別れのカタログ 8選

仲瀬 充

別れのカタログ 8選

別れのカタログ その① 1分間の別れの儀式


「そろそろ籍を入れようか」

彼は何度かそう言った。

「慌てなくてもいいんじゃない?」

私はその都度はぐらかした。

本当はもうひと押ししてほしかった。

3年同棲した責任を取るプロポーズなら嫌だから。


日曜日、掃除機をかけ終えた後のこと。

彼が向かい合わせにソファーに座って別れ話を切り出した。

他に女性ができたと言う。

「分かったわ。好きな時に出て行って」

「いいのか?」


理由は重要じゃない。

もう一緒にいたくないという事実が全て。

未練はストーカーと同じだ。

迷惑を通り越しておぞましいだろう。


「最後にお願いがあるの」

「何だい」

「1分間だけ目をそらさずに私を見つめて」

「?」


あらゆる感情を抜いて彼の顔を見つめ心の中でシャッターを押す。

「はい終了。ありがとう」

別れの儀式は1分間で終わった。

彼と過ごした年月は1枚の彼の静止画と共に心のアルバム帳に収まった。


彼が私のマンションを引き払ってからは気ぜわしかった。

心のアルバムの彼の静止画が動画として動き出さないよう目の前のことに集中した。

会社では仕事、昼休みは同僚との世間話。

帰り道は立ち並ぶビルの店々、行き交う人々、歩道の並木の観察。


夕食の準備は気が散らないので気が楽だ。

今日はロールキャベツをアレンジしてロールレタス。

味付けは市販の調味料で済まそう。

時々爪楊枝を刺して煮込み具合を確かめる。

そろそろいい頃だ。

フライパンから大きめの深皿に移す。

完成、でも最後に失敗した。

「でき……」

振り向きながら「できたわよ」と口にしかかった。

両手で皿を持ったまま立ちすくみ私は初めて別れの悲しみを悲しんだ。






別れのカタログ その② お爺さんと子供たち


少し昔々日本のあるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。

ごくごく普通の老夫婦でした。

お爺さんは若い頃から飲む打つ買うなどの道楽には目もくれずに働きました。

仕事一筋のお爺さんだったので家の中のことはお婆さんに任せきりでした。

60歳で定年退職になりましたが年金が支給されるのは65歳からです。

それでお爺さんはさらに5年間働き続けました。

給料はそれまでの半分の額しかもらえませんでしたが。


お爺さんとお婆さんは5人の子供を育てあげました。

年金生活に入った頃には子供たちはそれぞれ結婚して孫も9人できました。

お盆やお正月にはみんなが集まるのでそれはそれは賑やかです。

ある年のお正月のことでした。

子供たちがお嫁さんやお婿さんを連れて帰省して来ました。

孫たちもいて大人数なので夕食は宴会のような賑やかさです。

わいわいがやがや話が弾むうちに5人の子供たちは小さい頃の思い出話を始めました。

お婆さんがあんなことをしてくれた、こんなこともしてもらったなど話は尽きません。

「婆ちゃん、長生きしてくれよ」

「お婆ちゃん、これから親孝行するからね」

みんな口々にお婆さんに言いました。

一方お爺さんの話は叱られた話題がたまに出てくるくらいです。 

「婆さんはいいなあ、大事にしてもらえて。わしが長生きしても喜ぶ者はおらんのに。ハハハ」

お爺さんは盃を手にして笑いました。

すると小さな孫たち以外はみんな黙ってうつむいたので急に座が静かになりました。

お爺さんはうろたえました。

冗談を言ったつもりだったのです。


それから数年後のことです。

お爺さんは不治の病で入院することになりました。

お婆さんは毎日のように病院に通いました。

子供や孫たちはたまにしか姿を見せません。

入院して半年たつとお爺さんはすっかり痩せこけてしまいました。

もう長くはもたないとお医者さんに告げられました。

その1週間後子供や孫たちが病院に集まって来ました。

お婆さんから今日明日の命だという連絡があったからです。

5人の子供たちはお爺さんの耳元で口々に言いました。

「爺ちゃん、早くよくなって」

「お爺ちゃん、元気になって長生きしてね」

お爺さんは目を開けてみんなの顔を見回しました。

「お前たちのおかげでいい人生だった。ありがとう」

するとみんな黙ってうつむきました。

お爺さんはうろたえました。

冗談に聞こえたのではないかと思ったのです。






別れのカタログ その③ 山上離婚式


「あなた、行かないで!」と妻がすがりつく。

「ええい、離せ。行かねばならぬのだ」

私が出勤する時の光景だ。

芝居好きの私たち夫婦は時々そんなたわいもない演技をしたものだった。


だから離婚する時も奇抜な演出を話し合った。

元はと言えば登山サークルで知り合った私達だから山頂で別れることにした。

「じゃ、明日、正午に」


翌日私たちはよく一緒に登った山の頂をあえて別々のルートから目指した。

汗をかきかき正午頃に山頂で妻と落ち合った。

ほぼ同時でなかなかドラマチックな気分だ。


私はザックの中から水の入ったペットボトルと袋麺を取り出した。

妻の分担は携帯用のガスバーナーとアルミ鍋だ。

出来上がった即席ラーメンを紙製のどんぶりに取り分けながら妻が言った。

「山上結婚式ならこれが初めての共同作業ね」

「思えば僕らの結婚は山頂でばったり出合ったようなものだったな」


しかしいつまでも山頂に留まるわけにはいかない……

離婚の理由を自分にそう言い聞かせて私は折り畳んだ離婚届をポケットから取り出した。

互いに署名、押印すると私たちは立ち上がってザックを背負った。

「じゃ、元気で」

「あなたも」


私たちは登って来たそれぞれのルートで下山を始めた。

山頂から10歩ほど下って振り返るともう妻の姿は見えなかった。

妻も今立ち止まってこちらを振り向いているのではないか、そんな気がした。






別れのカタログ その④ 遺影


夫が亡くなった。

悲しみに浸る暇もなく葬儀の打ち合わせ。

急ぐのは祭壇に飾る遺影用の顔写真だ。

夫がクローゼットの奥深くにしまっていた遺品の中にちょうどいい1枚があった。

腕を組んで二人で写っている旅先での写真。

屈託のないこんな笑顔の夫の写真は他にない。

「これでお願いします」

ハサミで真ん中から切って葬儀屋さんに渡した。

残った片方は暫く見つめた後、切り刻んでゴミ箱に捨てた。






別れのカタログ その⑤ 夫婦茶碗


食器棚に一対の茶碗がある。

金婚式の祝いにと子供たちがくれたものだ。

絵柄えがらは白梅と紅梅。

紅梅のほうがサイズも少し小さくわたし用。


数年前、棚が手狭になったので重ねることにした。

小ぶりの紅梅が上、白梅が下。

夫を尻に敷いているような、夫に包みこまれているような。

こそばゆい思いで重ねたことを覚えている。


夫の葬儀を終えて初七日の法要も3日目に繰り上げた。

親戚や子供たちは皆それぞれの生活に帰っていく。

がらんとした家に秋の日はつるべ落とし。

差しこむ西日も長くはとどまらない。

今日から毎日ひとりきりの晩餐ディナー

初日のメニューはお茶漬けで。


食べ終えて食器を流しに運ぶ。

紅梅の茶碗ひとつを洗いかけて手が止まった。

夫婦めおと茶碗」とはよくも言ったものだ。

おめでたい茶碗に泣かされる日が来るとは。






別れのカタログ その⑥ 電動シェーバー


オーブントースターのチンという音がした。

「お母さん、マーガリン、もう殆どないよ」

食パンにマーガリンを塗りながら娘が言う。


「じゃ、そこに書いといて」

私はソファーに座ってテレビで朝ドラを見ながら言った。

ダイニングテーブルの脇の壁に小さなホワイトボードがある。

娘は食パンを口にくわえたまま水性ペンで「マーガリン」と書いた。


「ねえ、これ、もう消していい?」

ボードの一番下のあたりに息子の字で「~7:30」と書いてある。

「だめ」

私は即座に言った。


「だって、もう半年よ」

食べ終えた娘はそう言い残して出勤して行った。


ボードが吊るされている壁の下部にコンセントがある。

そこに息子の電動シェーバーが挿されたままになっている。

半年前、大学4年生の息子は就寝中に持病の喘息の発作で急死した。

8時間充電のシェーバーだから、ボードに書いたのは寝る直前の午後11時半ごろだったのだろう。


テレビの朝ドラが終わった。

そろそろ息子が眠そうな顔で起きてきてコンセントからシェーバーを引き抜く。

毎日、そんな気がしてならない。






別れのカタログ その⑦ バツイチ


「秋になると人恋しくなるわね、最後にもう一杯ちょうだいマスター」

「もう遅いですよ。お客さん、独身ですか?」

「お世辞でも嬉しいわ。バツイチなの」

「失礼しました。離婚の原因は旦那さんが生活費を渡さないってのが多いみたいですね」

「うちは暴力」

「それも多いみたいですね」

「もっと我慢すればよかった……」

「我慢の問題じゃないですよ、暴力をふるうのは許されないことです」

「そうなんだけどカッとなるとつい手が出ちゃうのよね」

「え?」






別れのカタログ その⑧ 世界花火大会


西暦20××年×月×日、世界花火大会が始まった。

ただし、どの花火も同じ種類のものだった。

世界中のいたるところで夜も昼も目のくらむような巨大な火の玉がはじけた。

キノコ雲は1万メートルを超える高さにまで立ち上った。


この世界花火大会を文字どおり高みの見物をしていた一握りの人たちがいた。

宇宙ステーションの乗組員である。

彼らは花火大会が始まると一瞬美しいとさえ思ったが、すぐに恐怖に駆られた。

迎えの宇宙船は来ないだろうと。


花火の競演は三日三晩続き、終了したのは奇しくも10月21日、国際反戦デーの日だった。

花火大会の後は放射能を帯びた黒い雨が地上に降り注いだ。

アフリカのサバンナでも象やキリンたちがバタバタと倒れた。

彼らは草原に横たわって息絶えるとき怨嗟えんさの声を発した。

「ちくしょう、地球に人間さえいなかったならば!」


雨が上がると、世界中の空にいくつもの虹が架かった。

ただ、それを見上げる人間はいなかった。

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別れのカタログ 8選 仲瀬 充 @imutake73

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