Chapter9 : 恩人


 賑々しいグラント市の空気。


 ありあわせの廃材を組み合わせただけのあばら家から、均質な石材の洗練されたビルディングまで、種々雑多な建造物が見渡す限りに建ち並んでいる。


 無秩序に張り巡らされた電線、贅沢にも電灯を用いた看板、けたたましい音を立てて頭上を飛んでいくドローン――


「さすが都会は違うなぁ……!」


 田舎育ちのレックスには馴染みのないものばかりだが、それでも『自分は【遺跡】から生きて帰ってきたのだ』と実感するには充分だった。


 赤の他人の、ろくに聞き取れもしない話し声が、こんなにも心に沁みるなんて。


 異空間を渡り歩いた反動か、未だにふわふわした感覚が抜けない。思わずレックスが振り返ると、相変わらず虹色の【極光壁オーロラ】がたゆたっていた。


 ゆらゆらと揺れる光の壁――


「どうだった? 初めての遺跡探索レイドは」


 と、レックスの視界に、いたずらっぽく微笑んだカンナの顔が飛び込んでくる。


「……刺激的だった!」


 考えるより先に、言葉が口をついて出た。


「緊張もしたし、怖い思いもしたけど、とにかく全てが刺激的だったよ!」

「……意外。怖い思いなんてしてたんだ?」


 目をぱちくりさせるカンナ。


「初めてとは思えない落ち着きぶりだったし、危なげもなかったし。てっきり恐怖なんて感じないのかと思った」

「いやいやいや。俺をなんだと思ってるんだよ! 怖いものは怖いさ」


 心外だ、とばかりに腕を広げるレックス。


「特に、銃撃戦なんてほとんどやったことなかったから、銃弾が近くをかすめたときはチビりそうだったよ。というかチビってないかな? 不安になってきた」


 わざとらしくズボンを気にし始めるレックスに、カンナは思わず噴き出した。


「全然そんなふうには見えなかったけど」

「まあ、表情には出づらいタイプかもね」


 おどけてコンコンと顔面の外骨格を叩いてみせるレックスに、今度こそこらえきれずカンナはころころと声を上げて笑う。


「『お宝』を見つけて、アグレッサーと戦って、カンナと出会って、待ち伏せも食らって……盛り沢山な1日だったなぁ」


 これでもまだお昼なんだよなぁー、と天頂の太陽を見上げながら呆れたようにつぶやくレックス。


「そうね、ここまで濃厚な探索レイドはそうそうないかも。誰とも何とも鉢合わせせずに、物だけ取って帰ることもザラにあるし……今回は初心者にはヘビーだったと思う。ほんと、お互い大事なくてよかった」


 ほう、と小さく溜息をついたカンナは、表情を引き締めて問いかける。


「……また、【遺跡】に潜りたいって思う?」


 "遺跡荒らしレイダー"は誰でもやれるが、は人それぞれだ。


 どんなに屈強な男も、銃撃戦のストレスには耐えられないこともあるし、逆に華奢な少女が図太く潜り続けることもある。


 カンナはこれから、レックスにノウハウを伝授していく気満々だったが、あくまで本人にやる気があればの話だ。【遺跡】への恐怖が強いようなら、手を引くべきだとも思っていた。レックスほどの怪力があれば、いくらでも仕事は見つかるだろうし。


(まあ、でも)


 念のために聞いているだけだ。答えはだいたい予想がつく。


「もちろん潜りたいよ! 俺は遺跡荒らしで成り上がるって決めてるんだ!」


 案の定、レックスはバリバリに前向きだった。


「俺には……ちょっと、夢があってね。そのためにはいっぱい稼がなきゃいけないんだ。あと、名を挙げて、うまい物もいっぱい食べて、車両も手に入れたい! 真面目に働くのも大事なんだろうけど、派手に稼ぐならやっぱりレイダーだよね」


 物資ではち切れそうな使い古しのリュック、貴重品が山ほど詰め込まれたバックパック、肩から何挺もぶら下げたアグレッサーのアサルトライフル――それらを揺らしながらレックスは笑った。


「それに自分で言うのもなんだけど、俺、けっこうレイダーに向いてると思うんだ」

「わたしもそう思う。レックスで向いてないなら、この世にレイダーに向いてる奴なんてひとりも存在しないわよ」


 深々とうなずくカンナ。「へへっ、やっぱり?」とレックスは少し照れた様子で、鼻の下あたりを指で擦るような仕草を見せた。(外骨格で覆われたレックスの顔に鼻はないが。)


「……ただ、狩りと遺跡探索とじゃ何から何まで違うし、色々学ばなきゃだね。経験がなさすぎるのは不安かなぁ……」

「それに関しても大丈夫」


 やや弱気になるレックスに、カンナはフフーンとドヤ顔を見せた。


「わたしが色々教えてあげる! もちろん、レックスさえよければね」

「それは――願ってもない話だけど、いいの?」


 まさに渡りに船だが、レックスは少し面食らってもいた。


 カンナが気のいい『先輩』であることはこの短い付き合いでも充分に伝わってきている。しかし、そこまで親切にしてもらえる理由がわからない。


「俺は……たしかに、カンナの命を助けたかもしれないけど、そのあと待ち伏せしてた敵をあらかじめ排除してくれたのはカンナだ。あれで貸し借りはナシになったっていうか……あんまりよくしてもらっても、嬉しいけど、俺には返せるものがない」


 困惑するレックスを見つめて――カンナは、寂しげに視線を逸らした。


「……昔ね。色々と偶然が重なって、ある人の命を助けたの」


 ここではない、どこか遠くを見るような目。


「その人はベテランのレイダーで、『恩返しに』って、わたしに遺跡荒らしのやり方を教え込んでくれた。当時のわたしは親に捨てられて、身寄りもなくて、知識も武器もなくて……どうしようもない状況だった。そんなわたしを、一端のレイダーに育て上げてくれた……」


 そっと自らの胸に手を当てるカンナ。


「今のわたしがあるのは、その人のおかげ。明らかに、わたしが命を救った以上に、その人はわたしを救ってくれた。だから、わたしも自分なりにもっと恩返ししようとしてたんだけど……とても返しきれた気がしないわ……」

「カンナ……」


 その口調に滲む悔恨の色に、レックスは悟った。


 カンナが語る『その人』は、もういないのだろうと。


「でね! そんなわたしが今日、レックスに命を救われたでしょ?」


 一転、にひっと強がるように明るい笑みを浮かべて、カンナがこちらを見る。


「それで、思ったの。『わたしの番が来た』って」

「カンナの……番?」

「そう。今度はわたしが、その人から受け継いだ知識を、誰かに与える番だって」


 自分の胸に当てていた手を、とん、とレックスの胸板にぶつけるカンナ。


「レックス、夢があるんでしょ? 短い付き合いだけど、レックスにはどうしても稼がなきゃいけない、差し迫った事情があるんじゃないかって感じたわ」

「っ」


 カンナの指摘に、レックスは思わず言葉に詰まる。


「それは――」

「ああ、探りを入れてるわけじゃないの、ごめんね。何にせよ、レックスはわたしの命の恩人で、立派なレイダーになりたがってる。そしてわたしは、それを手助けするだけの知識と経験がある。……なら、やるしかないでしょ!」


 カンナは笑い、スッと手を差し出す。


「これは、恩返しだから、レックスは遠慮しないで。むしろ、これでレックスが立派なレイダーになったら、『あの人』も喜ぶと思う」

「……ははっ、参ったな」


 差し伸べられたカンナの手を見つめながら、レックスは、コツンと自分の後頭部を撫でた。


 レックスの目は複眼だ。まぶたもなければ、眼球もなく、もちろん涙も流さない。


 レックスの顔は外骨格で覆われている。たぶん表情筋なんかもついていない。


 だからだろう。こういうとき、どうしようもなくなる。


 何か、溢れんばかりの感情があるときに、普通の人ならそれを表情に出したり、涙を流したりするのに――レックスには心を表現する術がないのだ。



 ただ、いてもたってもいられなくなる。



 変異種ミュータントに生まれて後悔したことはないが、こういうときは、無性に『普通の人』が羨ましかった。



「……ありがとう、カンナ」


 深呼吸して、レックスはその手を取る。


「俺を、一端のレイダーにしてくれたら、嬉しい」

「もちろん! 一端どころか、超一流にしてあげる!」


 ――わたしがなれなかった超一流に。


「……ありがとう! あと、カンナは遠慮するなって言うけど、俺も恩返しする! それこそカンナが嫌だと言っても、びっくりするくらい恩返しするから! 俺が成り上がった暁には――その、アレだよ、毎日腹一杯に美味しいものを食べたり、なんか寛いだりできるようにしてあげる!」

「あははっそれは楽しみね」


 レックスにぶんぶんと握手されながら、カンナは心底楽しそうに笑った。


「だから……カンナは長生きしてね」


 俺も頑張るから、と付け足された言葉に。


「……うん」


 ハッと虚を突かれたような顔をしたカンナもまた、しばしうつむいて。


「……よし。じゃあ早速、立派なレイダーになる第一歩を始めるわ!」


 何事もなかったかのように、不敵な笑みで告げる。


「――戦利品を売っ払いに行きましょ! どんなに良いものが手に入っても、高値で捌けなきゃ意味がないから!」

「おおっ、それは重要だ! よろしくお願いします先生!」

「あははっ先生なんてガラじゃないから、カンナでいいわよ普通に!」



 そうして笑い合ったふたりは、意気揚々と戦利品を売っ払いに向かうのだった。

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