いつまで生きればいいの

@puukonopu

第1話

 あの何とも懐かしい感覚。臨月で今にも生まれて来そうな。お腹が突き出て蹴りでも入れられると息苦しくなるような…本当の出産ならば一番幸せな時。なんて、どうしてもう更年期も真っ只中のアラフィフにこんな事が起きてるわけ?

 私の不思議体験は12月の初め頃から。パンツのベルトが急に苦しく感じるようになって、みるみるうちに臨月の妊婦さんの状態になった。ただ事ではないと病院に行ったが、手術の出来る病院へとの事。そこでは血液検査をしてくれて、結果を聞く日と紹介状を預かる日が月曜日になった。日が経つに連れてご飯を食べるのもしんどくなって歩く事も…寝ている姿勢が一番楽な状態。やっと月曜日。紹介された病院で腹水を抜いてもらった時はやっと生き返った感覚。抜いた液を検査に出して先の事を決めましょう。と言われて家に帰るが、何日かするとまたすぐ腹水でお腹がパンパンになる。主治医も気にしてくれてて、手術の予定を早めに入れてくれた。23日に決まり毎日待ってたが腹水溜まって我慢できず、予定より早く入院させてもらった。

 卵巣癌の疑いで手術を受けた。

「無事生還するから」って自分では娘に伝えたつもりだったが麻酔が効き始めて

「変な言葉言ってたよ」と手術後麻酔が覚めてから言われて笑笑。ステージスリーの卵巣癌で癒着がひどくて全部は取りきれなかった。なのでこれから6クールの抗がん剤治療に入ると言われた。手術後1週間で退院。そして1回目の治療の時だけ入院であとは外来治療になるとの事。とりあえず年越しは家で出来ると喜んだ。楽観的な性格の私は抗がん剤治療が終わったらすぐに職場に復帰できると思い込んでいた。

 小売販売員30年の私はこんな長い休みをとったことが無く毎日お客さん達の顔が浮かんできては困ってないかなAさんは。Bさんに頼まれていたの大丈夫かなぁ。経営者とのやり取り。

「いつ頃から復帰できますか」

と催促され、

抗がん剤やってみないとわからないと伝えた。休み続けてまず1回目の抗がん剤治療。アルコールのような物で溶解してるのでお酒飲んで酔ったような気持ちのいい状態になる。この感覚が毎日続くならば気持ち良くていい。いくらでもいいねぇと思う。が、笑ってられるのはその日だけで、3日目からは何も食べたくないし歩いてトイレに行くのもしんどい。寝ているのもやっとな感覚。今の私は

どうなっちゃってるの?吐き気もひどく、腹水では無い物、何かが少しずつまたお腹に溜まってくる感じ。

 大晦日には心配した長男家族がお見舞いに来てくれた。なんせ、札幌にいるからすぐには会えないので本当に嬉しい。孫に会うのも2年ぶりかな?大きくなってかわいい。年越し蕎麦を食べられて良かった。だけど食べすぎたか凄い勢いで吐き気がして、今まで見た事がないきれいな緑色の液体を3リットルぐらい吐き出してしまった。これには3人の子供達がビックリしていた。私は見たことない液体に驚いた。おかげでスッキリ。と言っても手術してもお腹の中は何も無い時のスッキリの感覚がだいぶ違っている。すがすがしい時がない。いつも鈍く重い。が、3リットルあると無いとではやっぱり違う。

 1回目の抗がん剤治療は1月に入ってからで、3週間サイクルなので2回目も1月中。今度は外来で。と言うのでお昼ご飯簡単に食べられる物を持参で。私にとっては何事も初体験なのでどこかいつもワクワクした感覚がある。摩訶不思議である。これが終わって6クール終わったら仕事に復帰できる。という希望を持って。順調に2回目も終わって。また酷いをクリアしたら。大丈夫頑張れと自分を応援しながら。2月に入って3回目。頑張れ頑張れ。

 血管だけは献血の時褒められるくらい立派で見やすい。なのにどんどん脆く細くなってきた。ぱっと見でわかるくらい。すごくショックだった。あんなに筋力もあって自慢の体が段々と病人のようになっていく。髪も少しずつ抜けるようになってきた。私は病人なのか。まだ自覚できていない。4クールまでもう少しの頃から、腹水ではない何かが溜まってきて変。医師に相談したら消化器内科を紹介された。肝臓に袋ができて溜まる液体で一度は抜くがそれ以上はやらないと言われ、また入院。手術は部分麻酔なので、始まりから一部始終目で見る事が出来る。そんな時もワクワクしている自分がいる。癌性肝胞穿刺という処置名らしい。内視鏡でモニター見ながらヒトのカラダの不思議を感じながら。何より驚いたのが右側の上の位置だと思ってた肝臓が膀胱近くまで大きな袋をつくってるの。ありえるの?でも目の前の真実。これも本当で真実で。再生する唯一の臓器とはいうが。これで生きて目で見て。なんて凄い!感動するのであります。不思議に。

 こうなってしまうと、サジを投げる状態でこの先の治療は中止で人として終わりらしく緩和ケアを勧められた。えっ、主治医は助けてくれないの?あまりのショックで言葉を忘れて涙が止まらない。仕方がないのか?もうちょっと医師は力を貸してくれると思っていたがやっぱり、人は何もしてくれない。頼るな人には。私の中の私が励ます。すぐに復帰する予定だったのにー!私の全てが狂った。あと50年生きる予定だったのに。

 次のステージ。緩和ケアに転院するための入院が始まった。この入院前にはある程度身の回りを整理して、銀行口座も解約出来るところは解約して。復帰するはずの職場も退職して社会保険も初めて国保になって。初体験だらけ。

 転院は4月10日に決まった。さすがの主治医も当日は玄関まで見送りに出てくれた。私の心の中は泣きわめいて

「何でこんなに中途半端なのよ」

「治してくれるんじゃないの?」

「何なのよ。あんた医者でしょ!」

ぐるぐるこんな言葉達がめぐってて決して口にしてはいけないと私の中の私が止めてる。半べそかきながら、今までお世話になりました。ありがとうございましたと伝えた。

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