茅野子抄

北浦十五

第1章 茅野子は「ここの空はキレイだニャ」と思ってくれただろうか




 茅野子ちやこは15年前の私の家族でした。



 

 今でも目を閉じるとお転婆てんばで気が強くて愛らしい茅野子の姿が浮かんできます。


 多分、日本猫にシャムの血が入っていたのでは ? と思っています。


 全身は真っ白で右目の周りから右耳の半分は真っ黒でした。


 私が思うに何処かの飼い猫か、あるいは飼い猫が沢山の子供を産んでしまったので飼い主の方が密かに放したのでは ? と思っています。


 茅野子は春のある日にフラッと私の家の庭先に現れたのだそうです。


 この辺りは私の拙作「孫の手より猫の手」に書きましたが、その時に茅野子と出会ったのは作品通り私の祖父でした。



 私の家は「ペットは飼わない方針」だったのです。


 理由は「ペットは死ぬのを見送るのがツライから」との事でした。


 そんな我が家でも私の幼い頃にはウサギを2羽、飼っていました。


 庭の片隅に祖父が作ったウサギ小屋があり、姉と大根の葉っぱ等をあげたりしていた事を憶えています。



 それは私が小学校に入る前だったと思います。


 野良犬にウサギ小屋の扉を壊されてウサギは2羽とも噛み殺されていました。


 発見したのは私では無かったようですがウサギ小屋の中が血で真っ赤になりウサギの死体が2つ折り重なっていた光景は何となく憶えています。


 私は涙を流す事も無く「あぁ、このウサギは死んだのだ」としか思いませんでした。


 その頃の私には「一緒に暮らしていた生物の死」と言うモノが理解できなかったのかも知れません。


 

 それ以降、我が家ではペットを飼わなくなりました。



 ですから茅野子が祖父の前に現れた時も祖父の中には「飼う」と言う選択肢は全く無かったそうです。


 ただ、まだ仔猫の茅野子がちょこんと座っている姿は印象的だったようです。


 それから「孫の手より・・」の描写通りに祖父が気に入って面倒を見る事になりました。もしかしたら、茅野子のような仔猫を探している家庭があるかも知れないと考えたそうですから。


 しかし、1週間が経っても探している家庭の情報は入って来ませんでした。


 その頃には私の家族は皆、茅野子を大好きになっていたので飼う事となりました。


 茅野子と言う名は姉と祖父が付けたモノです。


 高校時代からコーラス部に傾倒していた姉によれば昔の日本に「茅野子」と言う名のオペラ歌手がいた、のだそうです。


 祖父の方は「チャーコ」と言う呼び方が自分の仕事用具にあるから、だそうです。


 そして、祖父は「1年だけだぞ」と言う謎の言葉も掛けていました。



 こうして茅野子は晴れて私達の家族となったのです!


 


 




つづく


タイトルは高村光太郎氏の「智恵子抄」から拝借させて頂きました

高村光太郎氏と奥様の智恵子さんに敬意を込めて




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