第14話 阿仁盟子への刺客
「……許せないわね、あれだけ大きな口を叩いておいて逃げ出すなんて」
風紀委員の時と同じく、麗奈は生徒会室の窓から彼方達の戦いを観戦していた。
大口を叩いてたわりに、あっけなく逃走する阿仁盟子。
彼女の姿は、麗奈は過去の自分を思い出す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「麗奈、聞いたぞ。今朝、遅刻したそうじゃないか!」
遅刻とはいえ、朝の
ソファで小さく縮こまっている麗奈にかけられた父の声は失望の色が濃かった。
「……ごめんない。でも、昨日は──」
「言い訳なら聞きたくないぞ! 言葉だけならいくらでも並べられる。要は結果的に何をなしたかということだ!」
「……ごめんなさい、お父様」
今日は父親の誕生日。一ヶ月以上前から、忙しい勉強の合間を縫ってこの日のために少しずつセーターを編んできていた。だが、誕生日前日になってもまだ仕上げられていなかった。誕生日を過ぎてからの
だから麗奈は無理をした。毎日十時には寝ている麗奈が、その日ばかりは明けの明星が出るころまで頑張った。その甲斐あってなんとか仕上ることができたが、そのつけは朝にきた。毎朝六時にしっかり起きている麗奈が寝過ごしてしまったのだ。父親は仕事の関係で出張、母は夜勤、家政婦が来てくれるのは昼過ぎから。だから起こしてくれる者はいなかった。
(すべて私が悪いのだ。不器用で手が遅い私が……。いや、計画性がないのがいけないのか。もっと前から作り始めていれば、あるいは一日の時間配分をもっと考えていれば……。これではセーターをお父様に渡せない。遅刻してまで作ったセーターなんてお父様は喜んでくれないだろうし、なによりお父様の期待を裏切ってしまった私にはお父様にプレゼントを贈る資格なんてない)
瞬きすれば涙がこぼれ落ちてしまう。そうならないように大きく開いた目を、罪悪感から父親を正面から見据えられず床に向けながら、麗奈は小言にじっと耳を傾けていた。父の一言一言をしっかり噛みしめながら。
結局麗奈のセーターは押入の中に眠ることになった。麗奈自身以外には誰にもその存在を知られないまま、今もまだその中に──
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「でも、負けたわけではないですし……」
生徒会副会長の声に、麗奈は我に返る。
「人が評価されるのは、何をなしたかというその結果においてよ。彼女にあるのは勝てなかった、天文部を潰せなかったという、その事実だけよ」
過去の記憶を頭から消し去り、およそ感情など消え去ったかのような冷たい一言。内容もそうだが、その口調があまりにも寒々しく響く。
「所詮は同好会。部と比べればランクが下ということだ」
室内の会議用の椅子には、まだ二人の人間が座っていた。一人は羽織袴の将棋部、もう一人は人形を携えた無表情な生徒。声の主は、羽織袴の男だった。盟子の失態の報告を聞こうと、ここで待機していた彼の声は弾んで聞こえる。
『だったら、次はオレらが天文部の相手をしてやろうカ』
今度のソプラノの声は、無表情の生徒の持つ人形から発せられたもの。
「
もはや戦いの終わった校庭に目を向ける意味を失った麗奈は、体の向きを室内に戻した。
「ええ。もし阿仁盟子が失敗した時の次の相手の予約は、あなたからすでに受付ているわ」
「そういうわけだ、腹話術部君。なにしろ、私はアニメ同好会が天文部の相手をすると言った時からすでにこうなることを予測して、生徒会長に頼んでおいたんだからな。これぞ将棋部の先読みの力の現れ!」
「……変な呼び方をするのはやめてくれないか。僕には腹原操(ふくはら みさお)っていう名前があるし、この子にもみーくんというちゃんとした名前があるんだから」
腹話術の人形に微笑みかけながら話す操に、波佐見将棋も少し引いてしまう。しかし、麗奈の方はいたって普通に捉えている。
「それじゃあ、腹原さん。あなたには阿仁盟子への制裁をお願いしたいんだけど、いいかしら?」
「……制裁?」
高校生が日常会話で用いるには物騒な言葉。操はイマイチ意味がわからず、麗奈の方に顔を向けた。その時に操が見た麗奈の瞳は、暗く冷たかった。
「失敗するような無能者はうちにはいらないわ。自分で言ったこともできないような人間にはそれ相応のお仕置きが必要ってことよ」
「お待ちを! アニメ同好会に制裁ですと? ならば、その役目は私に任せてもらいたい! 同好会に、部の力というものを見せつけやります!」
盟子の言葉に対して、過剰なほどの反応を示したのは波佐見だった。
「けど、あなたは空野彼方達の相手をしなくてはならないでしょ。阿仁盟子に構っている暇はないはずよ」
「アニメ同好会ごときはものの数ではありませんな。事のついでにやってみせるまで」
「大きなことを言うのは、自分のやるべきことをやってからにしてちょうだい。あなたは空野彼方達、腹原さんが阿仁盟子の相手。わかった?」
麗奈のその静かな言葉には言い知れぬ迫力があった。トラウマ化している過去の記憶から来る、自己に関する脅迫的な締め付け。それが麗奈の冷たい気迫の源であり、それは他者にも等しく強要されることにもなる。
「……承知しました。それでは、アニメ同好会のことは腹話術部に任せることにします。腹原君、私の代わりに、同好会に部の力を見せつけてくれたまえ」
心底納得したわけではないのは声のトーンから明らか。だが、波佐見は生徒会の恐ろしさを理解している。下手に生徒会長の機嫌を損ねるほど愚かではない。
「……僕は別にやるとは言ってないけど」
『別にイイじゃネェカ。あんな女くらいオレらでぱぱぱーっとやっつけちまおーゼ』
「……みーくんがそう言うのなら」
一人による腹話術会話の後、音も立てずに椅子から立ち上がる操。あまりに自然な行為──というか、人の注意を喚起しないような動き。そのため、麗奈達は一瞬彼のその行動の意味がわからなかった。
「もしかしてこれから行く気? 別に明日でも──」
「……みーくんがその気になってるから」
「あ、そう……」
積極的なのか消極的なのかわからない。そんな感慨を持ちながら、頼りなさげに歩く操を麗奈達は見送った。
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