引退した身分とはいえ、自分のファンに求愛されたら丁重に扱わないと。

@tokizane

第2話 湯浅シサと京急線




 もしあなたがディープなサッカーファンなら、僕の名前を覚えているかもしれない。僕は天才プレイヤーだ。いや、


 音羽リュウジは間違いなく最強のCFセンターフォワード、身長こそ一七〇センチをわずかに超える程度しかなかったが、超人的な身体能力、驚くべきボールスキル、広い周辺視野、そして戦術眼。およそにプレイヤー求められるすべてのスキルを身につけていた。


 最大の長所はなんといっても得点能力だ。

 僕はあるゲームで決勝ゴールを決めた。アメリカの東海岸で開催された一七歳以下の男子ワールドカップ、決勝戦の対ブラジル戦において。その世代の世界一を決める試合で、同点の後半二二分、僕はゴールから三〇メートル以上離れた位置からとんでもないボレーシュートを決めたのだ。

 音羽リュウジはそのときまだ一五歳だった。飛び級で参加した大会で日本に初の世界一のトロフィーももたらしたわけだ。


 僕は一身に注目を浴びた。アマチュアのゴールがその年のプスカシュ賞(ーー世界でもっとも優れたゴールを決めた選手に贈られる賞)候補にノミネートされたらそうもなるだろう。


 僕自身は大会の数週間後には所属していたユースからトップチームに昇格を果たし、デビュー戦で見事ゴールを決めた。今でもこの国のプロリーグ最年少ゴールだ。

 そのころの僕は世界中の人間にもてはやされた。『神童』、『天才サッカー少年』、『日本のメッシ』、『サッカー界の新しい旗手』と。当時間違いなく日本一有名な中学生だった。芸能人やアスリート、歴代の中学生棋士のように。


 僕はフル代表が参戦するあのワールドカップで活躍したわけではない。プロ契約を勝ち取ったばかりの新参者にすぎなかった。

 目標は世界一の選手だったし、だから世代別の代表で勝ちとったタイトルも、これから始まる長いキャリアの第一歩にすぎない。そう思っていた。


 僕はイングランドの優勝候補の一角からオファーを受けた。将来クラブ間の移籍で交わされる額は、そうだな、旧式の戦闘機が買えるくらいの値段になるだろうか。

 僕は国外移籍が解禁される三年後にはもっといいオファーが受けられると思い断った。せっかく欧州ヨーロッパに行くなら最短で頂点まで駆け上がりたい。


 思い上がりだった。

 選手としての終焉はあまりにも早く訪れる。僕に三年後なんて用意されていなかったのだ。

 健康診断、精密検査。結果は心筋炎だ。激しい運動は一切禁じられた。つまりサッカー選手としてプレーし続けることは不可能。

 ったく、そんなこと信じられるはずがない。


 僕には才能がなかった。そもそもスポーツを続けられる身体ができていなかったらしい。自分の人生にはサッカーしかなかったのに、それを一瞬でとりあげられてしまった。

 病が完治する見込みはない、世界中どこの医者に診てもらってもそう断言されるという。

 僕は王になれない。プレミアにもCLチャンピオンズリーグにも参戦できない。世界最優秀選手バロンドールもワールドカップ優勝も夢のままで終わるのだ。


 夢が終わり現実が始まった。

 半年後、僕はただの高校生になっていた。凡百の、どこにでもいる学生に。コミュニケーションに難があり数学がちょっとばかり得意なだけの高校生に。人生の全盛期を中学生時代に終わらせた少年。『早すぎた少年』とは僕のことだ。


 僕はスパイク、レガース、その他トレーニング用品一切を売り払った。キャリアのために通信高校に入学する予定だったが、もちろんそれもキャンセルした。


 僕は神奈川から越境し都立高校に通学することを選んだ。理由は想像してもらいたい。

 人生の収支のプラスがゼロになっただけだ。決してマイナスになったわけではない。そう自分に言いきかせた。そうしなければやっていけなかった。


 僕はサッカーとの関係を一方的に断ち切る。かつてのチームメイトやコーチたちとの連絡を無視し、かつての自分を知る人々から物理的に距離をとった。

 新しい僕に夢なんてない。そのはずだった。

 しかし高校に進学した僕はある少女と出逢うことになる。


 というわけでサッカーに夢中だった中学までの自分とはまったく無関係な、断絶した物語が始まる。

 人生というものはどこかでバランスがとれるものなのかもしれない。不運のあとには幸運が待っていたのだ。まったく思いもよらない形で少女に愛され、そして彼女を巡り数々のトラブルに巻き込まれることになる。


※※

 次回からヒロインが登場し物語が本格始動します。

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