第2話 旅立ち

 俺が疑うような目をしたからだろう。住職が苦笑いする。

「神仙や道士は、本当に居るのですよ。拙僧も一人だけですが、道士と会った事がある」

「それはどんな人だったのですか?」


「三十歳ほどの男性で、雲に乗って飛んで行ったのを見ている」

「道士は、雲に乗れるのですか。俺も乗ってみたいです」

 住職が笑う。

「それには道士にならねばならない。しかし、道士になる才能がある者は、一万人に一人と言われるほど少ない」


 どうやって才能を調べるかは、住職も知らないようだ。俺は住職から国の歴史、地理などについて学んだ。この国の文明は、唐王朝時代の中国に存在したものに似ていた。建物の様式や衣服も似ている。と言っても、俺の歴史知識は浅いものなので似ているという事だけしか分からない。


 ちなみに、俺が着ている服はツギハギがある粗末なものだ。季節は夏なので粗末な服でも我慢できるが、冬になれば冬用の服を用意しなければならないだろう。たぶん奉公先でもらった給金で買う事になるだろう。それとも奉公先が支給してくれるのだろうか?


 学び始めてから三ヶ月ほどで、俺が奉公先に向かう日が来た。母親は涙を流して別れを惜しんでくれたが、父親と兄のウェンは『頑張れ』という一言だけだった。


 俺は奉公人の斡旋をしているルーという商人の馬車に乗り、馬車で八日ほどの距離にあるボウシンに向かう。そのボウシンは商都と呼ばれるほど商いが盛んで、大きな商家が店を出しているそうだ。


 一緒に商都ボウシンへ行く子供たちは四人、全員が同年代の子供でボウシンの店に奉公する事になっている。但し、チアン商会に奉公するのは俺だけである。


 馬車で移動中の食事は最低、しかも振動が凄くて尻と腰が痛くなった。それ以外は何事もなく六日が経過した。そして、七日目の昼頃、馬車を御していたルーが急に馬を止めた。


「そんな……」

 ルーの声が聞こえてきた。その声には怯えが含まれおり、何かが起きたと感じて馬車から顔だけ出して外を見た。馬車の前に八人の男たちが立ち塞がっている。後ろにも居るようだ。


「そんな……野盗だなんて」

 野盗と聞いて子供たちが泣き出した。まずい、非常にまずい状況だ。この世界の野盗について住職から聞いており、襲った相手を皆殺しにするのが野盗のやり方らしい。


 このままでは殺される。今のタイミングで逃げ出さないと後になるほど不利になる。だが、この子供たちを見捨てて俺だけ逃げ出すのか?


「皆、このままじゃ殺される。死にたくないやつは、俺と一緒に逃げよう」

 そう言うと、馬車から外に出た。すると、馬車の前後を塞いでいた野盗が気付いて声を上げる。


「小僧が出て来たぞ」

 野盗が走り出した。俺は道の横に広がっている森の中に駆け込んだ。後ろから追い掛けて来る気配がする。必死で逃げ回り、幸運にも逃げ切った。細い木が密集している場所を選んで逃げ、距離が離れたら足跡を残さないように気を付けた事が良かった。


「はあはあ……誰も付いて来なかった」

 あの怯えていた子供たちは、たぶん動けなかったのだろう。自分だけ逃げ出した事を後悔した。他に手はなかったのか?


 この気持ちは刑事だった頃の責任感が影響しているのだろう。……やめた。俺は九歳の子供だ。野盗相手に何ができる。後ろ向きの事ばかり考えてもしょうがない。せっかく逃げられたのだから、ポジティブに考えて生きていこう。


 道があるだろう方向へ歩き始めた。すると、三十分ほどで道に戻れた。先に進めば、コルタという町があり、元に戻れば俺たちが乗っていた馬車があるはずだ。


「馬車は……悲惨な状況になっているだろうな」

 確かめる気にはなれない。そういうのは、刑事時代に散々見ている。俺はひたすら次の町へと進み始めた。この街道は最低レベルだが整備されており、人通りも多い。狼や猪が出没するらしいが、街道に出て来る事は珍しいという。


 コルタの町に向かって進んでいると、後ろから近付いて来る気配に気付いた。

「まさか、野盗?」

 俺は道から外れて森の中に入った。木陰から様子を窺うと、大勢の男たちが身体のあちこちに血を付けて歩いて来る。その一人がカバンを持っていた。そのカバンに見覚えがある。斡旋仲介商であるルーが持っていたものだ。


 あいつらは野盗に間違いない。どこに行くのだろう? 気になった俺は後をつける事にした。危ないと分かっていたが、なぜかそうしなければならないと思ったのだ。たぶん他の子供たちとルーを見捨てたという思いが、そうさせたのだろう。


 尾行は得意だ。野盗たちは街道沿いに少し進んでから、街道の側に聳える大木のところから森に入って行った。

「この先にアジトがあるのかもしれないな」


 俺はアジトを突き止めようかと思ったが、これ以上は危険な気がして街道を町へと進んだ。そして、コルタの町に辿り着いた。


 町の入り口には衛兵が立っており、町に入ろうとする者を確認している。俺が入り口に近付くと、様子がおかしいと衛兵が思ったようだ。こちらに近付いて来て尋ねた。


「小僧、どうかしたんだ?」

 俺は衛兵を見た。身長は高くないが、がっしりとした体型をしている。そして、魚鱗甲と呼ばれる鎧の中で簡易版と思われるものを着て六尺棒のようなものを持っていた。


「乗っていた馬車が、野盗に襲われた」

「本当なのか?」

「嘘は言いません」

 その衛兵はジッと俺の顔を見てから、同じ衛兵に合図してから俺に目を向ける。

「付いて来い」


 衛兵は町の中に入り、中心部に向かって歩き出した。コルタは人口千五百人ほどの小さな町で、衛兵の数はそれほど多くない。建物は木造で二階建てが多い。


 その衛兵は兵舎へ行った。そして、隊長にを探すと、もう一度俺に話せと言う。俺は野盗と遭遇してから後の事を話した。


「分かった。まず馬車を確かめる。お前は空いている部屋で待っていろ」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 コルタの衛兵隊長をしているハンは、部下であるリアンに先ほどの子供について尋ねた。

「リアン、あの小僧をどう思う?」

「歳の割には、しっかりしていますね」


「しっかりしすぎだ。もしかして、何か訓練を受けているのだろうか?」

「考えすぎですよ。辺境の商人の子供だそうです」

「そうなのか? だが、野盗に囲まれた時にすぐに逃げ出した決断力、しかも野盗に追われたのに逃げるのに成功している。大人と子供だぞ。普通なら捕まるはずだ」


「そう言えば、そうですね」

「そればかりじゃない。街道に戻って野盗を見付けると、尾行してアジトがあるかもしれない方向を調べている。大人でも難しいぞ」


「何者でしょう?」

「分からん。だが、あの年齢だから罪人という訳ではないだろう。まあいい。小僧を詮索する前に、馬車を確かめよう」


 ハン隊長は、数人の衛兵を連れて街道を辺境へと進んだ。

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