Chapter20 : 春望


(……狭い? 動けない!?)


 目を覚ますなり、レックスは軽いパニックに陥った。


 真っ暗で何も見えず、あぐらをかいた姿勢のままほとんど身動きも取れず――冬眠明けの頭では全く状況が理解できない。


 レックスの感覚では、ついさっきまで暖炉のそばの暖かなベッドの中にいたのだ。熟睡中にいきなり水の中に放り込まれたような混乱だった。


(どこ!? 俺どうなってる!?)


 思わず暴れようとしたが、体に力が入らない。もぞもぞとイモムシのように身じろぎをしただけだ。


 パニックもそこそこに、猛烈な空腹がレックスを襲い始める。


 肉体がカロリーを求めていた――何かを食べなければ死んでしまう! 普段なら枕元に保存食を備え付けておいて、冬眠明けはそれをかじりながら食事の用意をしていたものだが、こんな状況では望むべくもない。


 いったいここはどこなのだ?


 力が出ないせいで、かえって冷静さを取り戻した。


(硬い壁……コンクリート……? 建物の基礎?)


 何も見えないが、四方を取り囲む壁はごつごつ、ざらざらとした感触だった。おそらくはコンクリート。


(なら天井は?)


 立ち上がることはできない。頭のすぐ上に天井、あるいは蓋がある。頭がぶつかると、こつんっと軽い音。ここは木材もしくは合成樹脂のようだ。


(……ひょっとして床下収納か?)


 雰囲気からあたりをつける。レックスの体がすっぽりと入るサイズ感ということは、民家ではなく共用倉庫あたりにあるものだろうか。


(開かない)


 蓋の上に何かが載っているのだろうか、押してみても軋みを上げるだけだ。いつものレックスなら力ずくでなんとかできそうだったが、体が弱っている上にあぐらをかいた姿勢なので踏ん張りがきかなかった。


「……だれか~」


 少しためらってから、レックスはコツコツと蓋を叩きながら助けを求めてみた。自分でもびっくりするほどかすれた弱々しい声が出る。


「…………」


 無音。人の気配も、足音も息遣いも、何も感じられない。


 村のみんなはどうなったのだろう。なんで自分はこんなところにいるんだろう。もしも誰も来なかったら、どうなってしまうのだろう――?


 真っ暗な中、レックスは不安と恐怖で押し潰されそうになっていた。しかし力なく手をおろしたそのとき、ふと自分の足の間に何かが挟まっていることに気づく。


(これは……?)


 どうやら、リュックサックのようだ。手探りで開けてみると、カサッという包装の音。



 ――非常食だ! おそらく【遺跡】産の!!



 食べたい 食べよう 食べる



 その瞬間、他のすべての思考が消し飛んだ。


 夢中で包装を破り捨て、かじりつく。チョコレートとキャラメルとナッツの香り、暴力的なねっとりとした甘さが口の中で爆発した。


 うまい。美味い! 冬眠明けの食事は何でも美味く感じるがこれは格別だ!


 あっという間に平らげてしまった。糖分が体中を駆け巡り、四肢がみるみる熱を取り戻していくのがわかる。


 だが――足りない。ぜんぜん足りない。


 リュックの中に手を突っ込むと、ガサッと包装の音。


 まだある! たくさん入っている!


 なぜ、誰が、そんなことは考えもせずに、考えもできずに……ただ貪った。


 文字通りレックスは冬眠明けの獣と化していた。


「ふぅ……人心地ついた……」


 腹は膨れないが、カロリーは摂取できた。


 ようやく頭が回り出す。と同時に、ハッキリと認識できるようになった現実が、重くのしかかってきた。自分が床下収納に匿われていた事実――そして貴重であるはずの非常食が、これでもかとリュックに詰め込まれていた意味――


 凄まじく不吉な予感。


「…………」


 居ても立っても居られず、レックスは再び、頭上の床下収納の扉に挑み始めた。さっきまではビクともしなかったが、非常食のお陰で力を振り絞れる。ぎり、ぎり……と軋みを上げながら、徐々に開いていく。


「くそっ……体勢が悪い……!」


 だが最後の一押しが足りない。何かないか、と手探りで周囲を探ったレックスは、足元に置かれていた山刀マチェットの存在に気づいた。


 これだ! 至れり尽くせりじゃないか、と頭の隅で思いながら、開きかけの扉の僅かな隙間に刃をねじ込み、テコの原理でこじ開ける。


「ぬぅぅ……がぁっ!」


 どがしゃあん、という耳障りな音とともに、扉が開いた。どうやら木材やら何やら扉の上に載っていたようだ。


「…………」


 立ち上がる。予想通り、ここは物見櫓の1階の床下収納だった。


 ……扉が開け放たれている。いや、外側から無理やり破られたような。廃墟。そんな言葉を連想した。かつて倉庫として活用されていたこの空間には、今や、壊れた家具や木箱の残骸が散乱している。


 そして、どす黒い染みが至るところに――


 壊れた扉から差し込む日差しだけが、やけに穏やかだった。


「……みんな?」


 頭の芯が、じんじんと痺れているような感じがした。脳みそが、この状況を理解しようとしているが、心がそれを拒んでいる。


「みんな……!?」


 マチェットだけを手に、ふらふらと外へ。


「みん――」



 ――そこには見るも無惨に荒れ果てたウォルデンビー村があった。



 至るところに雑草が生え散らかしている。窓は割れ、扉は砕かれ、無事な家屋はひとつもない。焼け落ちてしまった家も目につく。


「誰か! 誰かいないか!?」


 下手に声を出すのは危険だと、頭ではわかっていたが、どうしようもなかった。


 大声で叫びながら村中を駆けずり回る。村長の家も、大工や肉屋の家も、友人宅も、自宅も――全てことごとく荒らされていた。


 そしてことごとく無人。


 村内の舗装されていない地面に、いくつか大穴が空いているのを見つけた。雨水が溜まっていたり崩落していたりで、中には誰もいそうにない。


 物見櫓にも登り、辺りを見回してみる。上から見る村の景色は、がらりと様変わりしていた。建物の配置は同じでも、全てが焦げて、緑に覆われている。


 反対に、村の外は――人の手を離れた畑には、雑草がこれでもかと生い茂り、森と半ば一体化しつつあった。この地を原初の緑で覆い尽くさんとしているかのように。


 そんな中にも、色とりどりの春の花が咲き乱れ、うららかに、風にそよいでいる。


「ッ!?」


 バササッ、と羽音が間近でして、レックスはびくっと身をすくませた。物見櫓の屋根に止まっていた山鳩が飛び立ったのだ。どうやら巣を作っていたらしい……



「みんな……」



 誰もいなかった。



 自然の中に、ただ、村の残骸だけがあった。



 悪い夢でも見ているようだった。半ば呆然としたままレックスは目覚めた場所に戻る。床下収納には、さっきは気づかなかったが、愛用のショットガンも背中側の壁に立てかけてあった。


 リュックにも他に何かないか――改めて中身を探ると、実包ショットシェルが1箱、そして古びた手帳が1冊。


 ぱらぱらとめくれば村長の覚書のようで、数年分の行商人との取引内容が、つらつらと書き記されていた。


 なんでこんなものが? と思いながらページをめくるレックスだったが、最後のあたりで手が止まる。



『レックスへ』



 幼馴染の、サミュエルの字。



『これを読むのがまずお前であってほしい。


 そうすりゃ少なくともお前は助かったってことになる。


 奇跡が起きて、お前が読む前にコレを回収できたらいいんだけどな。


 まあ、望み薄だ。たぶんオレはもうダメだと思う。村もおしまいだ』



 ただでさえ字がヘタクソなのに。


 なぐり書きしているせいで読みづらい。


 それでもレックスは食い入るように読み進んだ。


 ところどころが赤黒くかすんでしまっている紙面を。



『お前が冬眠してからしばらくは平和だった。


 グールどもも遠巻きに見てくるだけでぜんぜん攻めてこないし。


 もう諦めたんじゃねえかな、ってみんな安心してたんだ。


 でもそうじゃなかった。あいつら穴掘ってたんだよ』



 先ほど、村を駆けずり回って見かけた穴――



『地面から変な音がするってガキどもが言い出してさ、それでわかったんだ。


 もう蜂の巣をつついたみたいな騒ぎになったよ。どう対策する? って。


 でも気づくのが遅すぎた。エリーズ婆さんに穴がつながっちまったらしい。


 婆さん家からわんさか連中が溢れ出てきたよ。


 それこそまるで蜂の巣をつついたみたいにな。


 ちょうどみんなが村の広場で話し合ってたときで、ひとたまりもなかった。


 一網打尽ってのはああいうのを言うんだろうな。


 オレはここで見張り番してたから巻き込まれなかったけどよ。


 オレだけ助かってもなぁ……』



 サミュエルの皮肉屋な一面は、こんなときでも健在で。



『上から何匹か撃ったけど、焼け石に水だった。弾も残り少ねえし。


 他の物見櫓は立てこもる前にやられちまったらしい。


 まあみんなが逃げてくるのに、閉め出して見殺しになんてできないよな。


 オレたちもギリギリまでみんなを収容しようとしたんだけどさ。


 最後、肉屋の親父が体当たりで外から扉を閉めてきて、もう開けるな!って……


 グールにかじられながらだぜ? オレ、できる気がしねえよ。


 オレにできたのは、苦しまないよう早めに終わらせることだけだった』



 グールを撃つよりよほどマシな弾の――と続く文章は、上からぐしゃぐしゃと線が引かれて消してあった。



『ここに立てこもれたのはオレを含めて10人だけだ。


 食いもんは充分あるけど人手が足りねえ、ホントに足りねえ。


 ここ数日ほとんど寝れてない。気を抜いたら奴らが窓をブチ破ってくる。


 レックスも起こそうとしたんだけどさ。


 グールどものせいで隙間風だらけだし、赤結晶も薪も残り少ないんだよな。


 お前を目覚めさせるには、ちと温度が足りねえみたいだ……


 燃料は他の物見櫓から取ってくるしかなくて……つまり無理ってわけだ』



 手帳を持つレックスの手が、怒りにブルブルと震えた。


 なぜ――なぜ自分は、こんな肝心なときに――


 ただ眠りこけていたんだ……!!



『なあレックス 自分を責めないでくれよ』



 少しばかり丁寧な字で、そう書いてあった。


 サミュエルの優しい口調を再現するかのように。


 お前の考えなんて手に取るようにわかる――そう言わんばかりに。



『まあ、気に病むなっつってもムリな話だよな。


 立場が逆だったらオレも死にたくなってたと思う。


 それでもだ。あんまり気負わないでくれ。


 正直、今お前が目覚めてくれても、どうにかなる気がしねえんだ。


 建材が足りねえ。次から次に壊される。


 バリケードを維持できなくなったら終わりだ。


 みんなには、チビたちには口が裂けても言えねえけどな。


 でもムリなもんはムリなんだよ』



 を書いていたとき、サミュエルは確かに生きていた。


 どんな心情で綴っていたのか、そう考えるとレックスは胸が張り裂けそうだった。



『お前がいてくれたら頼もしいけど、きっと食料が足りなくなるしなぁ。


 ジジババにガキンチョばっかの10人なら辛うじて食いつなげるって話なんで。


 グールを食う、つっても限度があるし、生食は腹壊すだろ絶対。


 燃料も少ない。弾もねえ、建材もねえ。何もかも足んねえ。


 都会だったらこんな思いしねえんだろうな。


 まあでも、オレはこの村が好きだ。


 なんだかんだ言って大好きなんだ。


 だからお前には生き残ってもらわないと困る、レックス。


 お前がウォルデンビー村の生き残りになるんだ。


 お前さえ生きていてくれれば、この村があった証が残る。


 だからオレたちはお前を、床下収納に隠すことにした』



 ――普通の人間は、あんな狭い空間で数ヶ月も生きていけない。だがレックスならば、春まで冬眠していられる。


 森の中でも獣に気づかれないほど体臭が薄いレックスなら、グールもやり過ごせる可能性が高く、【遺跡】産のパッケージングされた非常食もそれに一役買うはず。


 ただ、カロリー的に足りるとは思えないので、目覚めたあとの食い物は自分でなんとかしてほしい――


 と、そんなことを、サミュエルはつらつらと書き連ねていた。



『また騒がしくなってきやがった もう時間がねえみたいだ』



 丁寧になっていた字が、再びなぐり書きに戻った。



『じゃあなレックス 絶対死ぬんじゃねえぞ


 うまいもん食って元気にやれよ


 立派になれよ


 覚えといてくれ


 オレたちのこと


 さよなら 元気で』



 慌ただしく――そこで手記は途絶えていた。



「…………」


 震える手で、手帳を置いたレックスは。


「…………うぅぅぅぅ~~~~~」


 うめき声を漏らしながら、詫びるように、手帳の前でうずくまった。


「……うううぅ……ううううううウウウウウッッ」


 がつん、とコンクリートの床を殴る。


 がつん、がつん。


 がつんがつんがつん!


 しかし視界の端で、チャリっと銀色の何かが揺れた。


「……?」


 胸元。


 何かがぶら下がって揺れている。



 ――シルバーネックレス。



「サミュエルの……」


 幸運のおまもり。


 いつも首から下げていたお気に入りのやつ。


 肌身離さずつけていたそれを、託されたのだ、と――


 タグに刻まれた『Good Luck!』の文字が、日差しを浴びてきらりと光った。



「……あああ」


 そっと、壊れ物でも扱うように、タグを握りしめたレックスはうめいた。


「……ああああああ!」


 声を抑えられずに、吠える。


「ああああああああ! ああああああああああああ――ッッ!!!!」


 レックスは複眼だ。涙腺が存在しない。


 どうあがいても、目からは何も流れないし、流せない。


「ごめんよおおお! ごめんよおおおおおおおお!!!! ごめんよおおおおおおおおおうわあああああああ――ァァァァァァッッッ!!!!」」



 だからこうやって叫ぶしかないのだ。



 どんなに感情がほとばしろうと、他に発散する方法がない。



 レックスは頭を掻きむしりながら、喉が枯れるまで叫び続けた。



 詫び続けた。サミュエルに。村のみんなに。



 まさに、血を流すような慟哭だった。




          †††




 それから数日、抜け殻のようになっていたレックスだったが、『死ぬんじゃねえぞ』というサミュエルの言葉が体を動かした。


 狩りや採集で食いつなぎつつ、無心で村の片付けに精を出す。


 レックスが着手したのは、人数分の墓作りだった。


 工作は苦手なので、簡単なものしか作れないが。


 ちまちまと名前を削って、墓標を立てていく。


 その作業には……あるいは儀式には数ヶ月を要し、レックスが前を向けるようになる頃には、すっかり夏になろうとしていた。



 ――いつまでも村にいても仕方がない。



 ――立派にならねば。



「準備よし。忘れ物はないかな」



 可能な限り干し肉などの携行食を用意したレックスは、大事なものを全てリュックに詰め込んで、背負った。



「俺、街で心機一転、やり直すよ」



 振り返り、宣言する。



「――遺跡荒らしで、一旗揚げてみせる」



 そうしてみんなの墓標に見送られながら、レックスは、旅立った。




          †††




「と、まあ……そんな感じで、現在に至ります」


【パズルパンサー】のガレージで、レックスは静かに語り終えた。


「…………」


 皆、レックスのたどった運命にかける言葉が見つからない。冬眠のせいで戦い抜くことができなかったが、冬眠のおかげで生き延びられた――


「レックスは……これからどうするつもりなの?」


 膝の上でぎゅっと手を握りしめたカンナが、遠慮がちに尋ねる。


「うーん。立派な遺跡荒らしレイダーになって、いっぱい稼いで、……最終的には村をどうにかしたいかなぁ。わざわざあんな僻地に住みたい人なんていないかもだけど」


 腕組みをしたレックスは、嘆息混じりに答える。


「それが、レックスの『夢』?」

「そういうこと。気の長い話だけどね」


 レックスはヒョイと肩をすくめながらおどけてみせたが、口調の裏には鋼のように確固たる意思を覗かせていた。――すなわち、みんなが生きていた証を残す。そのために名を挙げ、可能であれば村も再建する。


「ただ、それはそれとして、その……」


 気まずそうに、両手を組んでにぎにぎとさせたレックスは、


ニセのレイダー集団パズルパンサーにも、報いを受けさせなきゃいけないとは思ってて」


 平坦な声で続ける。


 その鋼のような意思は、今もなお怒りに赤熱していた。


「それはそうだ。ウチを虚仮コケにしたケジメも取ってもらわねえとな……!」


 パズルパンサー(本物)の代表クランマスターとして、ヘイミッシュも歯を剥き出しにして唸る。


「まったくだ。オレの名前でロクでもねえことしやがって……」


 ナイフをくるくると弄りながら溜息をつく『エイヴリー』ことエイヴリアン。彼もまた被害者のひとりでもある。


「しかし、いったいどこの連中だ……?」

「心当たりとかないんスか、マスター」

「正直なところ、ない。装甲車3台を遊ばせる余裕があるクラン、ってことだけは確かだが、大クランのやり口にしては違和感も多いし、相手の狙いがよくわからん」

「大クラン同士の抗争で、オレたちが変な陰謀に巻き込まれてるとか?」

「それは、結局何もわからないのと一緒だぞ」

「案外、そこそこのクランから装甲車かっぱらった連中が、野盗化して辺境でウチの名を騙ってただけ、って線は?」

「……蓋を開けたら意外としょうもないオチだった、ってのはよくある話だよな……」


 ヘイミッシュの疑念を皮切りに、パズルパンサーの面々が意見を出し合う。


 話の焦点が移って手持ち無沙汰になるレックス。その隣で、カンナは黙ったまま、顎に手を当てて考え込んでいる。


「……ねえ、レックス」

「うん? なに?」

「レックスの故郷って、外部との接触はあまりなかった……のよね?」

「そうだね。近隣、といってもけっこう遠いけど、他の村とたまにやり取りしてたくらいかな。嫁入りとか婿入りとかもあったし、ものを融通し合ったりとか。村長なんかは行商人経由で手紙のやり取りしてたらしいよ」

「――そう、それよ」


 ビシッと指さしてくるカンナ。


「グール対策で、クランを手配したのって村長さんでしょ? その環境でどうやって外部のクランに渡りをつけたんだろう、って考えてたのよ。村の外に人を送ったのか――あるいは、を頼ったのか」

「……。!!」


 うつむいて思考を巡らせたレックスが、ハッと顔を上げる。


「そうか! 都会のクランを呼ぶなら――都会が拠点の行商人に頼るしかない!」


 レックスの大声に、意見を交わしていたパズルパンサーの面々も顔を見合わせる。


「つまり……渡りをつけた行商人さえひっ捕まえりゃ、芋づる式にウチのパチモンまで繋がるってワケか」


 ヘイミッシュが口の端を釣り上げる。


 その笑みの獰猛さたるや、まさしく獲物を見つけた肉食獣のそれだった。


「レックス。お前さんの村に来ていた行商人は、どんなやつだった? 何人いた?」


 ヘイミッシュの問いかけに、レックスは無言で、足元のリュックを拾い上げた。



 村から持ってきたリュック。



 貴重な、レックスの私物。



 中を探って取り出したのは――古びた1冊の、手帳。



「サミュエルの手記です」


 レックスへのメッセージが書き記された、幼馴染の形見。


 サミュエルがこの手帳を選んだのは、きっと偶然だったに違いない。


 物見櫓の談話室には、他にまともなメモ帳も紙もなかったから。


 手頃なサイズで、書きやすくて、持ち運びに便利で――


「これ、前半は村長の覚書なんですよ」


 ぱらぱらとページをめくったレックスが、手帳を広げて見せる。



 そこに記されているのは、ここ数年分の、行商人との取引内容。



「ウォルデンビー村とやり取りがあった、行商人のリストです」



 レックスの胸元。



 サミュエルのネックレスが、きらりと輝いた。




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『――幸運を。』

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