Chapter17 : 異変

 ――時は昨年まで遡る。



          †††



 秋の森は溜息が漏れるほどに美しい。


 紅く染まった落葉樹と、瑞々しさを保つ常緑樹が入り乱れ、目が覚めるような二色のコントラストを描き出している。


 しっとりとした落ち葉に覆われた大地を踏みしめながら、レックスは慎重に歩みを進めていた。


 この辺りはほとんど人の手が入っていない、限りなく自然に近い原生林だ。


 恵みの秋。豊穣の季節。


 だがそれは、来たる冬へのわずかな猶予期間に過ぎない。弱肉強食の原則はここに来ていよいよ厳しく、むせ返るような生命の息吹に浮かれ心奪われるようでは、この森の養分にされてしまう――



 そう、10メートルほど先、力なく大地に横たわるシカのように。



 レックスが仕留めたわけではなかった。ここに来たとき、すでに倒れていた。枯れ葉のベッドに沈むようにして、微動だにしない小柄なシカ。


 無言で周囲に視線を走らせたレックスは、手近にあった木の枝を拾い、シカの傍らに放り投げた。



 ころん、とシカの横に木の枝が転がった瞬間――ズドドドッと鈍い音を立て、地面から槍のように触手が何本も突き出す。



 わちゃわちゃと空間を掻き抱くように蠢く触手。しかしすぐにお目当ての『獲物』が存在しないことを察して、音もなくスルスルと地面の下に戻っていく。


「…………」


 続いて、レックスは腰のポーチから手榴弾を取り出し、安全ピンを抜いて無造作に投擲した。


 手榴弾が転がる振動を感知して、再び勢いよく飛び出す触手を尻目に、転がるようにして木の陰に身を隠す。


 爆音。


「――ギュイイイイィィィィッッ!!」


 つんざくような苦痛の叫び声。枯れ葉と腐葉土がめくれ上がり、地中から巨大なクリーチャーが姿を現した。


 それは、ナメクジに似ていた。だがその体長は4メートルを優に超え、皮膚はざらざらと乾いた質感をしている。そしてその背中から伸びる、先端が槍の穂先のように硬く鋭く発達した触手が、この怪物が大人しい森の掃除屋スカベンジャーなどではなく、捕食者プレデターであることを如実に物語っていた。


 手榴弾の破片に傷つけられ、身体の至るところから緑色の体液を流しながら、苦痛に身悶える怪物。怒りに燃える目玉がぎょろぎょろと蠢き、その視線が、木の陰から半身を乗り出したレックスを正確に捉えた。


 ぞわりと震えた背中の触手が、まるでヘビのように鎌首をもたげ、鋭い先端部をレックスに向ける――


 が、対するレックスはすでにショットガンの照準を合わせていた。


 発砲。


 続けざまに放たれるスラッグ弾。どぱっ、どぱんっと水気のある音を立て、怪物の頭部が弾け飛んだ。


 今度は苦痛の叫びを上げる暇すらなく、中枢神経を破壊された巨躯がズシンと大地に倒れ伏す。


「【マキエチョウジャ】がこんな浅いところに……?」


 銃を下ろしたレックスは、「うっ」と鼻のあたりを手で押さえながらつぶやいた。怪物の体液は生ゴミを煮詰めたような酷い臭いがする――普通、森の中で大きな音を立てたらすぐに離脱するべきだったが、この臭気を嫌ってほとんどのクリーチャーはしばらく近寄ってこないはずだ……



 ――【マキエチョウジャ】は、名前の通り『撒き餌』をする肉食クリーチャーだ。


 最大の特徴は、撒き餌を徐々にグレードアップさせていき、最終的に大型の獣の捕食を試みることだろう。


 まずは果物やキノコを囮に、鳥や草食獣をおびき寄せ、仕留める。そしてそれらの死体の一部を撒き餌にして、さらに大型の獲物を誘い込む。背中の触手による刺突はかなりの威力がある上、腐食性の消化液まで注入してくるので、大抵の生物は一撃で死に至る。


 弱点はその柔らかな肉体だ。大口径の銃さえあれば容易に打ち倒せる。逆に銃がなければ、高い生命力と触手の攻撃により討伐は困難を極めるだろう。



 レックスからすれば仕留めやすいクリーチャーではあるものの、臭いが酷すぎて食用に向かず、素材としての利用価値もないので、相手にするだけ損なヤツだった。


 が、ここで見つけたからには、駆除しないわけにはいかない。


 レックスの現在位置は、村の周囲の人工林を抜けてすぐのところ。つまり村は目と鼻の先で、レックスのような狩人だけでなく、採取や柴刈り目当ての村人も立ち入りかねない領域だ。


 果物や木の実を撒き餌に使っている段階で、うっかり村人が近づいてしまったらと思うとゾッとする。


「ちょっと念を入れて、辺りを見て回った方がいいかもな……」


 ショットガンに弾を装填しつつ、レックスはその場を離れることにした。他の個体が近くに潜んでいたら一大事だ。入念に確認せねば……


(……本当なら、もっと森の奥にいるはずなのに……)


 改めて、マキエチョウジャの死体を見やる。



 この頃、森の様子がおかしい。



 ここ数年の温暖な気候のおかげで木の実や果物、キノコの類は豊作のはずなのに、妙にギスギスした空気が流れているように感じられた。


 シカのような生態ピラミッドの下層に位置する獣も例年より多いのだが、痩せていたり、小柄だったりする個体が目立つ。加えて、森のずっと奥に生息しているはずのマキエチョウジャがこんな人里の近くにまで進出してきている――


「…………」


 ざわ、と胸騒ぎがした。


 森の奥へと視線を転じるが、自分以外に動く影は見当たらない。静かだった。まるで全ての森の生き物が、息を潜めているかのように。


 瑞々しい常緑樹と、紅葉した落葉樹がどこまでも続く風景。


 例年よりも鮮やかな森の緑と紅のコントラストは、美しさを通り越して、いっそ毒々しくすら見えていた――



          †††



 周辺の見回りを終え、シカを1頭仕留めてからレックスは村に戻った。


 森を抜けると開墾された農地が広がり、その向こうにウォルデンビー村がある。


『田舎の農村』と聞くと長閑な雰囲気をイメージするかもしれない。だがレックスの故郷は、過酷な辺境でも生きていけるように最適化された『要塞』だ。


 高さ数メートルの木とセメントの防壁にぐるりと囲まれ、四方に物見櫓兼銃座まで備えた物々しい造り。この中で100人に満たない村人たちが、慎ましやかに暮らしているのだ。


「おお、レックスおかえり! 見てくれよ、シカがこんなに獲れたぜ!」


 村のゲートをくぐると、幼馴染のサミュエルが嬉しそうに話しかけてきた。ダボッとしたオーバーオールを身に着け、よく日に焼けた好青年だ。


 サミュエルは農家の出身で、普段は畑仕事に精を出している。だが辺境の民の嗜みとして銃の扱いにも長けており、狙撃ならレックスよりもずっと上手かった。


 その証拠に、致命部位バイタルゾーンの胸部を見事に撃ち抜かれたシカが数頭、肉屋の親父の手でまさに解体されているところだった。


「ただいま! いいね、どこで仕留めたの?」


 どさりと自分が仕留めたシカを地面に下ろしながら、レックスは尋ねる。


「ふつーに、森から出てきたところを、そこの櫓からバーンと」

「ふぅん……」


 物見櫓を見上げて頷くレックス。


(……シカは森からあんまり出てこないんだけどなぁ)


 通常、かなり警戒心が強いシカたちは、見晴らしが良すぎる森の外には出てこようとしない。なのにこの頃は畑に出てきて農作物を食べようとする姿がちらほら確認されている。


「レックスも狩ってきたんだな! でも1頭だけだし、かなりちっさい! 頭数でも大きさでもオレの圧勝だなーフフーン!」


 胸を張って自慢げな顔をするサミュエル。幸運のお守りのシルバーネックレスが、ちゃりっと音を立ててきらめいていた。


「シカ狩りはサミュエルの圧勝だなぁ! でも俺も負けてないよ、大物を仕留めてきたんだ! 持って帰らなかっただけで」

「え、何を? ってか置いてきたの?」

「うん。マキエチョウジャだったから」

「――マキエチョウジャだと? そんなに奥まで潜ってきたのかレックス?」


 肉屋の親父が目を丸くして話に割り込んできた。


「割とすぐ近く、原生林に入ったあたりにいた」


 レックスの答えに、サミュエルと肉屋の親父が顔を見合わせる。


「……それ、ヤバくないか?」

大事おおごとだ! 他にもいねえか確かめないと!」

「一応、普段みんなが立ち入りそうなエリアは見て回ったよ。別の個体は見当たらなかった。念のため他の狩人にもチェックしてもらった方がいいかもだけど」


 ハァ、とレックスは小さく溜息をつく。


「そして、なんかヤバそうなのは同意。シカが妙に痩せてるし、マキエチョウジャがこんな森の浅いところまで出てくるなんて異常だし……村長に相談してくるよ」

「オレも行く!」


 そんなわけで、シカの解体は肉屋の親父に任せ、レックスとサミュエルは連れ立って村長の家へと急いだ――



          †††



「……結論から言うと、森の奥で生態系が崩れてました。食屍鬼グールの大量発生です」


 パイプ椅子に腰掛けたレックスは、ぽつぽつと語る。


「俺を含めて数人の狩人が、森の奥まで原因を探しに行って、奴らのコロニーを見つけました。ここ数年、温暖な気候が続いてたじゃないですか? だから森も果物やら木の実やらの食料が豊富で、その間に連中も数を増やしたみたいです。……そして、増えすぎた。グールは単体だと臆病なんですが、群れをなすと凶暴化する傾向があるんです。普段食べないようなものも食べるようになる……」

「積極的に他者を捕食するようになった、と。それが獣たちの生息域を圧迫したか」


 どっしり構えて話を聞いていたヘイミッシュがあごひげを撫でる。


「おそらく、そういうことです」

「飢えたグールのコロニーに近づいて、よく生きて帰れたな?」

「俺は、なんとか。他の仲間たちは逃げ切れませんでした。どうあがいても弾丸たまが足りなかった……」


 ぎゅっ、と膝の上で拳を握りしめるレックス。


「…………」

「かくいう俺も、村まで追ってこられないよう、連中を撒くのに数日かかりました。そして俺が村に戻る頃には、俺たち偵察組が全滅したと判断した村長が、村の防衛のために援軍を手配していたんです」

「……なるほど。それが――」


 じっとレックスを見つめていたカンナが、唇を噛みしめる。


「ああ。そうしてやってきたのが、【パズルパンサー】を名乗る連中だった」


 うなずくレックス。


 話を聞いていた【パズルパンサー】の面々も、表情を険しくした。


「地平線の果てから土煙を巻き上げながら、装甲車が3両もやってきたときは、そりゃあ頼もしく見えたものだけど……実際は……」


 力なくかぶりを振るレックス。異形の若者が嘆く姿を観察していたヘイミッシュが、ちらりと何気なくカンナを見やった。


「…………」


 カンナもまた無言のまま、ヘイミッシュに向かって、ぱち、ぱちと2回まばたきをする。


「……装甲車と言ったな。それは確かなのか? どんな車両だった?」

「その、ちょうどあそこに置いてあるのと、全く同じヤツです……タイヤが8つあって、機関砲がついてて……パズルパンサーのマークも描いてあって……」


 ヘイミッシュの問いに、レックスは気まずそうに肩を縮こまらせながら、親指で背後の装甲車を示す。


 パズルパンサーのガレージに置かれている、緑色の装甲車――


「それが……来たと? 間違いないか。他の車両ではなく」

「はい。間違いありません。同じのが3両です」

「ふぅむ……」


 物思いに浸るように視線を彷徨わせたヘイミッシュは、また、さりげなくカンナへと視線を向ける。


「…………」


 じっとレックスを見つめていたカンナが、ヘイミッシュに向き直った。



 そして――ぱち、ぱちと2回、まばたきした。



「……なるほど。話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」


 椅子に座り直しながら、ヘイミッシュは続きを促した。


「はい。……俺の村に来た自称【パズルパンサー】は、全部で15人でした。腕利きのレイダーという触れ込みの割には、妙にガラが悪く見えたのが印象に残ってます。今となっては、納得しかないですが……」


 普段は視野が広いレックスも、記憶の中、在りし日のウォルデンビー村を視ていたからか、カンナたちのアイコンタクトには気づかなかった。


「俺は、村に戻ってからも、森の獣の間引きに奔走してたんで、連中と交流する暇がありませんでした。でも奴らのリーダー、『エイヴリー』とかいう男とは何回か話しました。今でもハッキリと顔を覚えてます――」


 ぎり、と拳を握りしめるレックス。



 その意識は再び、去年の秋の暮れへと飛ぶ――

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