第28話 side大翔

幼稚園の頃、佳奈多はすぐに泣いた。悲しい、怖い、怒られた。どんな理由でもすぐに泣いて、めそめそと自分を頼ってくる。  

「ひろくん、ひろくん…」

うっとおしい時もあったが、頼ってくれることが嬉しかった。まるで自分がヒーローになったかのようで。女の子のように可愛い佳奈多は、大翔が庇護する大切な友達だった。

そんな佳奈多と、別れの時がきた。小学校は別の場所に通うことになった。母と話し合って決めたことだ。といっても、所詮大翔は幼稚園児だったので、母の中では既に決定事項だったのだろうと思う。大翔は佳奈多とは別の、公立の小学校に行くことが決まった。案の定、佳奈多はべそべそと泣いた。

「ひろくんと、いっしょがいい…」

しゃくりあげて泣く佳奈多を、大翔は必死に慰めた。

「泣くなよ、会いに行くから」

佳奈多は何度も首を横に振って、やだ、やだ、と繰り返していた。こんな佳奈多を一人にしてしまっていいのだろうか。佳奈多に黙って母と決めてしまった小学校。大翔の中に少しだけ罪悪感が湧いた。

それから間もなく、大翔の母は亡くなった。交通事故だった。延長保育でいつも一人母を待っていた大翔は、先生から母の事故を伝えられた。今も、真っ青になった先生の顔が記憶に残っている。

その日の朝、『今日の晩ごはん、手抜きしていい?』と申し訳なさそうに言う母に大翔は口を尖らせて文句を言った。もちろん、冗談だ。本当は晩ごはんなんて何だって良かった。母も笑っていた。母が仕事の日の朝に行われる、よくあるやりとりだ。母はいつも通り、大翔もいつも通り幼稚園に登園した。そんな日常が、いつまでも当然のように続いていくと思っていた。しかし、一瞬で失われてしまった。

葬式には、佳奈多と佳奈多の母も来てくれた。佳奈多の母と大翔の母は仲が良かった。お互い他に仲良くしている母親がおらず、まして子供同士が仲が良いので一緒にいたのだろう。大翔の隣で大泣きする佳奈多を、佳奈多の母はもてあましていた。佳奈多が泣き止まないので、仕方なく葬式の場に居続けたように見えた。

大翔は泣かなかった。泣けなかった。大好きな母が亡くなった。時に厳しく、優しかった母が。これから大翔はどうなってしまうのか。恐ろしくて大翔は泣くことすらできなかった。しゃくりあげて、呼吸を乱して泣き続ける佳奈多はまるで自分の代わりに泣いてくれているかのようで、嬉しかった。



全てが終わった葬儀場に、見知らぬ男性が迎えに来た。連れて行かれた先の大きな屋敷の書斎で初めて父に会った。この地方で一番大きな銀行の一番偉い人間。創始者一族の人間で、銀行の頭取だそうだ。大翔はそんな男の息子だった。

「彼女にしてやれなかった分、お前には不自由させない。本妻の手前この屋敷には置けないが、お前に住む場所を与える。学ぶ場所も用意した。心配しなくていい」

高圧的な男は大翔の意思を聞かずに、勝手に学校を決めていた。佳奈多が行く学園だった。母と決めた進学先を、知らぬ間に変えられていた。 

佳奈多に伝えると、佳奈多はふにゃりと笑った。

「ひろくんと一緒。うれしい」

いつも純粋なかなちゃん。

同じ学園に通うことを、素直に喜んでくれた。母が父に頼らず生きていこうと進学を決めた公立小学校。佳奈多と離れるのは寂しかったが、大翔は新しい環境を楽しみにしていた。学校が休みの時は佳奈多に会いに行こう。それならお互い、寂しくない。大翔は母と共に、母の想いを酌んで父とは決別して行きていくつもりだった。

母が亡くなり、初めて連れて行かれた父の家で、学園に通うことを命じられた。大きな屋敷の父の書斎は、母と暮らしたアパートの部屋よりも広かった。

父の息がかかった学校。

この学校に通うことは、母を裏切ることになるような気がした。母はあの男から離れたがっていた。幼稚園も学園に入るために父が強引に入園させたと、母から聞いたことがある。この学園に入学したら、父との関係を断てなくなる。しかしこれから小学生になるばかりの大翔に抵抗するすべはない。父と大人達に言われるまま入学することになった。

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