星の降る日に

阿木ユキコ

風は乱れ、かすかな音の波すらもさらっていきます。

瓶詰めベリー

 いちごちゃんは、三つ編みおさげの女の子。

 森の中の家にひとりで暮らしています。

 家の前には小さな道がつつましく横たわり、遠くの景色を覆い隠す木々の内へと続いていました。

 森の道がどこへ続いているのか、いちごちゃんは知りません。

 いちごちゃんが出かけるのはもっぱら家の裏手側でしたし、それにしても遠くまで行くことがなかったのです。そういうふうにつくられていました。

 家の裏手には半分森と混じり合ったような小さな庭があり、いつでも真っ赤なベリーが草葉のしげみいっぱいに実っていました。

 いちごちゃんは一日の始まりと真ん中にたくさんのベリーを摘んで、きれいに洗い、鍋にあけてたっぷりの砂糖をまぶします。頭の中にしまってある、特製レシピのとおりに。

 キッチンの窓辺に置いたプラスティックのラジオから流れてくるのは、古い古い時代の音楽でした。

 いまではもう作られることのなくなった類のメロディは、聴く人にどこか懐かしさや悲しみを感じさせます。きら星が跳ねるような鍵盤の音にざらっとしたノイズが混ざったときなど、一層古風に聞こえるのでした。

 いちごちゃんは星の音に耳を傾けながら、火にかけた鍋の中身を絶え間なくかき混ぜます。

 やがてみずみずしいベリーとゆめみるように甘い砂糖は、深い紅色をした爽やかな味わいのベリージャムに姿を変えます。すっかり冷めれば、出来上がり。

 いちごちゃんはその日一度目のジャムが出来上がると、決まってひとさじほどを皿に取り分け、ラジオがある窓の外の出っ張りに出しておきました。

 こうしておくと、どこからかジャムに目のないねこがやってきて、お相伴にあずかってゆくのです。

 ねこは大抵すうっと音もなく現れ、いつの間にか皿をからっぽにして行きますが、きまぐれに姿を見せることもありました。

「やあ、ご機嫌よういちごちゃん。きみのこしらえるベリーのジャムは、今まで舐めた中でも三十本のひげに入るすてきなジャムだよ。特に、ママレードじゃないところがすごくいいの」

 ねこはきょうのジャムを手にしたいちごちゃんを横目で見ながら、そんなおしゃべりくらいはして行きます。

 たっぷりまとった金色の毛並みと、光るひげ。

 白いブーツを履いたようなしなやかな足先。

 どこからどう眺めても堂々とした出で立ちの、王様めいたねこでした。

 もっとも、ねこがジャムを舐めるなんてあまり聞きませんから、かれはほんとうのねこではないのかもしれません。

 いちごちゃんがほんとうの女の子ではないのと、おんなじに。

 ねこにやった分と別のジャムはもちろん、瓶詰めになります。

 決まった分を瓶に詰めて、蓋の上から素敵な手触りの紙をかぶせ、リボンを丁寧に結わいます。

『自然派手作りジャム!』

『美しい森の中、昔ながらの製法を用いて作られています』

 最後にラベルを貼り付け、いちごちゃんは玄関先に広げた革張りのトランクの中に瓶詰めジャムをきれいに並べました。

 トランクもまた、一日のどこかで知らぬ間に空っぽになっていたものですから、いちごちゃんはいつでもトランクの隙間にジャムの瓶を並べることができました。

 こうしていちごちゃんの一日は過ぎて行きます。

 毎日充分なベリーが摘めることも、ねこがやってくることも、トランクがいつの間にか空っぽになっていることさえも、いちごちゃんは不思議に思うことがありませんでした。

 いちごちゃんも、いちごちゃんの森も、そういう仕組みで動いているのでした。

 ある日のこと、いちごちゃんの一日のはじまりは無音でした。

 窓辺のラジオはただノイズばかりを流し、音楽の代わりに、かすかな話し声が途切れ途切れに聞こえるようでした。遠くの音を捕まえているのでしょうか。

『燃えるの星が雨のように』

『夜明け頃の予報です』

 言葉の意味は、いちごちゃんにはよくわかりませんでした。

 どうということもない出来事でしたのでいつものようにベリーを煮ましたが、「いつも」と「今日」の間にある隙間はどんどん大きくなって行きました。

 おすそ分けのために窓を開けると、ねこの皿が空になっていませんでした。

 いちごちゃんは少し考えて、ジャムが残ったままの昨日の皿と、今日の皿とを取り替えました。それが一番いいように思えたのです。

 ねこにおすそ分けをした後は瓶詰めですが、こちらも皿と同じく、トランクが空っぽになっていませんでした。

 とうとう、いちごちゃんは動きを止めてしまいました。

 出来上がった瓶詰めジャムは、トランクに詰められるのを待っています。しかしトランクは昨晩しまい込んだ瓶でいっぱいです。

 微動だにしないまま少しの時間考え、いちごちゃんはトランクのそばに瓶詰めを置き始めました。

 トランクの周りに瓶詰めの輪ができました。深い紅色の、目に映るだけで甘くすばらしい香りが漂ってきそうなジャムのびんがぐるり。

 他にどうすることができたでしょう。

 いちごちゃんはねこがいなくても、トランクがいっぱいでも、すっかり定められた通りに同じ手順を繰り返してジャムを作るのです。

 プラスティックのラジオから一際ひどいノイズが溢れ出します。

 いちごちゃんは新しいベリーを摘みに、裏庭へと向かいました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る