第19話 剛狼の毛

 俺は鎧猪の死骸を見ながら溜息を吐いた。

「持ち帰る事ができれば、食料や革にする事もできるんだけど……重すぎる」

 皮だけでもと思ったが、鎧猪と呼ばれるだけあって皮を切るのも困難だった。宝剣の類があったら切れるだろうが、ないので諦めるしかない。


「白狼戦鎚を使えば、足一本くらいなら持ち帰れるか。いや、持ち帰っても料理するのも難しいな」

 俺は肉と皮を諦め、薬草探しを続けた。気旺丹を二個作れるだけの量を採取すると虚礼洞の塀外舎に戻って日陰に干した。


 その翌日も薬草探しに行き、それを十個分ほど溜まるまで続けた。

「よし、薬草は十分だ。次は双槍鹿の角だな」

 双槍鹿は魔境の西側に棲息しているという事なので、魔境の外縁部に下りてから西へ向かう。


 双槍鹿は槍のような角を持つ鹿で、鎧猪のように頑強な皮膚を持つ妖魔ではないが、素早い動きで攻撃して来る危険な妖魔だった。


 魔境の西側は低木が生い茂る場所で、妖魔ではないウサギや鹿、猪などの普通の野生動物が多い。それだと道士が狩りに来ていそうだが、ほとんど人影はなかった。ここには琥珀色の剛毛を持つ剛狼が棲み着いており、外弟子はもちろん内弟子も嫌っている。


 剛狼は俊敏で防御力が高いという妖魔なので、内弟子でも危険な場合があるようだ。その牙と爪は鋭利で人間の肉など切り裂いてしまう。


 俺が魔境の西側を探索していると、一匹の剛狼と遭遇した。十一歳になったばかりの俺と剛狼の体格を比べると、圧倒的に剛狼の方が大きい。


 俺と剛狼は五メートルほどの距離を挟んで向き合っていた。白狼戦鎚を構えて剛狼の動きを見詰めていると、剛狼が地面を蹴って飛び掛かってきた。


 横に跳んで躱し、振り向いて剛狼に視線を向ける。剛狼が牙を剥き出しにして迫っていた。鋭い牙を避けて気を注入した白狼戦鎚を剛狼の背中に叩き付ける。その瞬間、白狼戦鎚の先端から気爪撃が放たれ、剛狼の内部に浸透して爆ぜるように血肉が飛び散った。


 剛狼が苦痛の叫びを上げてよろよろと後ろに下がる。少しの間、フラフラしていた剛狼がバタリと倒れた。先ほどの一撃が致命傷となったようだ。


「鎧猪ほどのタフさはないようだな」

 違いはタフさだけではなく、皮の硬さも違った。鎧猪は剥ぎ取り用のナイフの刃を受け付けないほど硬かったが、この剛狼は硬い毛を掻き分けて皮膚に直接ナイフの刃を当てれば、切る事ができた。


 俺は剛狼の皮を剥ぎ取り、背負い袋に入れた。その後、双槍鹿を探しても見付ける事はできず、仕方なく塀外舎に戻った。


 翌日、さすがに連続で双槍鹿狩りに行く気にはなれず、部屋で剛狼の毛皮から毛を引き抜く作業を始めた。剛狼の毛はワイヤーのように頑丈で切る事はできなかったが、引き抜く事は可能だった。


 なぜ、そんな事をしているのかというと、防具を作ろうと考えているのだ。書庫に『妖魔の防具』というタイトルの本があり、そこには妖魔の毛から糸を紡ぎ、その糸を編んで防具を作る方法が書かれていた。


 妖魔の毛からは羊毛より頑丈な糸が紡げるらしく、それを使って編んだセーターは防具にもなるほど頑丈だと言われている。


 これから魔境の奥へと進めば、強い妖魔と戦う事になる。そうなると、防具が必要になる。それで剛狼の毛から防具を作れないかと考えた。


 毛の回収が終わった俺は、インジェを探した。塀外舎の裏庭で剣の練習をしているインジェを見付けた。

「インジェ師兄」

「ん? 何か用か?」

「この塀外舎に一つだけ煉丹炉があると、聞いたんですが、それを借りたいんです」


 インジェが少し驚いたような顔をする。

「へえー、コウは煉丹術もできるんだ」

 俺は苦笑いして否定した。

「いえ、できません。今は勉強している段階です」


「でも、凄いよ。外弟子で煉丹術を勉強する者は、ほとんど居ないからな」

「どうしてです? 自分で仙薬が作れるようになれば、買わなくてもいいんですよ」

 インジェが肩を竦めた。


「煉丹術が使えるようになるには、何年も勉強する必要がある。外弟子から内弟子になるために必要な仙薬は、そう多くない。買った方が効率がいいんだ」


「将来的には、役に立つと思うんですが」

「そうかもしれない。だが、まずは内弟子になってから、というのが普通の外弟子だぞ」

「なるほど。でも、俺は勉強したいんです」


「分かった。納屋に置いてあるから、勝手に使っていいぞ。他の者は使わないからな」

 俺は納屋に行って煉丹炉を探し、奥で埃だらけの煉丹炉を見付けた。本当に誰も使っていないらしい。


 その煉丹炉は高さ五十センチほどの蓋が付いた水瓶というような形をしたものだった。内部の構造は理解できないが、内側の下部に四つ、上部に四つの突起があり、それが何かの効果を発揮するようだ。


 煉丹炉をボロ布で綺麗にしてから、部屋に持ち帰った。床に煉丹炉を置いて中に剛狼の毛を詰め込み、その傍に胡座をかいて座る。


 妖魔の糸の紡ぎ方は『妖魔の防具』に書かれていたので分かっている。この本は原書ではなく、原書を読んだ誰かがメモの形で書き残したものだった。


 俺は煉丹炉を両手で挟むように固定し、その手から気を流し込んだ。気の動きから煉丹炉に備わっている機能を感じる。本に書かれていたやり方に従い気を動かし始めた。煉丹炉の内部で気が渦を巻き、剛狼の毛を巻き込むとり合わせて糸を紡ぎ始めた。


 だが、その気の状態を維持するのは難しかった。二分ほどで集中力が切れて糸紡ぎの動きが止まってしまう。


「はあっ、キツイ」

 この作業で気付いたのだが、煉丹術を使い熟すには気の制御に習熟する必要があるようだ。そのためには糸紡ぎという作業は最適かもしれない。


 俺は双槍鹿狩りと糸紡ぎ作業を交互に続けながら、気の制御の練度を上げた。ただ残念な事に双槍鹿を見付けられずにいた。双槍鹿の数は少く、希少な妖魔であるらしい。


 双槍鹿を見付けられなかった代わりに剛狼とは何度も遭遇し、倒して毛を回収する事ができた。御蔭で大量の剛狼の毛を紡いで作った剛狼糸が手に入り、街で防具を編んでくれるように依頼した。

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