第31話 哲学フィールド突破
一方、こちらは哲学フィールドの中。
「どういうことだ!? 波佐見ととろりんの姿は消えて行ったのに、何故俺達はまだこんな所に残っている!?」
一瞬、自分の身体が戻ってきたかのような感触を得た彼方達だったが、波佐見がいなくなるのと同時にその感触や神の存在感も吹き飛び、再び何も持たない心だけの不安定な存在へと戻っていた。
『ようするに、あなた方は神の存在を信じてはいないということです。神を信じていないが故に、自分の心の中に神の観念がある、神は全知全能の完璧な存在である、神から認識能力を与えられた、そのようなことを言われても納得できなかったわけです』
「そんなの仕方ないじゃない! 『神が存在する』なんて言われて、今時一体誰が信じられるのよ」
『その通りです。あなた方の感じていることは全くもって正しい。現代の人間、特に日本人としてはごく自然な反応です。けれども、それ故にあなた方は、神に頼らない自分なりの存在証明をせねばならないのです』
「自らは何も手を下さなくとも、相手が自滅していく。……哲学フィールド、ここまで恐ろしい技だとは」
「……そんなこと言っている場合ですか? 何とかしないといつまでもこんな所に閉じ込められたままなんですけど」
「わかってる。だから、これからそれを考えていくんだろうが。……えーと、波佐見が言っていた『我思う、故に我在り』それに関しては俺達も納得できるよな?」
「ええ。こうして喋ったり、あるいは動いたりしている実体としての私は夢かもしれないし、存在していないかもしれない。でも、喋っていると思っている私、動いていると思っている私は存在してるってやつね」
「そうだ。神うんぬんが出てくる前のそこまでなら俺達も信じることができる」
そう考えると、実体を何も持たない今の彼方達だったが、心として存在する自分自身だけは確かに存在すると再認識でき、その存在感は堅固なものとなった。これで彼方達は、心までが消失し、この世界から完全に消滅してしまうという最悪の事態に陥ることはなくなった。
「あとは、それを手掛かりにして自分なりの答えを見つければいいんだ……」
『ですが、それはとてつもなく難しいことです。なにしろ、過去の偉大な哲学者でさえ、神などという裏技に頼って答えを導き出さねばならなかったのですから。けれども、私はあなた方に期待しているのです。あなた方なら、もっと興味深い答えを見つけてくれるのではないか、と』
「気楽に言ってくれるわね!」
「落ち着けよ、盟子。興奮していてはまとまる考えもまとまらないぞ。こういう時は目を閉じてじっくり考えるのが一番なんだ」
「目を閉じるも何も、今の私達にはその閉じる目さえないじゃない」
「あははは。そう言えばそうだったな。何にもない闇の空間があるだけだから、俺は一瞬、目を閉じているのかと思っちまった──ん、目を閉じるか……。そういえばさ、目を閉じると、真っ暗なんだが、その中にキラキラ輝く光が見えるよな」
「光の残像じゃないんですか?」
「目を閉じて視覚を遮断しているにもかかわらず見える光、それは俺達の心が見ている映像じゃないんだろうか」
相変わらず、品緒のツッコミは無視された。
「俺はその光に似たものを知っている。──それは宇宙だ。閉じた目の中で明滅する光は宇宙で輝く星の光に酷似している」
彼方の自信の満ちた言葉により、何もない闇だけの空間に星の光が充満した。
「心の存在はすでに証明されている。だから、その心が宇宙の映像を記憶しているならば、宇宙もまた存在するということだ」
「でも、どうして心が宇宙の姿を記憶しているの? 私は宇宙なんて写真でしか見たことないし、今の日本じゃ空を見上げたって、星空だって見えやしないのよ」
「別に、俺達が目で見たものを記憶しているんじゃないさ。こうやって俺達が今この空間の中で見ている宇宙の姿は、正確には今の俺達がこの目で見たものじゃない。これは、俺達の体を構成する原子の一つ一つがかつて見たものなんだ!」
『原子の一つ一つですか?』
「そうだ。俺達の体を構成している原子、いや俺達だけでなく、他の動物も、この学校も、この地球をも構成している様々な原子は元々、宇宙で輝く星から生まれたんだ。
宇宙開闢のビックバンから約一秒後、宇宙の温度はおよそ百億度。その時に宇宙空間を占める物質はプロトンとニュートロン。だが、数分後には温度が一億度ほどまでに低下し、水素とヘリウムが作られた。
そして、それらの水素やヘリウムは寄り集まって恒星を作る。誕生した恒星内部では、熱核融合反応により四つの水素原子核が一つのヘリウム原子を作るが、中心部の温度が一億度を超えると三つのヘリウム原子核から一つの炭素原子核を作る反応も起こるようになり、星は赤色巨星へと成長していく。この時、炭素元素はいまだ星の中にあるだけだが、星の内部では対流が起こり、炭素も星の表面近くに移動していく。赤色巨星にまでなった星は大きさがべらぼーにデカイから、外側における重力はかなり弱くなってしまっている。そのため重力よりも外へ行こうとする力の方が強くなった炭素元素は、星の表面から飛び出し恒星風として宇宙に散らばっていく。
また、質量がある一定以上ある星は、成長の最終段階として超新星と呼ばれる大爆発を起こす。その時、Ⅱ型超新星と言われる爆発──中性子星が残る爆発──において酸素元素が合成され宇宙に飛び散る。この時の爆発では、その酸素だけでなく超ウラン元素あたりまでもが一気に生成される。また、Ⅰ型超新星──後に何も残らない大爆発──においては、鉄の元素が作られる。
このようにして、すべての原子は、宇宙の星星から生まれたんだ。そして、今俺達がこの空間で見ている宇宙の輝き、それらは、俺達の原子の一つ一つが経験し記憶してきた本当の宇宙の輝きなんだ」
「……宇宙の輝き」
「そして今、心だけになった俺達が、原子の過去の記憶をこうして見ることができるということは、その原子も、そして原子が見てきた宇宙も星も、俺達の心と共に確実に存在しているということの証しにほかならない」
「そして、原子が存在しているということは、それによって作られている私達の身体も、そして外界にあるものも確かに存在している……そういうことね!」
「ああ! その通りだ!!」
その瞬間、彼方達の前に光が溢れた。その光の中で彼らは気づく、自分達の中に手足の重さが戻ってきたことを。
『はっはっは! 実におもしろいですよ、あなた方は! さすが天文部部長といったところですかね。およそ世間で認められる説とは言えませんが、宇宙を愛するあなたにとってはその答えこそ、まさに真の答えだといえるでしょう。それに、そこに思考と論理さえあれば、それは立派な哲学なのです。私自身、非常に有意義な時間を過ごさせてもらいました。また共に知を求めて議論できる日を楽しみにしていますよ』
学の声が次第にフェードアウトしていく。そして、それが完全に聞こえなくなった時、彼方達は元の昇降口に戻って来ていた。
だが、哲学フィールドの中に閉じこめられる前と今とではその場所には大きな違いがあった。廊下に倒れている、サッカーのユニフォームを着た十一人の人間と、そして波佐見将棋。こんなのは哲学フィールドに入る前にはなかった光景である。
彼方は慌てて波佐見に駆け寄り、その傷を見て一言。
「傷は深いぞ、がっかりしろ!」
「……それが怪我人に言う言葉ですか……ガクッ」
いまだわずかに意識があった波佐見だったが、ついに力尽きた。
「おかしい人を亡くしましたね」
「それを言うなら惜しい人でしょ!──ってだいたい、まだ死んでないって」
相変わらずの手品で取り出したハンカチで泣き真似をしている品緒に、盟子が律儀にツッコミを入れる。
「しかし、一体何があったんだ……」
「部長~!」
「わっ! と、とろりん!」
視認していなかったとろりんにいきなり抱きついてこられて、彼方は疑問も吹き飛ぶほどに大いに焦った。波佐見の上半身を抱え持っていた手を思わず離してしまうくらいに。……なお、手を離された波佐見がゴンという地味だがダメージのデカイ一撃を後頭部に食らったのは言うまでもない。
「どうしたんだ、一体?」
慌てる彼方だったが、とろりんの目が真っ赤で、今にもこぼれ落ちそうな滴を溜めているのに気づくと、焦りも綺麗に消え去り、とろりんのその小さな頭を優しく撫でてやることができた。
「無事で何よりだよ、とろりん。……何があったのか話してくれるよな?」
とろりんは彼方の胸に顔をうずめたまま、ゆっくりとうなづいた。
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