第三話 ドライブ

扉を背にして息を整える、黒洲は寝る時は全裸派らしい。


見てはいけないもの見てしまった、少しの罪悪感と後悔が赤也の心に靄をかける。まだ扉一枚の向こう側に黒州は眠っている、もう一度声をかけて起こすべきか。



 そんなことを考えていると、不意に背中に風が通るのを感じた。蛇のように黒州の腕が赤也に枝垂れかかってくる。



「おはよう少年、起こしに来てくれたのかい?」



 風に揺れる柳のように、黒州の声が赤也の耳を撫でる。



「おはようございます、黒州さん……」


 耳が熱くなるのを感じる、きっと赤くなっているだろう。




「ふむ、朝から少し刺激が強すぎたかな。準備するから剛田と朝餉でも食べて待っていると良い」



 急に軽くなった背中と遠くなる声を追いかけ振り向くと乱暴に閉まる扉の音が出迎えた。勢いよく閉まったであろう扉からは、赤也が振り向いたタイミングを見計らったかのように扉の下からにゅっと千円札が二枚顔を出した。





 事務所の向かい側には今時珍しい、所謂純喫茶と呼ばれるような喫茶店がある。いかにもといった趣きが心地良い空間に仕上がっている。黒州はここの常連だ、なによりも事務所から近い。


 そんな喫茶店の中には開店準備をしている初老の男性が一人、男性は仕込みを終え開店前に店の前を掃除しようと窓の外を見る。


 そこには馴染の雑居ビルの前で顔を見合わせ途方に暮れる二人組、事情を察っするのはそう難しいことではなかった。



「お二人さん、開店前ですけどよかったら入って行きますか?」



 コーヒーミルが今日最初の働きを始めた。



「いやー、待たせてしまって、すまないね諸君!」



 Closeの看板が掛けられたドアが開きベルの音が店内に響く。



「いらっしゃい黒州さん、当店はまだ準備中ですよ?」


 初老の男性が開店準備をしながら、いたずらっぽく言った。



「どうもマスター、うちの男共がお世話になっています。 そういえば、私の分の朝食も……あったりします?」



「どうぞ、簡単なものですけど」


 カウンター席にサンドイッチが置かれ、コーヒーの香りが厨房から漂う。



「やった、いただきます!」


 奥のテーブル席から恨めしい目線を感じるがそんなものに動じる黒州ではなかった。



「なんだ、なんだ、そんな目で見てもあげないぞ?」


 もぐもぐと食べながら喋る黒州の前にコーヒーカップが置かれる。


「はぁ、いや黒州さんが時間通りに来るわけがないとは思っていましたんで、許容範囲内ですけどね。それに遅刻が一時間以内なのは珍しいんじゃないですか?」


 剛田は若干あきれてはいるが慣れた様子だ。


「おっ言われてみればまだ九時台じゃないか、これは間に合ったみたいなものだな。 道理でまだこの店も開いてないわけだ」


 あっという間サンドイッチを食べ終えた黒州は優雅にコーヒーを飲みながら腕時計を見ている。


「それじゃあ飲み終えたら出ましょうか、途中で昼飯を食っても夕方までには付きますし」


「そうだな、マスターお勘定だ」


 黒州がレジの前に立つと剛田と赤也は続けざまに店の外に出ていく。


「ごちそうさまでーす」


「ちょっと、朝餉代は渡しただろう?」


「三千円になります」


「くっ……!」 


「またのお越しを」


 会計を済ませた黒州が店を出ると店主はCloseの看板を裏返した。


 車の助手席の窓から赤也が顔を出している。


「お昼は僕達が奢りますよ」


「いやそれは結局私が渡した分が返ってきてるだけじゃないか、いやでもそれでいいのか……?」


 黒州は首を傾げながら車に乗り込んだ、三人を乗せた車は目的地に向かい走り出す。




 一同はサービスエリアで昼食も取り高速道路を降りて目的地に向かっていた、車内にはカーラジオが流れているが、山間部に入るにつれ電波の入りが悪くなりノイズ混じりになってきている、目的地まではもう数時間もないだろう。


「サービスエリアみたいな所はついつい目移りして食べすぎてしまうね、なんかそういう現象に名前はないんだろうか?」


「どうなんですかね、ただあの量は食べ過ぎたんじゃないですか? 食券受け取った時の店員さん困惑してましたよ」


「いやぁ君達が奢ってくれると聞いたから、ついつい食べ過ぎてしまったよ」


「あれだけ食べて身にならないのは羨ましい限りですけどねぇ」


「まっ体質だよ体質、身にならないのもさみしいものだけどね食べれるだけマシと思うべきか。 別に剛田君も太ってはいないだろうさ」


「それなりに鍛えてるんですよ、これもお勤めなもんで」


「ふーん仕事熱心だね君は」



 剛田は加熱式タバコの電源をいれると車にのパワーウィンドウを開けた。流れ込む外の空気は少し冷たく僅かに電子タバコの匂いが混じる、赤也は湧き出る欠伸を噛み殺し座りながら脚を伸ばす。



「少年知っているか、風邪の時は焼き葱を首に巻くと良いというがあれは刻み玉ねぎでもいいらしいぞ?」


「今時焼き葱を首に巻くなんて、おばあちゃんの知恵袋みたいなのを知っている人のほうが少数派ですよ。それに風邪を引いているのに玉葱刻む余裕はきっとないですよ」


「生麦と大豆を二升と五合と集めると難事を解決できるというのは?」


「生麦大豆二升五合と唱えるとでしょう? それに正しい知識を学ぶと力が消えてしまうのは、なんだか納得はいかないですけどね」


「赤也君はなかなか勤勉だな。正しいことだけが真実ではないんだよ、あの老婆も自分を信じて生麦大豆二升五合と唱えたらもう一度力が使えたかもしれないよ? 信じる心が大切なんだよきっとね」


「信じる心ですかうーん、わかる気もしますけど。でもそれなら、その老婆が正しい言葉を信じられなかったのはなんでなんですかね。信じる心が大切なら正しい言葉を信じれれば力は消えなかったんじゃないですか?」


「ふむ、確かにそうだな……まぁ長年信じて来たことの否定は簡単ではないしなぁ、それに歳を取ると新しいことが億劫になる」


「個人差ある感想な気もしますね、それは」


「そろそろ付きますよ、お二人さん」



 山の麓にある集落の片隅にぽつんとある寺院の駐車場で車は止まった。車から降りると凝り固まった体を伸ばすように伸びをする。



「この寺院は当局の関係者が管理する寺院で、管理者の方が暫く旅行に出られるということで、その間自由に使わせていただけるようになっています」


 剛田は寺院の玄関の鍵を開けると荷物を運び込んだ。


「うーん悪くはないが、欲をいうと旅館がよかったな」


「次回があったらそうしましょう。黒州さんも罰当たりなことを言ってないで荷物を運んでください」


 風呂敷で包まれた桐箱を運ぼうとしている黒州と目があった。


「少年もそう思うだろう?」


「寺院もなかなか風情があっていいと思いますけどね」


「風情ねえ」


「黒州さんは荷物運び終わったんですか?」 


「ああ、終わったよ元々私の荷物は少ないしね」


 そういうと黒州はキャリーケースを引きながら玄関に向かって歩いて行った。


「あれ、さっきのはもう運んだのかな」


 中の荷物を確認して車の扉を閉めた。


「さて今日は初日ですし時間もそこそこなんで、軽い聞き込み調査をしましょうか」


 剛田はそういうと首から掛ける身分証を二人に手渡した。


「そんなことしなくてもだいたいの目星は掴めてるんだろう? 直接出向けばいいじゃないか」


「それは、そうなんですが……。 突然押し掛けてはいどうもってタイプでもなさそうなんですよね」


「ふむ……。 なにか私達に村人達との接点が必要ということかい?」


「はい、被害者のパターンは村の外の人間であり、道路開発の関係していた人物です。最近はその周辺人物にも範囲は拡大しつつあります。」


「つまり、私達に囮になれってことか」


「はい、そうなりますね」


「えっ!?」


「大丈夫だ少年、私が守ってやるさ」


 そういうと黒州は後ろから赤也に抱きつき頭に顎を乗せる。両脇に流れる黒州の髪からはほのかに柘榴の香りがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒州心霊探偵事務所 塩焼 湖畔 @7878mrsk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ