ふたり麻雀

あべせい

ふたり麻雀



 郊外のファミリーレストラン。

 湯沢結城が妻の美百合と8才になる娘みゆを連れ、テーブルにつく。

 すぐに若いウエイトレスがやってくる。

「いらっしゃいませ。何になさいますか?」

「待って。いま、来たばかりよ。メニューを見るから」

「ご主人さまはいかがなさいますか?」

「家内の言う通りに……」

「かしこまりました。では、お決まりの頃、おうかがいします」

 立ち去ろうとすると、美百合が制止する。

「待って」

「何か?」

「わたし、いつも気になるンだけれど、あなたがいま言った、『お決まりの頃』って、どんな頃?」

「お決まりの頃、ですが……」

「だから、わたしたちの『お決まりの頃』って、あなたにどうしておわかりになるの?」

「はァ?」

「だからよ、わたしたちが注文の品を決めたってことが、あなたにどうしてわかるの、って言っているの!」

「それは……」

「あなた、ここのテーブルだけ、ずっと見張っているわけではないでしょう。ほかにもお客さまがおられるンだから」

「オイ、もういいだろう」

「あなたは、黙っていて!」

「ときどき、こちらのテーブルを拝見いたしますから」

「でしょう。だったら、忙しくて、『お決まりの頃』じゃなくて、『お決まりになって、しばらくたってから』、ということもあるでしょう?」

「はァ、そういうことがあるかも知れません」

「だったら、そう言いなさいよ」

「申し訳ございません。では、改めまして、『お決まりの頃』か、『お決まりになって、しばらくたってから』、もう一度おうかがいします」

「あなた、お名前は? 名札があるのね」

 ウエイトレスは、名札が見えるように、わざとらしく美百合のほうに突き出す。

「『梨木美咲』……なるほど。気の強そうなお名前ね。もう、下がっていいわ」

「失礼しますッ」

 美咲、怒りに耐えながら立ち去る。

「きょうのお母さん、おかしい」

「みゆの言う通りだ。きょうのおまえはどうかしている」

「そうかしら。そうでもないわ」

 従業員の溜まり場になっている厨房の前。

 美咲が、荒れている。

「あの女、あれで世間が通用すると思っているのかしら」

 同僚が現れる。

「どうしたの、美咲ちゃん」

「A13番のお客。女のほうよ。『お決まりの頃、おうかがいします』って言ったら、『お決まりの頃』って、『どういう頃かしら』だって。頭にきちゃう!」

「いるわよ。そういうヘンな客。ほっときなさい。不機嫌のまま来て、わたしたちにやつ当たりしているだけなンだから。いちいちお客のヒステリーにつきあっていたら、体がもたないわ。それより、美咲ちゃん、トイレの定時検査の時間よ」

「そうだ。忘れていた。行って来る」

 美咲は、客用のトイレに急ぐ。

 結城が、視線の端で美咲をとらえた。

「ちょっと、トイレに行ってくる」

「お父さん、行ってらっしゃい」

 結城、男性用トイレに入る。

 美咲が、その中で鏡やペーパーをチェックしている。結城に背中を向けたまま、

「お客さま、すいません。あと、10数秒で終わりますから」

「いいよ、ゆっくりで」

 美咲、ハッとして振り返る。

「あなたッ」

「ごめん」

「どうして、お店に来たの。来るときは、一人でって、約束でしょ」

「娘のみゆが、ここのハンバーグを食べたいと言い出したから」

「だったら、みゆちゃんと2人で来ればいいじゃないの」

「美百合を置いてか」

「当たり前でしょう。わたしに、ここで大立ち回りを演じさせたいの!」

「しかし、この頃、ご無沙汰だろう。メールしたって、返事くれないし」

「わたしにだって、いろいろ都合があるの。奥さんにバラしてもいいの」

「待ってくれよ。昼飯を食べたら、すぐに帰るから」

 そのとき、ドアノブに手をかける音がする。

「まずいわ。入って」

 美咲、ボックスに結城を押し込み、自分も入る。

「痛いッ。足を踏んでいる」

「黙って!」

 男性客が用を足して出ようとすると、ドアが開き、美咲の同僚が立っている。

「失礼しました。どうぞ」

 同僚は、一歩退き、男性客に譲ってから、中を覗く。

「美咲ちゃん」

 美咲、ボックスの中から、

「汚れていたので、ボックスの中、いま簡単に掃除していまーす」

「じゃ、早くお願いね。グループ客が来たから」

 同僚は出ていく。

「あなた、早く、出なさい」

「おれ、おかしな気分になってきた」

「なに、バカなこと、言ってンの!」

 美咲、結城を振りきってボックスのドアを開けて出る。

 結城、出ていく美咲の背中に、

「今夜、行ってもいいだろう?」

「奥さんに、相談したら」

 結城がテーブルに戻ると、

「お父さん、遅かったね」

「先にひとがいたからな」

「あなた、どんな、ひと?」

「そ、それは、お客だよ。決まっているだろうが」

「そうよね」

「美咲お姉さんが来た」

 美咲、やってくる。

「ご注文、お決まりでしょうか」

「決まったわよ。みゆ、言いなさい」

「わたしは、チーズハンバーグに、フルーツケーキに、チョコアイスに、サラダセット。お母さんは250グラムサーロインステーキに、イタリアンサラダに、チョコムースに、チョコパフェに、スープセット。それに人数分のドリンクバー……」

「みゆ、キッズ用のメニューにしなくていいのか?」

「お母さん、ダメ?」

「いいわよ。食べきれなかったら、わたしがいただくから」

「8才の娘が、大人用の料理が食べきれるわけがないだろう」

「いいから、みゆ、続けて……」

「お父さんは……何だっけ?」

 美咲、みゆを見つめる。

 美百合、娘に目配せ。

「そうだ。お父さんは、オニオンスープだったよね」

「おれはまだ何も決めてないゾ」

 メニューを開く。

「そうだな、おれは……」

「あなた、これからゴルフに行くンでしょ。いつも、ゴルフ場のクラブハウスはうまいメシを食わせてくれるって言ってるじゃない」

「そうだった。忘れていた」

「帰りは、遅いンでしょ」

「仲間とゴルフの後、いつものように麻雀になるから、徹夜だろうな」

「お父さん、麻雀って、おもしろいの?」

「おもしろいから、やるンじゃないか」

「2人で、するの?」

「麻雀は4人だ。だれが2人って、言ったンだ?」

 美百合、美咲を見つめる。

「あなた、いつまでいらっしゃるの」

 美咲、慌てる。

「ご、ご注文は、もうよろしいでしょうか?」

「娘が言った通りで、いいわ」

「失礼します」

 美咲、立ち去る。

 30数分後。

「おいしかった。お母さん、トイレに行ってくる」

「気をつけて」

 みゆ、トイレへ。

「あなた、この店、よく来るの?」

「おまえたちと一緒に来るだけだから、これで3度か4度目だろう」

「でも、ここんところ、来てないわ。3ヵ月ぶりかしら」

「そうかな」

「みゆはファミレスのハンバーグが食べたいと言ったけれど、この店とは言わなかった。どうして、ここにしたの?」

「それは、最近来てないからだ。いつも同じ店だと飽きるだろう」

「それにしては、あなたを見る従業員の目、馴れ馴れしくない?」

「そうかな」

「特に、美咲って名札をつけたあのウエイトレス、あなたのことをよォく知っている、って顔をしていた」

「おまえの気のせいだ」

「このファミレスは、うちから車で5分、歩いても20分ほどで来れる。あなた、3ヵ月ほど前から、休みの日の午後、一人で散歩をするようになったでしょ」

「医者から、中性脂肪が高いから歩けって言われたからだ。前に説明しただろう」

「わたしを誘わなかったのは、なぜ?」

「最初、誘ったら、歩くのは嫌いって言ったのはだれだ」

「言ったわ。あの日は、疲れていたから。昼寝しているほうがいいと思ったから。その後は、一度も誘ってくれない」

「……」

「その散歩は、1ヵ月ほどで終わったわね」

「飽きたンだ」

「そのあと、こんどはゴルフに行くようになった」

「散歩より、おもしろいからだ」

「お仲間がいるから?」

「そッ、そうだ。ゴルフは一人じゃないから、気がまぎれる」

「わたしもこんどゴルフに行きたいな」

「おまえは、運動が嫌いなはずだろ」

「運動は嫌いだけれど、ゴルフの後の麻雀をしてみたい」

「麻雀はダメだ。あの麻雀には、おまえは入れない」

「どうして?」

「どうしてもだ」

「麻雀仲間がわたしを嫌っているから?」

「それは……」

 みゆが戻ってきた。

「みゆ、遅かったな」

「こんどはお母さんが行ってくるから」

 美百合、トイレへ。

 みゆ、母が見えなくなるのを待って、紙片を差し出す。

「お父さん、これ」

「なんだ、それ」

「美咲さんが、お父さんに、こっそり渡してくれって」

「エッ」

 結城、紙片を開く。

『こんやはダメ』

 結城、メモを握りつぶして、ポケットに。

「お父さん、それ何?」

「なんでもないッ」

「お母さんに、内緒なの?」

「ウッ」

「美咲さんって、きれいな人だね。お母さんとよく似ているけれど、お母さんより、若い」

「あの人は……お父さんの会社の……お客さまだ。そうだ、大切なお客さまだよ」

「お父さんの会社って警備の会社でしょ。デパートとか、会社を警備するンでしょ。女の人も警備するの?」

「あの人が住んでいるマンションの警備だ。管理室に警備員を常駐させているからな」

「それで、親しいンだ」

「親しいってわけじゃない」

「それで、お母さんに内緒なの?」

「お母さんに余計な心配をさせたくないからだ。もう、その話は終わり」

「終わり、って何が終わりなの?」

 美百合が戻ってきた。

「わたしたちが終わり、って?」

「こどもの前で、何を言うんだ」

「お父さん、今夜はダメ、なんだって」

「オイ、みゆ!」

「みゆちゃん、なに? お父さんが今夜ダメって?」

「ゴルフも麻雀もダメになった、ってことだ」

 美百合、不審げに。

「どうしたの、急に?」

「いま、携帯にメールがあって……」

「ホント? あなたのあの恥ずかしい着信音が鳴ったの。わたしには聞こえなかったけれど」

「マナーモードにしてある」

「そのメール、見せてよ」

「お母さん、お父さんのポケットの中。ズボンの右ポケットよ」

「みゆ、なにを言うンだ」

 結城、テープルの陰でポケットからメモを取り出し、隣のテーブルの下に投げた。

「携帯はズボンのポケットじゃない。ここにある」

 胸ポケットから携帯を出す。

「メールは削除したよ」

「素早いのね。じゃ、あなたも、ご飯を食べなきゃ」

 美咲に手を振る。

 美咲、やってくる。

「この人、いまから食べるンですって」

「何になさいますか?」

 結城、メニューを取って、

「エーッと……」

「そうね。この人は、持ち帰りのお弁当がいいかしら?」

「どうして、おれは持ち帰りの弁当なンだ」

「今夜のあなたは、外で食べることになるかもしれないから。2人前かな」

「2人前!?」

「お昼と夕食の分だけれど」

 美咲をチラッと見て、

「2人前なら、どこかのいい人と2人で食べてもいいわね」

 美咲、キッときて、

「お持ち帰りの弁当を2人前ですね。弁当は和風と洋風の2つがございますが」

「美咲さん、あなた、さっきわたしがトイレから出てきたとき、追いかけてきたわね」

「それは……」

「いい加減にしないか。この方は仕事中なんだ。ご迷惑だろう」

「あなたは黙って! 美咲さん、言ったわね。『奥さま、これをお使いください』って」

「はい……」

「そして、おしぼりを差し出した。あれは、何のまね?」

 結城、驚愕。

 と、みゆが、

「わたしには、なかった」

「手を拭いていただこうと……」

「わたしにだけ? わたし、気味が悪かったから、無視したでしょ。ああいうことはしないでくれる。前に主人に聞いたことがあるの」

「オイ、なに……」

「トイレから出てきたお客におしぼりを出すのは、風俗の女性がすることだって」

「お客さん、それはどういう意味ですか!」

 険悪になる美咲と美百合。

「あなたはその程度の女ということ、かしら」

「オイ、このひとに失礼だろう!」

「きょうのお母さん、おかしい……」

「みゆ、このひとはね、お父さんの……」

「オイ、なにを」

「お父さんのなに?」

「麻雀のおともだちなの」

「麻雀、って?」

「大人の遊び」

 美咲、キリッとなり、

「失礼ですが、わたし、ご主人と麻雀をした覚えはありません」

「もちろんだ」

「わたし、きょうここに来て、はっきりわかったの」

 美咲と結城、緊張する。

「この人とはもうやってらンないって。みゆ、これが最後になるわ。お父さんと食事するのは……」

「なにを言い出すンだ」

「わたし、失礼します。仕事がありますので」

 美咲、立ち去ろうとすると、

「待ちなさいよ」

 美咲、ギクっと立ち止まる。

「全部、わかっているのよ。あなたが、うちの人と、毎週土曜の夜、麻雀していること。最近は毎週じゃないわね。3週か、2週に一度くらい……」

「よさないか。こどもの前だ」

「じゃ、どうして、わたしたちをこの店に連れてきたの」

「だから、それは、みゆが……」

「最近、美咲さんとの関係がきしみだしたから、刺激を与えようとでも思ったの?」

「奥さま、この際ですから、言わせていただきます。わたしは、この方とは麻雀をしようとは思っていません。これからも、死ぬまでずーっと、絶対に。ご主人に、わたしを誘わないようにお伝えください」

「美咲! それはどういう意味だ」

「あなた、この方を『美咲』って、呼んだわね」

「そ、それは」

「あなた、麻雀なら、わたしとでもできると思ったら、大間違いよ」

「お母さん、麻雀はやっぱり2人でするものなのね」

「そうよ。但し、気の合った者どうしね」

「みゆは一緒にできないの?」

「3人ですると、ケンカになるわね。いまのわたしと美咲さんのように」

                 (了)

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ふたり麻雀 あべせい @abesei

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