第6話 シュンリン

 俺の前に立ち塞がった男は、気持ち悪い笑みを浮かべていた。その手にはナイフが握られており、俺を脅すようにひらひらと動かしている。


「金目のものを全部置いて行け」

 俺が逃げようとすると、脅すようにナイフを突き出す。

「逃げられる訳ないだろ。さっさと金目のものを置け」

 その時、追い剥ぎの背後から馬車が近付くのに気付いた。そして、追い剥ぎの背後で止まる。


「何をしているのです?」

 かなり若い女性の声が聞こえ、馬車から同年代の少女が降りて来た。裕福な商人か高官の娘らしい高価な服を着ている。装飾を施した馬車も高価だと分かる。


「近付くな。こいつは追い剥ぎだ」

 そう警告したのに、その少女は平然と追い剥ぎに近付いた。馬車には御者と使用人らしい女性が乗っていたが、『戻ってください』と声を上げるだけで馬車から降りようとしない。


「私は道士を目指す者です。こんな追い剥ぎなど問題ではありません」

 ユウロンと同じように宗門に入ろうとしているらしい。当然、仙道の基本や気の育成、武術を習っているのだろう。よく見ると手足が長いモデル体形の凄い美少女だった。その手には杖みたいなものが握られている。


「邪魔をするな」

 その大男はナイフを少女に向けて薙ぎ払う。少女は素早く避けて手に持つ杖を大男の手に叩き付けた。その衝撃で男のナイフが飛んだ。


「クソッ!」

 大男は少女に体当たりするように突進した。少女は華麗なステップで躱そうとしたが、地面が荒れていて石につまずいた。


「あっ」

 よろっとした少女が声を上げるのを見て大男がニヤッと笑う。大男は少女を捕まえようと手を伸ばした。その瞬間、俺が動き出す。大男の手を掴んだ俺は、両手で手首の関節を決めた。


「痛っ、何しやがる!」

 馬鹿じゃないのか、と思いながら関節を決めた大男の手に体重を乗せるようにして投げた。硬い地面の上に受け身も取れずに叩き付けられた大男は気を失ったようだ。


 少女がジト目で俺を見ている。勝てるのなら、最初から戦えと言いたいらしい。だが、相手はナイフを持っていたんだ。万一という事もあるので、逃げられるのなら逃げようとするのが正解だと思う。


「助けてくれて、ありがとう」

 俺を助けようとしたのは事実なので、礼を言った。

「余計なお世話だったみたいね」

「いえ、相手はナイフを持っていました。それを奪っただけでも助かりました」


 俺は少女を助けるために地面に落とした剣を拾い上げた。

「それは剣なの?」

 少女に質問に対しいて俺は頷いた。

「はい。ユウロン様の剣です」

 ユウロンという名前を聞いた少女は眉をひそめた。少女はユウロンの知り合いで、あまり仲は良くないのだろうか?


「チアン商会の者なの?」

「ユウロン様付きの下男をしているコウです」

「私は、タン・シュンリン。この事はユウロンには言わないで」

 ユウロンとは関わり合いになりたくないという事だろうか? だが、恩人の言う事だから素直に従おう。


「分かりました。ただ追い剥ぎはどうします?」

「使用人に衛兵を呼ばせるわ。ちょっと待ってくれない」

 という事で衛兵が来るまで待ち、衛兵に事情を話してから追い剥ぎを引き渡した。それからシュンリンと別れてチアン商会に戻ったのだが、ユウロンに遅いと叱られた。


 これはシュンリンとの約束を守り、追い剥ぎに遭った事を言わなかったからだ。ただユウロンから叱られても、子供から叱られてしまったと思うだけで冷静に受け止められた。


 そういう気持ちを何となく感じ取ったユウロンは、不機嫌な表情を俺に向けた。

「明日から武術稽古に参加しろ。特別に練習相手をさせてやる」

「しかし、武術は……」

「黙れ。文句を言うな」


 仕方なく武術稽古に参加する事になった。ユウロンが学んでいる武術は南陵派なんりょうはの武術で、柔軟な体捌きとカウンターが得意なようだ。


 困った。少林寺拳法や冥閃剣術を使えば互角に戦えるかもしれないが、確実にユウロンの機嫌を損ねるだろう。今の状況でチアン商会から追い出されるような事になれば困る。なので、俺はやられ役に徹する事にした。


 武術の教師はレン・シャオドンという武術家で、四十歳ほどの男だ。今の俺では到底勝てないほどの技量を持つ武術家だと感じた。彼に勝つには本格的な仙術を学ぶのが早道だろう。武術だけで勝とうと思えば、十数年の歳月が必要になりそうだ。但し、それは今の調子で武術の腕を上げる事ができれば、という前提である。


「ユウロン様、コウは武術を習っていないと聞きました。練習相手としては不適格なのでは?」

「それは試してみてから、決めませんか」

「いいでしょう」


 俺は良くない。二人とも俺の意思を確かめるつもりがないようだ。結局、俺はユウロンの練習台となる事になった。


 さすがに剣術の稽古は無理なので、素手での練習相手である。俺は少林寺拳法を使わずに逃げ回ったり、防御した。その結果、身体中が痣だらけになった。


「逃げるな。戦え」

 ユウロンが理不尽な事を言う。本気で抵抗したら、怒るに決まっているのだ。ユウロンがトドメとばかりに回し蹴りを放った。俺は両腕でブロックしながら自分で飛んだ。地面に叩き付けられてゴロゴロと転がり、気を失ったフリをする。


「チッ、やっぱりこいつじゃ練習台にもなりませんね」

 それを聞いたシャオドンが苦笑いする。少し経って気付いたように起き上がり、大袈裟に痛いという芝居をする。


「邪魔だ、どけ!」

 ユウロンが怒鳴った。俺は足を引きずりながら屋敷へ向かう。そして、後ろ振り向き、チラリとユウロンを見た。


「好き放題殴りやがって、いつかボコボコにしてやる」

 ユウロンは『役立たずが』というような目で、俺の方を見ていた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 コウを追い払ったユウロンは満足そうな表情を浮かべた。

「ユウロン様、あの小僧にどうして相手をさせようと思ったのです?」

 リキョウが質問した。


 ユウロンの整った顔が歪む。

「あいつは、生意気なんですよ」

「そうなのですか? 命令には素直に従っているように見えましたが」

「命令には従っていても、目が反抗的なんです。僕の事を主人だと認めていない気がする」


「考えすぎでは? ただ今の稽古を見て、あの小僧は喧嘩慣れしているようには感じました」

 ユウロンが首を傾げた。

「どういう事です?」


「ユウロン様の攻撃をしっかり見ていたのです。ただ躱す事はできなかったようです」

「ふん、生意気な」

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