神様だけが知ってる話

あおい

第1話 ターニングポイント

 あー、またいつもの太陽が昇り、同じ朝が始まる。


 「チュンチュン」と雀の鳴き声。


 ダイニングテーブルに並んだのは、レタス、プチトマト、ハムエッグ、後はキュウリの浅漬け。


 最初に椅子に座るのはスーツを着た夫。どうやらネクタイの色を淡いブルーに決めたらしい。


 私は夫の前に白飯とナメコと豆腐の味噌汁を置いた。箸を持ち、無言で食べ始める夫。レタスにシーザードレッシングをかけながら、私は聞いた。「美味しい?」


 夫は目玉焼きの白身と黄身を箸で丁重に分けながら「うん」とだけ頷いた。彼は目玉焼きの黄身が嫌いだ。いつも残す。


 洗面所から先に姿を見せるのは、白いワイシャツにネクタイを結んだ息子。ワックスで跳ねさせた毛先を気にしながら椅子に座る。トースターから焼かれた食パンが二枚、ポンっと姿を見せた。私は二枚のパンにマーガリンを塗り目玉焼きの上に投げるように置く。着地した食パンは無言で息子の開けられた口に運ばれた。


 最後に姿を見せるのはセーラー服の娘だ。両サイド三つ編みというモンペが似合う髪型。彼女はダイエット中でパンは食べない。父に似て黄身が嫌いなので白身だけ食す。


 私は半額ラベルの貼られた牛乳をグラスに注いで子供達の前に置いた。娘も無言で食べている。


 皆が、それぞれ家を出た後に家族の残したモノが私の胃に入る。これも、毎日の日課で何の変化もない。



 夫である村田義和むらたかずよし(四二歳)は中小企業に勤務しているサラリーマン。平均的収入。趣味は将棋、性格は無口で温和。結婚して十七年になるが、役職がついたことは一度もない。従って給料もさほど上がらない。マイホームなんて夢のまた夢、おそらく定年まで、この団地みたいな社宅から離れられないだろう。


 息子の健太けんたは、十六歳。平均的な偏差値の高校生で、お小遣いが欲しいとコンビニでバイトを始めた。

 

 娘の有紗ありさ(十四歳)は、生意気盛りの中学ニ年生。あまり成績が良くないので、そろそろ塾に通わせようか悩み中だ。


 私、久美子くみこ(四ニ歳)は、家計を助ける為に週に三日、スーパーで五時間だけパート勤務している。趣味はパート仲間と人の噂話に花を咲かせること。今の話題は、女性パートと男性上司の不倫だ。根も葉もない、ただの噂話。でも喋らないとやってられない。


 ハッキリ言うが、ウチの家族はつまらない。何一つ飛び抜けた才能のない息子と娘。ウチに帰ってきても喋らず将棋ばかり指している夫。つまらないを言いかえれば平凡だ。でも、私はその平凡がつまらなかった。


 そもそも、夫と結婚したのが間違いだったと思う。

思い返せば十九年前、交差点で転んだ私に「大丈夫ですか?」と手を差し伸べてくれたのが夫との出会いだった。今でも鮮明に記憶しているが、手を差し伸べてくれた男性は他に三人いた。


 一人はサラサラヘアーの爽やかなイケメン、その人の手を取らなかったのは眉目珠麗びもくしゅれいで恥ずかしさが先に立ったからだ。


 二人目は小太りで不細工だった為、除外した。


 三人目は角刈りで任侠映画から飛び出してきそうな人。この人は何となく危なそうだと思い、手を取るのをやめた。


 四人目が今の夫、普通な顔と体型、ふつーな髪型。あの時の私には、彼が一番無難に思えた。だから夫の手を選んだのだ。


 その後、夫と付き合い結婚。過去、どの場面を思い返しても平凡でつまらない、のっぺら坊みたいな人生だった。


(もう、夕方)

「はあ〜」

 溜め息を吐く。


 食べ散らかした煎餅の空袋を丸め、テーブルに両手を突き「よっこらしょ!」と重い腰を上げる。空袋をゴミ箱に鮮やかなシュートで決めた。と、思ったが手前で落ちた。ゴールならず。これも、もはや日課。私はエコバッグを片手に夕食の買い物に出掛けた。


 私はスーパーで買い物するより街の商店街で安売りしている食材を見つけて買うのが好きだ。夕暮れが迫る柔らかいオレンジに包まれた商店街は狭い道路に人が溢れている。


「奥さん、サンマが安いよ」

捻りハチマキを頭に巻いた魚屋のおじちゃんが声をかけてくる。


 私は、更に二十円値切り、今日のメインをサンマに決めた。その他にも色々と購入していると、人集りが前方に見えた。


 聞こえてきた奥さん達の話によると、福引きをしているらしい。


 買い物をしたので、手には三枚の福引き券がある。


 私は群集に割り込むようにして入った。

皆、中々当たらないようで、ポケットティッシュを片手に帰って行く。嬉しそうな人は一人いた。その人は五キロの米を抱えていた。


(いいな、私も米か洗濯洗剤が欲しい)


 商品リストは不明だったけど、私は列に並んで順番を待った。

 

 やがて自分の番がくる。私は期待を込めて木製のガラガラを回した。出てきたのは白い玉。ポケットティッシュが渡される。券は、まだ二枚ある。再度ガラガラを回す。今度は緑色の玉。カビキラーが渡された。(まあ、暫く風呂掃除してなかったから使ってみるか)と、最後のガラガラを回す。すると玉がポンっと飛び出して転がった。色は金だ。突然、鐘がカランカランと鳴らされて、福引き担当者に「特賞当たりました。おめでとうございます!」と笑顔で言われた。


(とっ、特賞!)頭の中に高級ホテルスイート、エステ付き無料券やらテーマパーク無料券やらハワイ旅行無料券やらが虹色に輝いて浮かぶ。


 担当者は凄く笑顔だ。笑顔で特賞の商品を私に渡した。


「えっ?」

手に乗せられた商品を凝視する私。手にはアラジンに出てくるようなランプが乗っている。しかも古そうな……。


(いやいや、こんなランプを貰っても使い道がない)


「ちょっと、特賞でしょ?もっといいモノちょうだいよ」


私がそう言うと担当者は「それ以上に高価な品はございません」と返した。


 諦めずに抗議しようとしたが、後に並ぶ人に舌打ちされ、私は身を引いた。


 しょうがなしにランプをエコバッグに入れて持ち帰る。

ダイニングテーブルの上にランプを置くと、ランプは生魚の匂いがした。きっとサンマの汁が漏れたんだろう。


 しかしだ、この煤けた黄金色に輝くランプ、インテリアとして飾るか捨てるかの二択しかない。私は捨てることを選択し、最後に「さよなら」とランプを撫でてゴミ箱にシュートした。今度はゴールが決まる。だが、その時、ゴミ箱から凄い量の白煙がたちのぼったのだ。


 咄嗟に火事と判断した私は風呂場にあるバケツに水を汲んでゴミ箱にザバーッとかけた。


 ゴミ箱のサイズは45L、その中から声が聞こえた。

「ひっどい扱いだがやーっ!ビチョビチョだがや!」


 声変わり前の少年のような声。いや、女の子か?


 恐々見ていると、煙が消えた直後キーホルダーについているようなキャラクターが飛び出してきた。


 サイズはキーホルダーの先についているキャラクターなので、かなり小さい。でもキャラクターのように可愛くはない。頭部はカッパハゲ、顎の周りをびっしりと囲んだ黒ヒゲ。服装は裸体に茶色い腹巻、白いブリーフパンツを履いている。すね毛が目立つ素足だ。


 つまり、まとめると、オッサンなのだ!


オッサンは喋った。

「わいの名前は宝剣響也ほうけんきょうや。ランプの精霊だがや」


 なんだ、これ?訳わからん。名前と容姿が合ってないし、精霊って何?


(気持ち悪い!)私は後退を繰り返す。何とかバッグの中に入ったスマホに辿り着き警察に連絡しようとした。


「ち、ちょい待てだがや!」

 

どうやら羽が生えているようで、オッサンは私の目前までパタパタ飛んできた。


「落ち着けだがや。わいは怪しいもんちゃうで!お前のターニングポイントまで時間を戻すことができるだがや」


バッグに突っ込んだ手を止める。

「ターニングポイント?」


「そうだがや、誰にもあるだろう?人生が大きく動く分かれ道だがや」


(えっ?自分の人生のターニングポイントってどこだろう?)暫く考えてみる。すると差し出された四人の手が浮かんだ。


私の表情を読んだオッサンはニヤリと口角を上げる。

「ターニングポイントがどこか分かったようだがや。その瞬間まで時間を巻き戻してやるだがや」


「まっ、巻き戻すってどうするの?」


「それは精霊の力だがや。心配するでないだがや」


 あの時まで巻き戻すってことは十九年前、私が光輝いていた頃だ。花の二十三歳。高校卒業からフリーターだったけど、秋葉原のメイドカフェでオタク達を「ご主人様」と呼び、そのオタク達にファンクラブができるほど人気に満ちていた日々。地下アイドルもデビュー寸前だった。


(あー、あの頃に戻りたい)


 オッサンの説明を聞くと、ターニングポイントに戻れるチャンスは三回あると言う。つまり、選んだ人生が失敗したら戻ってやり直せるという訳だ。


(これは特賞に値するモノを当てた!)


 今の人生は平凡すぎてつまらない。もう飽き飽きだ。私はオッサンを直視した。

「お願いします。私のターニングポイントまで戻して下さい」


「だがや、だがや」


 オッサンはその言葉を最後に風船が破裂するように消えた。


 私は爆発音に驚愕して固く目を閉じる。


すると耳に多数の足音と信号機のメロディーが聞こえた。


 目を開く。最初に映ったのは誰かの手のひらだった。

視界を上げてみると、四人の男性が私を見下ろしている。

ここは交差点の中央、点滅する歩行者信号機は、もうすぐ赤になる。


 あの頃の記憶がクリアに蘇った私は、夫の手を取ろうとした指先を慌てて引っ込め、左側に立つサラサラヘアーのイケメンの手を取った。


 夫を含めた三人は、走って横断歩道を渡って行く。


「早くしないと赤になっちゃうよ」

イケメンが白い歯を覗かせて、私の手を引いた。


「はい」

引かれるまま、素直にイケメンの後に続く私。


 これからイケメンパラダイスが始まる予感がした。

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