Chapter18 : 氾濫


 秋の暮れ。村長が救援を求めてから2週間が過ぎた。


 いつ何時なんどき、グールの大群が森から溢れ出してもおかしくない。


 しかし、このまま冬が訪れればグールの動きも鈍るのではないか? どうにか連中をやり過ごせるのではないか――? 

 

 ウォルデンビー村の住民たちは、真綿で首を絞めるような恐怖と、何事もなく続く平穏な日常との狭間で揺れていた。


 自称【パズルパンサー】のレイダーが15名、装甲車に乗ってやってきたのは、そんな折だった。


 ボディアーマーとアサルトライフルで武装した屈強な男たち。うち数名は医者やメカニックも兼任するらしい。いかにも荒くれ者らしい粗暴さと、横柄な態度が鼻についたが、戦力として彼らはこれ以上なく頼もしく見え、村人たちは概ね好意的に受け入れた。


「――グールの群れか。まあウチの火力は十分すぎるほどだろうな」


 村長宅で開かれた作戦会議にて。【パズルパンサー】のリーダー・エイヴリーを名乗る男は、低い声で薄ら笑いを漏らした。


 エイヴリーはスキンヘッドと整えられた髭が特徴的な中年の男だった。彫りの深い顔立ちはともすれば穏やかそうに見えたが、緑がかったヘーゼル色の瞳には酷薄な光があり、油断ならない雰囲気を漂わせている。『一癖も二癖もあるレイダーのまとめ役』にはぴったりな風貌といえた。


「装甲車には16ミリ機関砲が積んである。グールごとき、トーフ・ステーキみたいに蹴散らすだろうさ」

「それは誠に頼もしいことです」


 テーブルを挟んでエイヴリーの対面に座る初老の男、ウォルデンビー村の村長は穏やかに微笑みながら相槌を打った。


「ただ……問題があるとすれば弾数だな。外部に助けを求めるほどの大群となれば、100や200じゃきかないだろう。どの程度の規模なんだ?」

「それに関しては、俺から」


 作戦会議に呼ばれていたレックスは、おもむろに口を開く。


「彼は、実際にコロニーを偵察して唯一生きて帰った狩人です」

「レックスです。よろしく」


 村長に紹介され、軽く手を挙げる。レックスの全身をサッと観察したエイヴリーは「ふむ」とだけ唸り、目線で話の続きを促した。


「俺たち偵察隊がコロニーを発見したのは、3週間ほど前です。森の入口から歩いて3日目に、凶暴化したグールの小規模な群れと鉢合わせしました」

「……森歩きには詳しくないんだが、歩いて3日とはどの程度の距離になる?」

「すいません、直線距離は俺にもよくわかりません。かなりの強行軍だったので、感覚的には1日8キロくらいは前進してたとは思うんですが」


 なにせ、人の手が一切入らない原生林を、凶暴な獣やクリーチャーに警戒しながら進んでいたのだ。平地なら2時間足らずで踏破できてしまう距離も、凄まじく過酷な道程だった。


「……なるほど。あとでドローンでも飛ばして偵察してみるか。それで?」

「はい。凶暴化はグールの大量発生の特徴のひとつなので、交戦後に、さらに森の奥へと強行偵察を行いました――」


 レックスは言葉を切った。森の木々をかき分けた先、肉と血管で構成されたグールのネストが、心臓のように脈打っていたグロテスクな光景が脳裏をよぎる。


「――遠景から確認しただけですが、ネストが少なくとも5つ。あまりにもグールが多かったので、実際にはその倍はあるはずです。個体数は……下手したら千くらいにはなるんじゃないかと……」


 レックスの言葉に、余裕綽々だった【パズルパンサー】の面々が「厄介な」と言わんばかりに顔をしかめた。



 グールは、焼けただれたような肌を持つ人型のバケモノだ。


 知能は低く、人間と同じくらいの身体能力しか持たないが、しぶとい生命力を誇り何でも食べる。オスとメスの区別があるのかは不明で、ある日ネストと呼ばれる肉の塊が出現し、そこから次々に産み落とされるという奇妙な生態をしている。


 あまりにも不自然な発生の仕方をするので、異常存在アノマリーの一種ではないかという説もあるようだ。ただ、食料状況によって数が増減することから、生命体であることに違いはない。



「……対処できない数ではないが、流石に想定外の規模だな。駆除するとなると相当な出費になるぞ」


 エイヴリーは不機嫌そうに舌打ちした。機関砲から撃ち出される弾丸は、そのものに通貨的な価値がある。つまりそれに見合うだけの報酬が必要だった。


「ハッキリ言って、割に合わない。我々が聞いていた依頼内容は、『森に潜む強力な変異種ミュータント、あるいは異常存在アノマリーからの村の防衛』だ。どちらかと言うと、単体で強力な存在を駆逐するための装備をしている。大規模な群れが相手だと最初からわかっていれば、こちらも相応の準備ができたはずだ」

「それは重々承知しております。しかし偵察のレックスが戻ったのは、救援の依頼を送ったあとのことだったのです。あの時点で偵察隊は全滅したと考えておりました。詐称の意図があったわけではございません」


 糾弾するエイヴリーに、村長が焦燥を押し殺した口調で答える。ここで『割に合わないから』とエイヴリーたちが撤収してしまったら、非常にまずい。


「それはそっちの都合だろうが!」

「手前勝手なこと言ってんじゃねえぞジジイ!」


 声を荒げる【パズルパンサー】のレイダーたち。


(……俺が、もっと早く村に戻ることができていれば……)


 レックスは自責の念に駆られた。事前に、村長たちからは「気にするな」「むしろよく生きて帰ってきてくれた! それが一番だ」と励まされてはいたものの……


「諸君、口が悪いぞ。ここは交渉のテーブルだ」


 エイヴリーが鼻を鳴らしてレイダーたちをたしなめる。


「さて、村長殿。我々としても、ここで撤収するのはあまりに旨味が少ない。前払金だけでは燃料代くらいにしかならないからな」


 テーブルの上で手を組んだエイヴリーが、ニヤリと笑みを浮かべる――


「報酬の上乗せ。もちろん、してもらえるだろう?」



 ――それから村長とエイヴリーの交渉が始まった。



 どうにか越冬に必要な物資を守ろうとする村長だったが、依頼内容が食い違う点を突破口に利益の最大化を試みるエイヴリーは言葉巧みだった。何より、『即時撤収』の切り札をチラつかせられるとこちらとしても苦しい。


 最終的に村長はエイヴリーの要求に屈することになり、ウォルデンビー村は貴重な物資を大量に供出することになってしまった。食糧はもちろん、銃弾、『燃え続ける石』こと赤結晶や、『電気を生み出す石』こと青結晶といったアノマリーまで――


「クソッムカつくぜあの野郎、足元見やがって!」


 会議がお開きになったあと、部屋の外から話を聞いていたサミュエルはカンカンに怒っていた。村が滅ぶ瀬戸際である以上、命が助かるなら儲けものではあるが、それにしてもエイヴリーの要求はかなりエゲつないものがあった。


 仮にグールの襲撃を無事退けられたとしても、不測の事態が起きれば冬に餓死者が出かねない……


「しかも報酬の大半が前払いだと! あいつら、まさかとは思うが、取るだけ取ってトンズラするつもりじゃねえだろうな……」


 サミュエルが歯を剥き出しにして唸る。追加報酬をどの段階で渡すか、これは交渉で最も揉めた部分だった。


 村としては、先に渡してしまうと、いざというときエイヴリーたちが逃げ出すのではないかという心配があった。


 対するエイヴリーは、苦労してグールを撃退したあと「やっぱり報酬は払えない」と掌返しされたら困る、と主張してきた。……またレックスたちとしては心外なことこの上ないが、ウォルデンビー村の住民に寝込みを襲われることさえも警戒しているらしい。


「まあ……向こうエイヴリーとしてもその自覚はあるんだろう」


 レックスは沈んだ口調で相槌を打った。


「だから、になった」



 レックスの視線の先――村の広場に停められた1両の装甲車両。偵察ドローンを飛ばすメカニックと、エイヴリーが何やら話し込んでいるのが見える。



 追加報酬を受け取る代わりと言ってはなんだが、エイヴリーたちが逃げ出さない『証』として、3両の装甲車のうち1両は村の中で待機する形となった。



 こう言ってはなんだが、人質のようなものだ。


 作戦会議でエイヴリーが提案したのは『機動防御』。装甲車を村の外に展開し、グールの大群が現れれば重機関砲および乗員の射撃で削っていく。そのまま群れの一部を引きつけながら遊撃、殲滅を試みる――といったものだ。


 装甲車は火力の要なので最大限有効活用すべき、というのは正論ではあったが、村としては「装甲車が全て村の外にあったら、いざというときに逃げ出すのでは?」という、うっすらとした不信感があった。


 そこで、『3両のうち2両は外、残りの1両は村の中で待機。一定時間ごとにローテーションで人員ごと入れ替える』という形に落ち着いた。


 村の中で待機する人員は、グールの襲撃があれば村人と一緒に防壁で戦う。ちなみに交代の際には、待機する装甲車1両の機関砲弾を残りの2両に分配して、有効活用するらしい。


「……ま、門が閉まったら、そうそう逃げ出せねえもんな」


 サミュエルも不承不承といった様子で唇を尖らせる。


 高さ数メートルの防壁にぐるりと取り囲まれているウォルデンビー村は、同じくらいの高さの分厚い門を備えている。


 グールの来襲の恐れがある最近は、装甲車がローテーションで交代するとき以外は基本的に閉ざされている。分厚く、極めて頑丈なのだが、開閉には発動機ガスエンジンの補助があっても数分は必要だ。たとえ装甲車がぶつかったとしても、一度閉ざされた門はビクともしないだろう。


 つまり、村で待機するレイダーたちは、村と一蓮托生というわけだ。レイダーたちの何人かが「『居残り組』は貧乏くじだな」と笑って話しているのを、レックスたちもたびたび耳にしていた。


「…………」


 メカニックと話し込むエイヴリーが、レックスの方を向いた。


 目が合った――気がしたのは一瞬のことで、すぐに視線が通り過ぎていく。


 見慣れた村の広場に、でんと装甲車が居座っている光景。なんとも言い難い異物感を覚えた。


 それもこれも、ウォルデンビー村と【パズルパンサー】が最初から良好な信頼関係を築けなかったせいだろう。どこかギクシャクした空気が流れている――


『聞いていた依頼内容と違う――この時点で本来なら帰ってもいいくらいだ』


 会議中、不機嫌そうに鼻を鳴らして、エイヴリーは憮然とした顔で言った。


『――しかし我々は、きちんと報酬分の働きは見せるつもりだ。こちらが誠意を示す以上、そちらにも誠意を見せてもらいたいものだね』


 そんなこんなで、村長も大幅な報酬の上乗せを認めざるを得なかった。


「…………」


 やはり、自分がもっと早く村に戻れていれば――とレックスとしては忸怩たる思いが募るばかり。


 ――最初から『グールの大群』を依頼内容にできていれば、エイヴリーたちも相応の装備を整えてきただろうし、こうやって互いに不信感を募らせることもなかったのに――と。


「……おいおいレックス、お前のせいじゃないって!」


 肩を落とすレックスに、サミュエルがバシバシと背中を叩いてきた。


「そもそも、お前が生きて帰ってくれなきゃ、敵がグールってことさえわからなかったんだぜ? ……むしろお前がちゃんと戻ってくることを、信じて待てなかったオレたちが悪いんだ」

「……悪くないよ。本当に全滅したっておかしくなかった。村長たちの判断は正しかったと思う。俺が帰ってこれたのは、ギムルのおっちゃんとグレゴリーの伯父貴オジキが、身を呈して時間を稼いでくれたからだ……」


 レックスとともに、偵察に参加した熟練の狩人たち。


『俺は無理だ、逃げ切れない! 先に行け!』

『レックス、お前は生き延びろ! そして皆に知らせるんだ!』


 ふたりは包囲してくるグールの大群を引きつけ、その場に留まり、レックスが逃げる突破口を作ってくれた……


「俺には、生きて帰る『義務』があったんだ……だから、『当然』帰ってこなきゃいけなかった。でも、村にグールを引きつけたらマズいからって、遠回りしたけど……もっと別のルートがあったんじゃないか、もう少し早く戻ってこれたんじゃないかって……」

「お前じゃなかったら、それも無理だったよ。オレにはわかる」


 サミュエルはひょいと肩をすくめた。


「お前以外には誰にもできやしねえ。だからお前は悪くない! もしとやかく言う奴がいたら、オレがブッ飛ばしてやるよ!」


 笑いながら、バシバシバシとレックスの背中や頭を叩きまくるサミュエル。「痛いよ」とレックスは笑った。痛くはなかった。むしろ外骨格のせいで、サミュエルの手が心配だった。


 だからこそ気遣いが沁みて、少しだけ心が軽くなった。


 ははは……と笑いあってから、しんみりとした空気が流れる。


「落ち着いたら、葬式しねえとな……」

「……そうだね」


 ふたりして空を見上げた。


 甲高い、回転翼の音を響かせる偵察用のドローン。


 その機影が、蒼空に飛び去っていくのが、小さく見えた――



 それからしばらくは、何事もなく過ぎた。



 最初はギクシャクしていたレイダーたちとの関係も、毎日顔を合わせるたびに少しずつ改善していった。報酬の件が決まってからは、ガラが悪く見えたレイダーたちも人が変わったように大人しくなったのだ。


 いや、大人しくなったというか――どこか淡々としていた。


 職務が定まったからにはそれに殉ずる、と言わんばかりの態度で、「これがプロの傭兵というものか」と驚いたのを覚えている。


 レイダーが私物で持ち込んだ酒を酌み交わし、見張りをしながら雑談するうちに、不信感を抱いていたウォルデンビー村の皆も徐々に心を許していった――らしい。


 らしい、というのはレックスはよく知らないのだ。


 というのも、装甲車の交代時間になるたびに村を出入りし、森に潜っては獣を間引いていた。


 冬に備えて食糧を確保したいこともあったが、村の周囲から『餌』となる動物を減らすことで、グールの群れが引き寄せられる可能性を少しでも減らしたかったのだ。


 いつグールの襲来があるかわからない状況で、森に潜るのは正気の沙汰とは言えなかったが、大群の猛追を振り切った実績があるレックスは、包囲さえされなければ逃げ切れると踏んでいた。


 森帰りでエイヴリーと顔を合わせたときは、『弾を温存するためにも、今は狩りに出かけるのを控えた方がいいんじゃないか?』と言われたが、レックスは指摘されるまでもなく、ショットガンの使用は控えていた。


『銃声も響かせたくないし、弓や投槍で狩ってますよ』とレックスが答えると、エイヴリーがバケモノを見るような目を向けてきたのをよく覚えている。


 あの『目』が印象的だった――「いったい何なんだコイツは」と言わんばかりの、エイヴリーのあの目が――



 そのやり取りからさらに数日後。



 朝方、いつも通りに起床したレックスは、今日も今日とて森に繰り出そうと準備を進めていた。


 そして装甲車のローテーションの時間となり、村の門が開けられ、外で待機していた1両が休憩のため村に入ってくる。レイダーたちがせっせと機関砲の弾薬箱を載せ替えているのを尻目に、レックスが村の外に出ようとした――まさにそのタイミングだった。


「来たぞー! グールだ!!」


 物見櫓から、悲鳴のようなサミュエルの叫び声が響いた。


 さらに、ターン、ターンッとライフルの銃声が続く。


 かすかに地面が揺れているのを感じた。


(あのときの……!)


 森の奥、コロニーを発見し、グールに追われたときの怖気が走るような感覚を思い出す。


 あれだ。


 ついにあの大群が、ウォルデンビー村を見つけてしまったのだ……!


 弓と手槍を放り出し、ありったけの弾薬が詰め込まれたバックパックを背負ったレックスは、ショットガンを引っ掴んで村の防壁へと走った。


「まずいぞ、武器、武器!!」

「急げ急げ! 門を閉めろーッ!」

「サニー、どこいったの!? お家に戻るわよ!」


 覚悟はしていたとはいえ、村の皆も浮足立っているようだった。レックスのようにいち早く戦闘配置につこうとする者もいたが、慌てて転んだり、気持ちがはやって他の村人とぶつかったりする者も目立つ。


「落ち着け! 我々も戦う! 戦闘要員は武器を持って防壁へ! 非戦闘員は家屋に退避しろ!」


 アサルトライフルを担いだエイヴリーが、同じく防壁へと走りながら、よく通る声で指示を飛ばしていた。


 ホントにいざとなればしっかりしてるんだな、と感心しながらレックスも階段を駆け上がり、防壁から外を覗き見る――



 朝焼けに照らされた森から、数え切れないほどの人影が飛び出していた。



 焼けただれたようなデロデロな肌、感情のない真っ黒な瞳、剥き出しになった牙、よだれを垂らしながら、地面を埋め尽くすほどに大量の食屍鬼グールが、村を目指してまっすぐに駆けてくる!


 物見櫓からサミュエルが狙撃しているらしく、銃声が響くたびに1匹、また1匹とグールが倒れていった。


 だが大群の前では、あまりにも微々たる数――


 突進の勢いは止まらない!


「撃て、撃て!!」


 防壁の上に集結していた『居残り組』のレイダーたちが、一斉に射撃を開始する。アサルトライフルが火を噴き、ベルト給弾式の軽機関銃がグールの群れを薙ぎ払う。釣られるようにして村人たちも射撃を開始した。


(もうちょっと引きつけた方がよくないか)


 レックスはふと疑問に感じたが、厳しい顔で戦場を見渡すエイヴリーの堂々たる立ち姿を見て、プロに任せようと余計な口は出さなかった。ただ、ショットガンの射程距離ではないので、もう少しグールの群れが迫るまで撃つのは控えることにする。



 そこに、ダッガッガッガッガッ! と轟音が響き渡った。



 装甲車だ。もともと外で警戒していた1両が、村から見て右手に展開しながら機関砲の射撃を開始した。


 16ミリ機関砲の威力は、まさに圧巻の一言。


 グールたちがまとめて弾け飛んでいく。いや弾け飛ぶという形容すら生ぬるい、赤い霧と化して消えていくのだ。


 一通りの射撃で大群はごっそりと削られ、心なしかグールたちの突撃の勢いも鈍ったようだった。


 さらに、遅れて出撃したもう1両の装甲車が反対側に走りながら射撃を開始。


 みるみるうちにグールの群れが削り取られていく――


「うおおおお!」

「すごいぞ!!」

「これなら大丈夫だ!」


 村人たちも歓声を上げる。



 が、次の瞬間、それは悲鳴に塗り替えられた。



 遅れて出撃し、意気揚々と射撃していた装甲車が、ズガァンッ! という小爆発とともに真っ黒な煙を吐き出したのだ。


 もくもくと煙を上げる装甲車は力なく停車し、射撃も止まってしまう。


「――何があった!? おい、どうした!?」


 目を剥いたエイヴリーが、無線機トランシーバーに向かって怒鳴った。


「……なんだと? エンジンが爆発!? ふざけるな、こんな肝心なときに!」


 悲鳴じみて叫ぶエイヴリー。周囲の村人たちにも動揺が広がる。


 射撃の圧がなくなったことで、グールたちが進撃を再開していた。あっという間に距離が詰められ、停止した装甲車にグールが群がり始める。


「まずい……まずい! ――村長殿!!」


 視線を彷徨わせたエイヴリーは、息を切らして防壁に駆けつけてきた村長の姿を認めて、叫んだ。


「村の門が閉まる前に、最後の1両を救援に向かわせてくれ!」


 広場で待機する『居残り組』の装甲車を指差して、エイヴリーは懇願するように言った。


 先ほど、装甲車が出撃してから門はゆっくりと閉じられつつある。門の横の発動機が全力で運転しているのが、音と排気でわかった。


「先ほどの爆発で負傷者が出た! しかもあの2両目は交代したばかりで多めに機関砲弾が搭載されている! なんとか弾だけでも回収しなければ、この大群を撃退するのは不可能だ! もう1両がどうにか救援を試みているが……!」


 エイヴリーの視線の先には、無事なもう1両の装甲車。エンジントラブルを起こした車両に助けに向かおうとしているようだが、群れの反対側に位置していただけに、機関砲の火力をもってしても突破口を開けずにいるようだ。


「今なら間に合う! 出撃の許可を!!」

「……わかった」


 村長が頷くや否や、エイヴリーが無線機に「出撃」と短く告げる。



 途端、待機していた装甲車が唸りを上げて発進。



 閉じかかっていた門の隙間を縫うようにして村の外へと脱出した。



「かたじけない。皆もあの装甲車に群がるグールを優先的に撃ってくれ!」

「……いいのか!? 装甲車に当たっちまうかもしれねえぞ!?」

「構わん! ライフル弾程度じゃ大して傷はつかない!」


 エイヴリーの指示に、村人たちはおっかなびっくりと言った様子で装甲車の周囲のグールを撃ち始めた。


(俺も撃つべきか……?)


 レックスは悩んだが、ショットガンには少し遠すぎる。村の近くにまでやってきたやつを撃とう、と静観することにした。



 次の瞬間、閃光が視界を真っ白に染めた。そしてグワァンッと轟音。



 装甲車が爆発した――のかと思ったが、違うようだ。群がっていたグールたちが目を回したようにフラフラと歩き回っている。


 再び、同じような轟音と閃光。村人たちが悲鳴を上げた。


(なんだ!? ……ドローン?)


 耳が慣れてきたところで、上空を飛び回るドローンの羽音に気づいた。グールたちもドローンに気づいたようで、怒ったように飛び回りながら上空のドローンを追いかけ回している。


 おそらく手榴弾か何かを上から落としたのだろう、とレックスは見当をつけ――


「……ん?」


 ブロロロ……と、から響くエンジン音に、違和感。


 レックスは壁から身を乗り出して下を覗き込んだ。



 



「よっ、と」


 ひらりと防壁から身を躍らせるエイヴリー。


 いや、エイヴリーだけではない。


 壁上に集っていた『居残り組』のレイダーたちが次々に飛び降りる。



 ――待機していた装甲車の上に。



「「……は?」」


 村人たちは呆気に取られた。間髪入れずに発進する装甲車。


 射撃音は止み、エンジン音だけが響いていた。


 見れば、『エンジンが爆発した』と言われていた装甲車も何事もなかったかのように走り出し、離脱しつつある。



 一杯食わされた。



 おぼろげに、それを悟った。



「悪いね。我々はここで失礼――」



 ニヤリと笑いながら振り返るエイヴリーだったが――



 その顔が、引きつった。



「――ふ ざ け る な !!」



 いち早く壁から飛び降りたレックスが、空中でショットガンを構えていたからだ。



 発砲。



 カカカカァンッと甲高い音を立てて、装甲車の上でいくつもの火花が散った。


(――しまった、散弾!!)


 エイヴリーに狙いをつけていたレックスは、いつものスラッグ弾ではなく対グール用に散弾を装填していたことを思い出す。


 小さな鉛玉ペレットを叩きつけたところで、エイヴリーたちが着込んでいるボディアーマーを貫くことはできない――


 それでもペレットのうち数発は命中したらしく、エイヴリーはぐらっとよろめき、装甲車の上に這いつくばっていたレイダーが数名悲鳴を上げた。


 しかし致命傷には程遠い。


 着地し、転がって、走り去る装甲車に向けて再びショットガンを構えるレックスだったが。


「やってくれたなクソがッ!」


 獰猛に笑ったエイヴリーが、お返しとばかりにアサルトライフルをぶっ放す。


 が、揺れる装甲車の上で精確な射撃は望めまい。


「こっちのセリフだ詐欺師め!」


 レックスはろくに回避もせずに猛追するが、いかに人並外れた身体能力でも、平地で装甲車には追いつけなかった。みるみる引き離されていく――


「ちくしょう! ふざけんなよクソ野郎、逃げんな――!」


 物見櫓からサミュエルの罵倒が響き、ターンッ、ターンッとライフルの射撃音。


 装甲車の中に引っ込もうとしていたレイダーのひとりが頭を撃ち抜かれ、力なく地面に転がり落ちるのが見えた。


 やった! ――しかし、やったから何だと言うのだ!?


【パズルパンサー】の戦力は去り、怒れるグールの群れだけがこの場に残された!


 その事実は変わらないのだ!!


 装甲車の中に滑り込みながら、ハッチを閉めるエイヴリーの顔が、その憎々しげな表情が、レックスの複眼に焼き付いた。


「レックス! 戻れ! 取り囲まれるぞー!!」


 村人の叫び声に、レックスはハッと我に返る。


 グールの群れがすぐそばまで迫っていた。ショットガンで鉛玉のシャワーを浴びせながら、弾かれたように走り出すレックス。


「これを!」


 弾切れになったショットガンを壁上の住民に投げ、思い切り助走をつける。


 跳躍。


 防壁に取り付く。


 そのまま握力に任せてよじ登る。


 なんとか村の中に戻ったレックスだったが、喜ぶ気にもなれず、「クソッ!」と壁を叩いた。


「あいつら、ふざけやがって……ふざけやがって!」

「皆……すまない、ワシがあんな奴らを呼び寄せたばかりに……!」

「あとにしてくれよ村長! 来るぞ、グールだ!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図とは、まさにこのことを言うのだろう。


 壁に取り付いてよじ登ろうとするグールたち。幸いレックスほどの腕力はなくその動きは鈍い。だが圧倒的な数! まるで組体操のように、じわじわと仲間の体を足場代わりにして登ってこようとする――


「撃て、撃て――ッ!」

「絶対に中に入れるな!」

「弾だ! 弾持って来い!!」


 そうして絶望的な村の防戦が始まった。



 ――防衛用に備蓄されていたはずの弾丸や物資が、ごっそりと無くなっていることがわかったのは、それからほどなくしてのことだった。


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