第44話 二人の麗奈
そこは闇だった。
恐怖をもたらす闇でもなければ、重苦しい闇でもない。
永遠に近い透明感を持ちつつ、透明度ゼロの闇。不快感を全く感じさせない闇。まるで吸い込まれてしまうかと思うほどに高く遠く大きな闇。
彼方はこの闇に似たものを知っていた。それは宇宙。見上げれば、どこまでも見えるようで何も見えない夜の空。望遠鏡で覗けば吸い込まれてしまいそうになる宇宙の闇。それに酷似していた。
「人はそれぞれ小宇宙を持っているってか?」
冗談めかして言いながら、彼方はその小宇宙を泳ぎ始めた。呼吸できる水の中を泳いでいる。それが今の彼方を端的に表した表現だといえた。
しばらく泳いでいると、彼方は闇の中にかすかな光を発見した。ほかには闇しかないため、かすかなものでもその光はよく目立つ。
「やっぱり宇宙には星がなくっちゃな」
ほかには何の目印もないので、彼方はその光に向かって泳ぎ始めた。
彼方は自分が想像している以上の速さで星に近づいて行く。距離感はもとより、時間感覚さえ曖昧なため、単にそう感じただけかもしれないが。
そうして近づくにつれ、彼方には光の正体がわかってきた。光の発生源は二つの人影。それはここにくる前にも見た、二人の麗奈。
「……ここにも麗奈が二人もいる。一体どういうことなんだ?」
「彼方君?」
「空野彼方! 何故こんなところに?」
反応する二人の麗奈。共に上げるのは驚きの声。だが、その中身には違いがあった。
一つは、驚きと共に不安を己の心に広がらせる声。もう一つは、驚きの原因に対して怒りを向けてきそうな声。
彼方は泳ぐのをやめた。しかし姿勢を戻しても、慣性の力が働いているのか、そのままゆっくりと麗奈に近づいていく。
「麗奈に会うためにここまで来たんだ。……しかし、何で麗奈が二人もいるんだ?」
そのまま彼方は二人の麗奈の側に降り立った。
「……彼方君、何しにきたのよ」
「麗奈は誰にも傷つけさせはしないわ!」
自らを抱きかかえ小さく震える一人の麗奈。もう一人の麗奈は、その麗奈をかばうように彼方との間に入る。
「俺は麗奈を傷つけにきたわけじゃない」
「わかるものですか!」
反論しよとしたが、それよりも彼方には麗奈を庇うその麗奈の存在の方が気になった。
「……君はその
「私は私よ。麗奈を護るもの。それが私」
かばって立つ麗奈の言葉に彼方は首をひねる。その様子に、後ろの震える麗奈が弱々しげに口を開いた。
「彼女もレイナ。
「違う! 私よりも
レイナは震える麗奈を抱きしめた。それを見る彼方にできるのはただ混乱することだけ。
「一体何がどうなっているんだ? 生徒会室でも二人の麗奈がいたし……」
「!? なんですって!? あなたには麗奈が見えていたっていうの!? 嘘おっしゃい!」
「嘘なもんか!」
「あなたなんかに麗奈のことが見えるわけがないわ!」
互いに譲らない彼方とレイナ。それを見かねてか、陰から麗奈が間に入ってくる。
「……彼方君が言ってることは本当だと思う。だって彼方君は最初に私達を見た時に確かに言ったもの『ここにも麗奈が二人いる』って」
「そう言えば……」
麗奈に言われてレイナも思い出したようだ。
「けど、だからと言ってあなたを認めるわけにはいかないわ。麗奈のことが見えていたなら、どうしてこんなところまで追いかけてきたのよ。見えていたなら、そっとしておいてあげるべきだわ」
「俺は麗奈を助けに来たんだ」
それは希哲学に言われたこと。彼方が率先して行おうとしたことではない。事実、希哲学の言う「麗奈がよく生きるため」の意味を理解してここまで来たわけではない。だが、レイナの陰で小鳥よりも儚げに縮こまる麗奈を見た今の彼方から出たその言葉は、彼方の真なる想い以外の何ものでもない。
「嘘だわ」
しかし、レイナは彼方の想いを即座に否定する。
「麗奈を助けるというのなら、なぜあなたは麗奈の邪魔をしてきたのよ!」
「邪魔とは、今回の一連の騒ぎのことか?」
「それ以外に何があるっていうのよ!」
「あれは本当に麗奈がやろうとしたことなのか? 俺には、あれは麗奈ではなく
「くっ……」
レイナは何か言い返したげだが、言葉に詰まり、ただ彼方を睨み付ける。
「図星のようだな」
「そ、そんなことはないわ!」
それでもレイナは強気だった。
「私は全部麗奈のためにしていたのよ。少しでも麗奈の役に立つために、麗奈を助けてあげるために」
「そう言って麗奈を利用したのか──」
バフッ
彼方はいきなり吹き飛ばされた。
今までにない程の鋭い目つきをしたレイナが右手を前に突きだしている。直接殴られたわけではない。伸ばして手が届くような位置には二人はいなかった。見えない何かに跳ね飛ばされたような感じだった。
彼方は今の攻撃を受け、反射的に惑星達を呼ぼうとした──が、反応はなかった。
「無駄よ。ここは麗奈の心の中。すべては麗奈の思い通りの世界。あなたの武器は使えないわ」
思い通りの世界──つまり、離れた場所に見えない攻撃を仕掛けることも可能な世界だと彼方は理解した。しかし、それでも彼方は口を閉じる気にはならない。
「都合の悪いことを言われると、力づくで口封じかよ」
レイナの眼光が更に鋭くなる。そしてその口は再び開こうとしたが、途中でそれをやめた。代わりに、麗奈の左手を掴み、手の裏側を向けて彼方の方に突き出させる。
「これを見なさい」
抑揚のない無感情な声。だが、レイナに言われるまでもなく、彼方は自分に向けられる麗奈の手首に見入っていた。
そこにあったのは痛々しい傷跡。深い深い、今にも血が溢れてきそうなほどの傷。跳ね飛ばされ、距離のあるところからでも容易に見ることができる傷。
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