第38話怒らせてはいけないひと

 深夜────安倍鴇盛邸。



 鴇盛の邸は、物理的にも霊的にも強力な結界が張られており、金品目的の泥棒すらこの邸を避ける。

 もし、泥棒に訳を聞く事ができたらきっとこう言っただろう。『家に入ろうとしたら、目に見えない、ブヨブヨとした壁があって中に入れない』と。



 または『霧が酷くて中に入れない』なども聞けたかもしれない。



 全てが寝静まり、庭で蟋蟀が二、三匹鳴いている程度であった。澄んで、ひんやりとした冷気を含んだ空気に混じって、菊の花の匂いが鴇盛の寝室で漂っていた。

 それは、昼間に水盆に生けた小菊の匂いだ。



 何時もであれば気にも留めないと言うのに、何故だろう、今日は妙に気になって眠れない。



「・・・・・・」



 鴇盛が、その痩身を起こした時である────。



 「う────ッ!」



 薄暗がりの、月明かりも心細い頃。その心許ない中でも、襖の向こう側に誰かが立っていたのが分かった。



「ひ、ゥヒィッ・・・・・・き、貴様は・・・・・・ッ!」



 鴇盛は悲鳴を上げた。情けないほどに声高い悲鳴を上げたのに、普通であれば、その声を聞きつけ不寝番で隣室に居るはずの護衛達がやって来る筈なのに、来ない。



「お、おいっ! 誰か・・・田口っ、おいっ・・・・・・誰かいないのかっ」



 まるでその声に応えるように襖がすー、と開いた。



 寝室の向こう側の廊下に立っていたのは、艶鵺であった。

 ダークスーツに身を包んでいるせいか、闇夜に溶け込んでいた彼が、細い月明かりに浮かび上がる姿は、余りにも異形めいていた。



「何の用だっ、儂は何もしとらんぞ・・・・・・ッ!」



 情けない言い訳を叫んでいる鴇盛に、艶鵺は苦笑いを浮かべながらずかずかと入り込んでいく。



「今日は貴方に警告とお願いをしに来ました」



 鴇盛の悲鳴も言い訳も無視して艶鵺は、一方的に話し始めた。



「貴方の可愛いお孫さんに好矢見町にこれ以上関わらないように貴方から働きかけてください。 それから、この件に貴方も関わらないように・・・・・・良いですね?」



 鴇盛はブンブンと首を縦に振り続けた。好矢見町に関わるな、と言うのは一部の霊能者達の心得である。



 動画配信、廃墟凸、除霊浄霊を行うのはまだ許される。しかし、あまりが過ぎるのは許されていない。



「では、努々お忘れなきよう・・・・・・お願いしますね」



 静かに言いおいて、廊下を出て行った。それから暫くして、漸く物音に気付いた田口が隣室から覗きに来た時には、老人が布団の上でをして異臭を放ちながら唖然としている姿を見つけるのであった。



  

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