両持っていた。戦争するでもなし、維持費が馬鹿にならないから年末に売っぱらったばかりだが」


 つまり去年までは、計3両の装甲車があった。


 ここでも、情報がぴたりと符合している。


「…………不気味だな」


 トカゲ顔のミュータント男が、舌をチロチロさせてつぶやいた。


 そう――不気味。足元から忍び寄る毒蛇の存在に、たった今気づいたかのような気味の悪さだ。


 何者かの、ねっとりとした悪意を、その場の全員が感じていた。


 ウォルデンビー村を裏切ったレイダーたちは、念入りに下調べを重ねた上でパズルパンサーになりすましていたらしい。


 やっていることは小狡い詐欺まがいの悪行のくせに、妙に周到な用意を感じさせる点がちぐはぐだった。


(いったいどこの連中だ? なぜわざわざウチを……?)


 クランマスターとして、ヘイミッシュはそれを考察せずにはいられない。


 ここ、グラント市には無数のクランがひしめいている。パズルパンサーもしがらみとは無縁ではなく、様々な利害関係を抱えている。


(しかし、こんな工作のために装甲車を3両も用意できるクランは、それほど多くはないぞ……)


 ヘイミッシュの頭に、敵対的なクランや組織が浮かんでは消えていく。


 対立しているクランはいくつか心当たりがあるが、それにしても『クランメンバーになりすまして悪行を働く』というやり口は、ハッキリ言って宣戦布告に近い。


 どうせ戦争を仕掛けるならば、直接殺しに来た方が早いと思うのだが。あるいは、そうするための下準備か。いささか迂遠な気がしてならないが……警戒はしておいた方がいいだろう。


(もしくは、『ウォルデンビー村が強く恨まれていて、ウチはそのダシに使われたに過ぎない』という線か……)


 しかしウォルデンビー村は、良くも悪くも田舎の小村という印象だ。装甲車を動員し、他所と戦争するリスクを背負ってまで滅ぼしたい存在とも思えない。


(そしてウチに濡れ衣を着せるのが目的にしては、やり方が雑すぎる)


 悪評を立てるのが目的ならば、最低でも数名は被害者が生きている必要がある。


 関係者が全滅したら、悪行が誰にも知れ渡ることがなく元も子もなくなってしまうからだ。今回の場合、かろうじてレックスが生き残っているが、あの『エイヴリー』たちがそれまで想定していたとも思えなかった。


 仮に、ウォルデンビー村の住民がわずかでも生き残ることを期待していたなら、物資は持ち去らずに置いていったはず。……もしくは土壇場で末端の人員が欲をかいて私物化した? モラルが低いクランなら普通にありそうな話ではある。しかしそんなモラルが低い連中を、秘匿性が高い工作に使うか……?


(考えれば考えるほど、敵の正体も目的もわからなくなるな……)


 正直なところ、不明な点が多すぎて頭が痛い。


 ただ、この時点でヘイミッシュはひとつ確信していることがあった。



 それは、グールの襲撃が、おそらく人為的に操作されていたということだ。



 装甲車が交代する時間に、門が開いているタイミングで、たまたまグールの大群が襲いかかってきた? ――偶然にしてはできすぎている。


(おおかた、ドローンでグールの群れを誘導してきたんだろう)


 レックスの話を聞く限り、連中のドローンには爆撃能力があったらしい。空から石ころでも落としてやれば、凶暴化したグールの群れなら簡単に釣れたはず。


 連日ドローンを偵察に放っていたのは、あるいはグールたちにちょっかいをかけて群れの移動速度を測っていたのかもしれない。装甲車のローテーションにあわせて、グールが村に到達するよう時間を調整していたのだとすれば――



『エイヴリー』たちが手際よく撤収できた理由も説明がつく。



(ただ……これは指摘しない方がよさそうだな)


 ヘイミッシュは、意気消沈しているレックスに視線を戻した。


(もう十分すぎるほど、怒りと憎しみに囚われている)


 意図的にグールが村へ誘導された可能性を伝えたとして、この若者にひとつとしていい影響があるだろうか?


 ……さらなる怒りを爆発させるだけだろう。『エイヴリー』を探して今すぐにでも銃を引っ掴み飛び出してしまうかもしれない。


 それを知る権利と、知って怒り狂う権利が彼にはある、という考え方もあるかもしれないが……せっかくカンナが連れてきた将来有望な若者だ。さらなる怨嗟と絶望の淵に突き落とすのは、忍びなかった。



 ――いつかは知る必要があるかもしれない。だがそれは、『エイヴリー』たちの正体が掴めてきてからでも、決して遅くはないはずだ……



「それにしても……絶望的な状況だったろうに」


 思考を巡らせるヘイミッシュをよそに、エイヴリアンがナイフを弄びながら、レックスに尊敬の目を向けた。


「よく生き延びられたものだ。それだけでも大したものだと思う」

「…………。村のみんなが、俺を生かしてくれたんです」


 無意識に、首から下げたシルバーネックレスをぎゅっと掴むレックス。


「みんな……死に物狂いで戦いました。物資を可能な限り切り詰めて、グールの死体さえ食って、どうにか秋の間は持ちこたえたんです」


 グールを直接見たことがある者は、思わずウッと顔をしかめた。ただでさえ人型生物で抵抗があるのに、『アレ』で食いつなぐなんて想像もしたくない……


「でも……それから、寒い冬が来て……雪が降り始めて……」


 口をつぐみ、苦悩するレックスは手で顔を覆う。


「食べ物もほとんどなくなって……俺は……、俺は……!!」



 ギリ、と人外の顎を噛み締めたレックスは、絞り出すようにして言った。




「冬眠……しちゃったんです……!」




 しばし、一同はレックスの言葉を咀嚼する。


((……冬眠?))


 そして全員が同じところで引っかかった。


「その、……レックスって冬眠するの? っていうか、できるの?」


 困惑しつつも、カンナが皆を代表して尋ねる。


「うん。寒いと体が動かなくなって、春になるまで寝ちゃうんだ」


 レックスは当然のように頷いた。


「温かくしてれば無理やり起きてられるけど……燃料の無駄だし、俺、大食らいだし」


 食糧や物資が限られる冬は、眠った方が何かと都合がいい。


 ……普通ならば。


「本当は……ずっと起きとくべきだったんだ。多少ムチャしてもいいから、気合で何とかするべきだったんだ……村が滅ぶくらいなら……いっそ俺も……」


 はは……と力なく笑うレックス。


「……でも結局、寝ちゃったんだ……」


 外骨格に包まれた逞しい肉体が、まるでしなびたように小さく見えた。


「最初は、がむしゃらに戦ってた。とにかく体を動かせば、自分の熱で起きていられるって思って……でも……」



 ――限度はあった。



 いかに並外れて屈強な肉体と、強靭な意志があっても、レックスもまた、ひとりの人間であることに変わりはなかったのだ。




          †††




「――ごアアアアアァァァッッッ!」


 村の防壁の上、血まみれのレックスは顎を全開にして吠えた。


 全て返り血だ。外骨格がてらてらと赤黒く染まっている。右手の分厚い肉切り包丁を振り上げたレックスは、よじ登ってきたグールの頭に思い切り叩きつけた。


 パギャッ! と小気味の良い音を立ててかち割れる頭蓋骨、力なく落下していくグール――しかし間髪入れず新たな個体が登ってくる。


「うオオオオオオッッ!!」


 今度は左手の草刈り鎌を振り抜いた。激しく吹きつける雪ごと、防壁から身を乗り出してくるグールを薙ぎ払う。


 3体目のグールを切り捨てた時点で鎌の刃がへし折れた。しかし気にする余裕もなく、手探りで足元の金槌を拾い上げて戦い続ける。レックスの周囲には村中からかき集めた刃物や鈍器が無造作に置かれていた。こんなありあわせの武器でグールを確実に仕留められるのは、怪力のレックスをおいて他にいない。


 つまりこれらはレックスが使った方が効率がいい。ショットガンは他の村人に貸した。そっちの方が火力を有効活用できる……


 少なくとも、まだ弾があるうちは!


「ハァッ、ハァッ……がアアアアアア――ッッ!」


 肩で息をしながらも、ヤケクソじみて威嚇の咆哮を上げるレックス。続いてひょっこり顔を出したグールの頭を叩き潰す。次から次へと……きりがない! もう何体殺したか、何時間戦い続けているかもわからない。時間感覚なんてとっくの昔に麻痺していた。


「押し返せッ!」

「入らせるなーッ!」

「踏ん張れええッッ!」


 レックスの周りでも、銃や即席の槍を手にした村の男衆が戦っている。皆、それぞれの持ち場にグールを近づけまいと必死だ。突破されそうなところがあればレックスが駆けつけて食い止める。さらに避難所と化した物見櫓からは、女子供が石や廃材を投げつけて、涙ぐましく援護していた。


「クソっ腹減ったぜ!」

「肉なら腐るほどあるだろォ!」

「ありがたくて涙が出てくんなあ!」


 皆、食事を切り詰めている上、疲労も限界でフラフラだったが、軽口を叩いて気を紛らわせている。自分たちが屠ってきたグールの死体の山を見れば、食欲も失せようというものだ。


 しかし壁の向こうからは「グルルル……」「ゲッゲッゲッ」と無数のグールの鳴き声。本当にきりがない。気が遠くなりそうだ……


「うっ……うわっ」


 と、そのとき、防壁で戦っていた男がひとり、疲労で思わずフラついた拍子にグールに足を掴まれてしまう。


「……うわあああぁッッチクショウッッ!!」


 引きずり込まれる。


 壁の向こう側へ。


 わっと群がるグール。男の脚に、薄汚れた肌色の化け物どもが次々に食らいつく。


「あがっ――ぎあっあああ――!」

「っあんた――ッッ!」

「アーノルドォ!」


 物見櫓で妻が悲鳴を上げ、近くの別の村人が咄嗟にアーノルドの手を掴んで体全体が持っていかれるのを阻止する。


 その間にも、がりがり、ぶちぶちっと骨がかじられ、肉が噛み千切られる音。アーノルドも苦痛に悶えながら片手の槍で追い払おうとしているが、捕食に夢中なグールたちは意に介さない。


 他の村人も救いの手を差し伸べたいが、持ち場を離れる余裕がなく――


「放ッせェェェェェ――ッ!」


 そこへレックスが駆けつけた。


 壁から身を乗り出して、アーノルドの下半身に群がるグールたちを叩きのめす。だが埒が明かないと即座に見切りをつけ、躊躇なく防壁から身を躍らせた。


 壁の外へと降り立つ。


 グールどもを下から突き崩すのだ。互いに折り重なり、壁上へ至らんとする肉の『塔』を、金槌で叩き潰し、肉切り包丁で切り刻んでいく――


「うおおおおおおオオオオ――ッッ!」


 暴風。まさにその一言がふさわしい。吹雪の中、血色の蒸気を吹き上げるレックスは一陣の風と化す。四方八方から、「新しい獲物が来た」とばかりに嬉々として襲いかかってくるグールたち。


 しかしレックスの外骨格は爪も牙も通さない。


「ぉォォォォ――――ッッ!」


 逆に、力任せに、グールの群れを轢殺していく。切る、叩く、切る、叩く――酷使に耐えかねた肉切り包丁が砕けた。空いた手で1体を殴り殺す。続いて金槌が柄から折れた。掴みかかってきたグールの首を握り潰す。


 限界を超えた動きに、レックスの体も悲鳴を上げていた。


「ぐううるるるるォォォォ!!」


 終いには、挑みかかってくたグールに自ら噛みつく。人外の昆虫にも似た顎が、グールの柔肌をいとも容易く噛み切った。捕食者から一転して獲物へと転がり落ちたグールが、「グギャッ!?」と困惑の叫びを上げながら絶命していく。


「食い殺してやるぞッ! うおおおおォオオッッ!」


 グールの死体をメキッバリバリバリッと素手で引き裂いて、口から血の混じった唾を飛ばし、威嚇するレックス。


 流石のグールも、これにはたじろいだようだった。


 ――割に合わない。


 そう言わんばかりに、潮が引くようにレックスから距離を取るグールたち。やがて、どの個体からともなく森の方へと後退していく。


「……やった!」

「押し返したぞ……!」

「治療を! 早く手当てを……!」


 防壁の上、村人たちが歓声を上げた。――勝鬨かちどきと呼ぶには、あまりにも勢いがなく、頼りないものだったが。


「ハァッ……ハァッ……」


 レックスは肩を怒らせたまま、気を抜かずに逃げていくグールを睨み続けていた。撃退したと思って、ぬか喜びさせられたのは一度や二度ではない。あまりに大きな被害が出ると奴らは一時的に撤退するが、数日から早ければ数時間以内には、空腹に駆られて再び襲撃してくるのだ。


 諦めてよそに行ってくれれば楽なのだが――雪に足止めを食らっているのは奴らも一緒なのだろう。そして付近で食べられるものはあらかた食い尽くしたに違いない。


 だから、あとはこの村しか残っていない。


 目を凝らせば、木陰からジッとこちらの様子をうかがうグールの姿。隙を見せればまた群れをなして襲いかかってくる――レックスは改めて気合を入れ、根性で胸を張ってその場に立ち続けた。


 ……なお、グールたちはそこら中に散らばる仲間の死体を引きずりながら森へ引き返していくが、あれは弔うためではない。


『無駄にしないため』だ。


 自分たちで消費するほか、ネストに放り込んで、新たに産まれ落ちてくるグールの養分にするのだろう……嫌と言うほど間近で連中を目にし続けた結果、レックスたちは否が応でもグールの生態に詳しくなっていた。


「レックス! 大丈夫か!?」


 と、防壁の上から幼馴染のサミュエルがこちらを覗き込んできた。彼もまた疲労が色濃く、頬がげっそりとこけている。


「なん……と、か……」


 レックスはかすれた声で答えた。全力で暴れた反動で、脱力感がひどかった。膝は笑っているし、気を抜けば今すぐにでも倒れ込んでしまいそうだ。


 そして何より、先ほどまでの熱気が嘘だったかのように――寒くてたまらない。


「戻れそうか?」

「……う゛ぅ」


 サミュエルの問いかけに、答えようとしたが、うまく声が出なかった。ゆるゆると首を振る。正直、立っているのもやっとで、自力で防壁をよじ登るなんてできっこない。


「待ってろ、すぐに縄梯子持ってくるからな!」


 その後、サミュエルが縄梯子を持ってきて、どうにかしがみついたレックスを防壁上の男たちが引っ張り上げた。


「レックス! 怪我はないか?」

「大活躍だったな! よくぞ無事で!」

「うおっ冷たっ……早く温めてやらねえと!」


 返り血で汚れるのも構わず、村人たちはレックスを揉みくちゃにして無事を喜び、サミュエルが肩を貸してくれる。


「……アー……ノルド、さん……は……?」


 しかし息も絶え絶えにレックスが問うと、皆が押し黙った。



 ――辺りは静寂に包まれ、押し殺すようなすすり泣きだけが残される。



 防壁の足場に寝かされたアーノルドに、物見櫓から降りてきた妻が縋り付いていた。


「よ……レックス……」


 血の気が引いた真っ白な顔のアーノルドが、レックスを見て微笑んだ。


 無事――なように見えた。


 下半身が、ほとんど消え失せている点に目を瞑れば。


 脚はほとんど骨だけで、腹から下も中身が……。グールの群れに食らいつかれて、タダじゃ済まないことはわかっていた。わかっていたつもりだった。


 それでも、言葉にならない。治療なんて、できるわけが――


「いいんだ……丸ごと食われちまうより、よほど……マシだ……ありがとうよ……」


 妻に手を握られながら、アーノルドは細く息を吐いて、雪が降りしきる灰色の空を仰向けに見上げる。


「不思議と……あんまり痛くねえんだ……ただ、ちょっと寒くて……」

「……わかる、よ」


 ふらふらと歩み寄ったレックスは、アーノルドの隣にぽすっと座り込んだ。


「俺も、さっきから、寒くってさ。暖炉で一緒に、温まろうか?」

「はは……遠慮しとこう……ガキどもをびっくり……させちまうから……ハローウィーンの……仮装には、ちと遅すぎる……」


 今年はハローウィーンやる暇もなかったなぁ、とアーノルドは遠い目でボヤいた。


「そうだ、お前ら……」


 周囲に集まってきた村の皆を見回して、アーノルドは問う。


「なんか……伝言あるか」

「……伝言?」

「先に逝った、連中に。……一足先に、伝えてくらぁ」


 皆、言葉を詰まらせる。


「……ニックに伝えといてくれ! 秘蔵の酒は、全部片付いたらオレがちゃんと呑んどいてやるってな!」


 肉屋の親父が、精一杯、明るい口調で言った。


「……エドのおやっさんに! あんとき生意気言ってすいませんでしたって!」

「ロコの野郎に言っといてくれ、……皆の面倒は俺が見るから、心配すんなって」

「父ちゃんに! 来年か再来年には、孫の顔を拝ませてやるって言っといてくれよ!」


 それを口火に、皆がやいのやいのと騒がしく言伝を頼み始める。言い出しっぺのアーノルドも、「覚えられっかな……」と思わず苦笑していた。うん、うんと頷きながら、微笑んで言伝を聞いている。


「わかった……ま、伝えとくわ……向こうでも、覚えてたらな……」


 妻の腕に縋り付くように頬をすり寄せながら、眠たげにアーノルドは言った。


「レックスも……手、握っといてくれよ……寒くてよ……」

「……うん」


 壊れ物を扱うかのように、片手を握りしめる。


「お前ん手……でっけえな……」


 ふふ……と笑みをこぼして。



 それが最期だった。



 ――精根尽き果てたレックスも、その場で眠り込んでしまいそうだったが、再びサミュエルの肩を借りて、物見櫓へと歩いていく。


 建材にセメントを多用している物見櫓は、村の中で最も堅牢な建築物のひとつだ。その物々しさたるや、櫓というよりは塔が近いかもしれない。


 3階建てで、中はそこそこの広さ。壁上の防衛ラインは物見櫓の2階に相当する。レックスたちが扉を開けて入ると、年寄りや幼少の子供たちが赤結晶の暖炉に当たりながら、不安そうな顔をしていた。


「レックス! だいじょうぶ?」

「げんきない? けがしたの?」


 わっと駆け寄ってくる子どもたち。


 暖炉の温かな空気に、生き返ったような気持ちになる。


「レックスはものすごく疲れてるんだ! みんな、お湯ときれいな布を持ってきてくれ。レックスの体を拭いてやらねえと……あとエリーズ婆さん、スープを頼む!」


 サミュエルの声がやけに遠くに聞こえた。促されるがままに、暖炉の前に用意された椅子にすとんと腰を落とす。


(疲れた……)


 レックスにまぶたはない。複眼で、タオルや洗面器を用意するために奔走する子どもたちや、暖炉にかけた鍋からスープをよそってくれる老婆の姿が見えていたのに、光景として理解できない。


(眠い……)


 ここ1ヶ月近く、ろくに眠っていなかった。本格的に寝てしまったら、もう春まで目覚められないような気がしていたからだ。せめてもう少し暖かかければ。去年の冬なんて、こんなに雪は降ってなかったのに――


「……レックス! レックス!」


 サミュエルに肩を揺すられ、ハッと顔を上げる。いつの間にか、うつらうつらしていたらしい。


「ほら、スープだ」

「ああ……ありがとう」


 なみなみとスープが注がれた金属製のピッチャーを受け取る。わずかばかりの干し肉の切れ端と、細かく刻まれた根菜が浮いているだけの、スープとは名ばかりのお湯みたいなもの。しかし今はグールの肉が入っていないだけ、料理としてはかなり上等な部類と言えた。


「あったまるなぁ……」


 ピッチャーを腹のあたりに抱えたまま、熱を吸収しようと試みるレックス。実のところレックスの口は、こういった汁物を食べるのに向いていない。唇がないのでうまく啜れないし、どうしても口の端からこぼれてしまう。


 だからこういったスープ系は、ピッチャーのように注ぎ口がある容器から、直接口の中に流し込むしかない。


 が、アツアツだと火傷してしまうため、ほどよい温度になるまで待っているというわけだ。その間、熱量を少しでも無駄にしないために、こうして体を温めている――


「……大丈夫か? レックス」


 椅子の上、まるで老人のように体を丸めるレックスに、サミュエルが心配そうに尋ねてきた。


「――――」


 大丈夫さ、と強がろうとして、即座に答えられなかった。疲労と眠気が深刻な段階まで来ていると感じていたからだ。しかし――


「…………」


 子どもたちが、不安そうな顔でこちらを見ている。


「――ま、ちょっとキツいけど、まだまだイケるかな。うん、このスープも……美味しいねえ! いやあ、体が芯からあったまるなぁ、まだまだ戦えるぞ!」


 ごくごくと火傷しそうなほど熱いスープを口に流し込み、フンッと力持ちのポーズを取ってみせるレックス。


 レックスは、『頼りになるミュータントのお兄ちゃん』なのだ。


 可能な限りその役割を全うしたい。


「さっすが、頼りになるぜ!」


 少し遅れて、子どもたちのことに思い至ったのだろう、サミュエルもわざとはしゃいで答える。子どもたちの表情が少し緩んだのを見て、ふたりとも密かに胸を撫で下ろした。


「……おや、薪がなくなりそうだねえ。みんな、下の倉庫から取ってきてくれるかい」


 頃合いを見計らって、暖炉を火かき棒でつつきながら、老婆が子どもたちに頼んだ。


 暖炉は『燃え続ける石』こと赤結晶を主な燃料としているが、それだけでは火力が足りず、薪も補助的に使っている。


 いや、正確に言えば――薪が足りないので、赤結晶を用いて節約している。「はぁい」と気のない返事をして、子どもたちが下の階へ降りていった。




「ありがとう、エリーズ婆さん。……で、実際のとこどうなんだ、レックス」


 子どもたちが十分に離れてから、サミュエルが声を潜めて、改めて聞いてきた。


「ちょっとキツい。体力は……まだ何とかなりそうだけど、とにかく眠気がヤバい。気を抜いたら寝ちゃいそう」


 レックスも正直に答える。


「そりゃそうだ。お前、いつもだったらとっくに冬眠してるもんな……」


 知ってた、と言わんばかりの、気の毒そうな顔をするサミュエル。


「それに、冬眠したらヤバいからって、ここんとこ立ったまま寝てるんだろ? それじゃ休まらないだろ、流石に無理しすぎなんじゃないか?」

「……俺も少し心配なんだ」


 レックスは躊躇いがちに頷く。


「調子が悪すぎて、自分の調子がよくわからなくなってきた。まだ、なんとか無理できそうな気はしてるし、いざというときは無理するつもりだけど、俺が思ってるほど体が動いてくれないかもしれない。土壇場でいきなり戦えなくなったら、それが一番ヤバい」


 レックスは気合や根性を重視するが、それ以上に現実的な一面もあった。レックスの最重要目標は『村を守ること』であり、そのために必要なのは、『自分が戦力として1日でも長持ちすること』。


 自らの肉体を最大限に活用するためには、適切な休息を取らなければならないことは、重々承知していた。


「一度、しっかり寝た方がいいんじゃねえか?」

「でも……今まで、冬眠の途中で目が覚めたことがないからさ……というか冬の間にわざわざ起きようとしたことがないし……万が一、冬眠しちゃったら目が覚めないんじゃって思うと、どうにも」

「う~ん……困ったな……」

「昔、『クマ』って動物がいたらしいんだけどねえ」


 頭を悩ませるふたりに、老婆のエリーズがゆったりした語調で口を挟んだ。


「食い溜めが足りなかったり、冬が暖かかったりしたら、冬眠の途中で目を覚まして、人里に降りてきたりすることもあったそうだよ。レックスは、冬眠している最中に、思い切り温めてもらったことはないだろう?」

「うん、一度もない」

「春になれば目が覚めるのは、暖かくなるから。万が一、冬眠してしまっても、ちゃんと火のそばで温めてあげれば、起きられるんじゃないかと、わたしは思うけどねえ」


 火かき棒で暖炉の灰をかき混ぜるエリーズ。シワだらけの顔に、火と赤結晶の明かりが深い陰影を投げかけていた。


「そもそも、ちゃんと火のそばで寝ていたら、冬眠しなくても済むんじゃないのかい? レックスが根を詰めているのを見ていたら、わたしも居た堪れなくてねえ……」

「そうだぜ、レックス。今のうちにしっかり休んどけよ。お前のお陰でグールも一旦退いたんだからさ、今休まなきゃいつ休むってんだよ」

「うーん……そうだなぁ……」


 即決即断のレックスにしては珍しく、このときは迷った。


 理性では、今休むのが正しいと判断できていた。思い切り温めれば万が一冬眠してしまっても起きられるはず、というエリーズ婆の言葉も説得力があった。



 ただ……何かが気になっていたのだ。



「温めてくれるのはありがたいんだけど、薪は大丈夫? 足りないんじゃない?」


 暖炉に目をやるレックス。


「そうさねえ……森に枝拾いに行けないし……この赤結晶もし」


 つんつん、と火かき棒で暖炉の赤結晶をつつくエリーズ。『燃え続ける石』とは言われているが、永遠に燃えるわけではなく、徐々に小さくなっていき、やがて消滅してしまう消耗品でもあるのだ。


「大粒の赤結晶は、根こそぎ持っていかれてしまったしねえ……」

「クソっ……アイツらマジで許さねえ……!」


 額に青筋を浮かべたサミュエルが敵意を剥き出しにして唸る。去り際に物資を持ち去っていったパズルパンサーども。せめてあの物資強奪さえなければ、あらゆる面でもう少し余裕を持って対処できたというのに……!


「赤結晶が全部あれば、サウナでもなんでもできたのによぉ、クソっ」

「……他の物見櫓にも、最低限の物資や薪はある。最悪の場合、家を崩して建材を火にくべてしまう手もあるからねえ」


 一瞬、寂しげな色を浮かべるエリーズだったが、すぐにニヤッと笑ってみせた。


「ま、家なんて何回でも建て直せる。生きてさえいればね。どうしてもレックスが目を覚まさなかったら、そのときはウチの納屋に火をつけて、その中に放り込んでやるさね」

「そ、そんなぁ……」

「あっはは、レックスの蒸し焼きだな!」



 ――そうしているうちに、子どもたちが薪を持って戻ってきたので、真面目な話は一旦切り上げて。



 村の男衆とも相談したレックスは、本格的に休息を取ることになった。



 これまでレックスの獅子奮迅の戦いぶりを間近で見ていた村人たちは、むしろ休むことに大賛成だった。


 レックスへの感謝もあるが、無理のしすぎで倒れられたら困る、という打算的な側面もあり、要は『レックスが元気なら最終的に自分たちも得をするんだから、気兼ねせずにゆっくり休め』というのが、村人たちの総意だった。


 もちろん、敢えて露悪的なことを言って、レックスに気を遣わせまいとする思いやりでもあった。いずれにせよ、ある程度の割り切りができなければ辺境では生きていけない。いざ薪が足りなくなったら、どの家を取り壊して燃料にするかも、さっさと決めてしまったほどだ。


 幸か不幸か、グールとの戦いで家主が死亡し、空き家になってしまった物件がある。


 最悪の場合はそれが使われることになった。




「いやあ、いいのかな。俺だけこんなによくしてもらって」


 物見櫓の暖炉のそばにベッドを備え付けてもらい、毛布にくるまって、エリーズ婆が編んでくれたナイトキャップまでかぶったレックスは、皆に見守られて恥ずかしそうにしていた。


 燃料も限られており、多くの村人が自宅で寒さに震えている現状、暖炉のそばに陣取れるのはこの上ない特権と言えた。


「いいさいいさ! いざとなったら金槌でぶん殴ってでも叩き起こすから、せいぜいゆっくり休んでくれよ」


 ベッド脇に座ったサミュエルが、屈託なく笑いながらぺしぺしとレックスの頭を叩く。


「はは……それじゃあ今のうちに、ゆっくり休まないとなぁ……」


 すでに限界ギリギリだったレックスは、半ば朦朧としながら笑った。


 誰かが村長の家から来客用のマットレスを引っ剥がしてきてくれたらしく、自宅のベッドとは比べ物にならないくらい快適だった。


 もっとも、今のレックスなら干し草を敷いただけの寝床でも天国のように感じたかもしれないが……


「レックス兄ちゃん、ねちゃうの?」

「おねむさんなんだ!」

「いいなーこのベッド! あたしも一緒に寝る!」


 ちびっこたちが群がってくる。普段のレックスなら、ちょっと申し訳なくなったり気まずくなったりするところだが、あまりにも眠すぎた。


「うん……何かあったら……またすぐ起きるから……」


 曖昧に頷くレックス。その意識が急激に遠のいていく。


「あとは……サミュエルに……」

「おう、任せとけ!」


 ニカッと笑って親指を立てるサミュエル。


「おやすみ、レックス」



 ――おやすみ。



 そこでレックスの意識は途切れる。



 一時的な睡眠のはずだった。



 だがそれが、サミュエルとの最後の会話になった。




          †††




 ずん、と地面が揺れたような気がした。




          †††




 どこかから――


 悲鳴が響いているような。


 レックスはまどろみの中にあった。


 起きるべきかな、と少しだけ思った。


 しかし泥のような眠気が全てを包み込んでいった。


 寒かった。寒かったのだ。暖炉の温かさを感じなかった。


 だから夢だと思った。悪い夢なのだと。不安が悪夢になったのだろうと。




          †††




 いざとなったら盛大に火を起こして温める予定だし――



 サミュエルが叩き起こしてくれるはずだから――




          †††




「まさか地下から――」


「他の櫓――連絡――」


「村――もう駄目――」


「レックス――起――」




          †††




「すまねえレックス、まさかこんなことになるなんて」


「約束、守れなかった……婆さんも死んで……」


「すまねえ、ほんとにもう、これしか」


「せめてお前だけでも生き残れたら」


「奴らに見つからずに済んだら」


「……生きてくれ、レックス」


「じゃあな。元気でな」


「忘れないでくれよ」


「オレたちのこと」


「さよなら」




           †††




 ――気がつけばレックスは、ほとんど身動きの取れない、真っ暗な狭い空間に、ひとり閉じ込められていた。

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