ep1 出会いは時に突然で―Part.6

 大学の施設案内は、ただ大学を練り歩くだけだった。一人では退屈なものだったろうが、和哉といろいろと話すことでそんな退屈を殺すことができた。


 浪人したことを伝えると変に気を遣わせてしまったが、和哉自身もアイドルオタクな面が高校では悪い方に働いてしまったと明かしてくれた。髪を染めたのも、お洒落を覚えたのも大学デビューを果たすためだったと。


 長くはない時間ではあったが、お互いに関係は深まった。施設案内が終わると和哉はバイトがあるらしく、駅へ向かう和哉とは大学の前で別れることになった。


「バイト探さないとな………」


 大学前のバス停で、一人バスを待つ。

 独りごちた言葉を拾う者はいないはずだった。


「コンビニでいいんじゃない」

「コンビニか……えっ、リレイっ!?」


 返って来た言葉に無意識に反応してしまったが、いつの間にか隣にリレイが立っていた。帽子を深く被ってはいるけど、すぐに分かった。帽子のつばから覗かせる上目遣いの瞳は愉快そうだ。


 リレイの名前を叫んでしまった口を手で押さえ、周囲に目を配る。幸いにも通りかかる人はおらず、誰にも聞かれずに済んだみたいだ。


「どうしてここにいるんです」


 人の目がある場所で有名人と話すのは気が引ける。小さい声で問い掛けると、リレイがおもむろに帽子を脱いだ。露わになった顔は、どこからどう見てもリレイだった。


「気付かれますよっ」


 リレイの手から帽子を取って、深く被せる。再度周囲に目を配って、見られてないかどうかを確認する。それが可笑しかったのか、小さく笑うリレイの声が聴こえた。


「みんな案外気付かない。目立たないように振舞ってる方が人目につく」


 深く被せた帽子のつばをリレイは少しだけ上げる。


「経験談ですか?」

「さぁね。それより、あんたバイトしたいわけ?」


 返答をはぐらかし、リレイが聞いて来る。

 なんで君がここにいるのかを一番知りたくはあるが、訊かれたからには答えなければ。リレイの機嫌を損ねて、ストーカー呼ばわりされたくはない。


「学費ですよ。奨学金を貰ってるんで返さないといけないんです」

「社会に出てから返せば」

「将来、何があるか分からないですから。今の内に出来るだけ貯めておきたいんです」

「真面目ね」

「リレイさんこそ。大学に復学するなんて真面目じゃないですか」


 復学と聞いて、上目遣いで見上げていたリレイの瞳が細めれた。


「わたしのこと調べたわけ」

「友達から聞いただけですよ。噂って聞いてましたし、言ってみただけです」

「それを調べたって言うんでしょ。あんたやっぱりストーカーね」

「………そう思うなら、僕から離れた方が良いんじゃないですか?」

「なら、あんたが引っ越して」

「大学生は貧乏ですから。そう簡単に引っ越せないんですよ」

「出て行くことは出来ると思うけど?」

「僕に路上で生活しろと言うですか」

「何か食べに行こう」

「は………?」


 リレイとの会話は疲れる。

 相変わらずストーカー呼ばわりされ、家を出て行かされそうになる。僕を追い出したいのかと思えば「何か食べに行こう」だなんて言い出すし。リレイが何を考えているのか全く見当が付かない。


「だから、何か食べに行こうって言ってるの」

「急になんです……?怖いですよ」

「嫌なわけ?」

「別に、そういうわけじゃないですけど……この後、用があるんです」

「じゃあその後でもいいよ。あんたの用が終わるまでついて行くから」

「いや、勘弁してくださいよ。行くの病院ですから」


 本当について来かねないのできっぱりと断る。

 嫌だから断るのではなく、外せない用事があるからという理由を分かってくれただろうか。深く被せた帽子のせいでリレイの表情が窺えず、言葉も急に返ってこなくなるので不安になる。


 待っていたバスが到着した。

 ガスの抜けるような音を上げながらドアが開く。


「あっそ」


 そんな一言を残し、リレイはバスに乗らず去って行った。


 怒らせてしまったのか。と言うか、今のは僕が悪いのか。分からない。リレイの考えていることは本当に分からない。


 そもそも何故、彼女はここにいる。復学したと言うなら不思議ではないが、響輝や守屋先輩は基本的にリレイは家から出て来ないと言っていた。それに復学して通い始めているのなら、大学はもっと大騒ぎになっているはずだろう。


 本当に何か食べに行きたかったと?

 でも何故、僕なんかと。


 先頭の僕がバスに乗らないと後ろに並ぶ人達がつっかえてしまう。最後に一度、リレイの背に目を向けてからバスに乗り込んだ。


 リレイのことは気になるものの、車窓からはすぐに見えなくなった。いくら考えたところで彼女の真意は分からないし、彼女のことを全く知らない僕では理解することも難しい。


 バスに揺られること三十分。そこから地下鉄に乗ってさらに四十分ほどの場所に母さんの入院する病院がある。意識はあり、元気ではあるが、身体の麻痺によって寝たきりの生活を強いられている。


 それでも、身体麻痺の症状は緩和されつつある。医者からは快方に向かっていると聞かされているが、完治するまでは、まだあと数年は掛かる。


 これまでもこれからも、入院費や医療費等々でお金は必要になる。仕事で忙しい父さんに代わって、母さんの見舞いは任せて欲しい。母さん本人は元気だから頻繁に来なくていいと言ってくれるが、生活用品を届けたりで月に一度は行かないといけない。


 バイトや勉強で忙しくなっても、母さんへの見舞いは行くようにしたい。


 地下鉄から地上へ上がり、歩いて五分のところに真っ白な病院が建つ。最近になって外壁の工事が終わり、新築のような白さになっている。


 病院一階の受付で面会の手続きを済まし、母さんのいる病室へ向かう。もう何度も訪れているため、看護師に案内されるようなことはない。廊下ですれ違う看護師の中には声を掛けて来てくれる人もいる。


 病室の扉をノックすると中から「どうぞ」と母さんの声が返ってくる。声音からして調子は良さそうだ。


「あら、みなと。早いわね」

「読み終わったって聞いたから、新しいのを持ってきただけ。母さんの読みたかった本って、これで合ってる?」


 鞄の中から六冊の小説を取り出し、その中の一つを母さんに見せる。


「そうそう。これよ」


 大分治った手と腕の麻痺だが、多少の震えは未だに残っている。母さん目当ての小説を渡してから、ベッド横のテーブルに残りの五冊を重ねて置いておく。ここなら母さんも無理をせずに取れる。


 パイプ椅子に腰を掛け、一息つく。


「ため息なんていて、何かあったの?」

「母さんが勧めた引っ越し先の集合住宅、覚えてるでしょ」

「覚えてるわよ。立地も家賃も安くて良いところじゃない。もしかして、何か問題でも?」

「あそこは集合住宅じゃなくて、シェアハウスだった。国大の学生がふた……三人暮らしてた」

「あらっ、そうなの。間違えちゃったのね~」


 隠す気の感じられない母さんの言葉を聞いて、さらにため息が口をついて出る。


「一人で暮らすのは何かと大変よ。同じ大学の人とシェアハウスすれば、家事とか分担できるし、友達にもなれるでしょ。あなた昔から友達作るの苦手だったじゃない」

「余計なお世話だよ」


 響輝や守屋先輩は良い人達だし、一緒にいて面白い。だが、シェアハウスの敷地内に厄介なアイドルが住んでいるとは母さんも想定していなかったはず。


 バス停のことを思い返せば、その厄介なアイドルに目を付けられてしまった可能性が無きにしもあらずで、色んな意味で動悸がしてくる。


「どうなのよ?」

「それはシェアハウスのこと?それとも大学?」

「両方よ。浪人した甲斐はあった?」

「まだ授業始まってない」

「それじゃあシェアハウスは?」

「悪くはないかな」


 嘘は言わない。言ったところで母親だからか、すぐに嘘だと見破ってしまう。どんな特殊能力かと思えば母親なら誰でも分かると言う。いくら頑張っても、母親にはなれない僕では一生分かることのないものではあるが。


 「悪くない」という言葉に反応して、母さんはにんまりと口角を上げるが、そうするだけで深く追求してくることはない。


「そう言えば、さほが来てくれたわよ。見ない間にすっかり綺麗になっててね。病院ここの近くに住んでるらしいの」

「……そう。元気だった?」

「あなた達、高校一緒だったでしょ」

「三年間クラス違ってたから、もうずっと会ってないよ」

「会ってないの?昔はあんなに仲良かったのに。さほ、洋服の専門学校に行ってるって。昔から好きだったものね」

「小学生の時の話しでしょ。あぁ……もう時間だから行くね」


 パイプ椅子から立ち上がる。


「バイト?」

「探し中」

「なら『いろり』っていうカフェがバイトを募集してるのよ。騒がしいところより、静かな方がいいでしょ」


 元気ではあるが、病院で寝たきりの生活をする母さんがバイトの募集を知っているなどおかしい。訝しげな目を向けると「担当の看護師さんに教えてもらった情報よ」と一言。


「後で調べとくよ」

「そうしなさい。気を付けて帰るのよ」

「分かってる。また来る」


 意識の無かった頃と比べて、母さんの容体は医者も驚く具合で良くなっている。母さんの病室を訪れる度に、もう大丈夫なんだという安堵で心が満たされる。今日もそんな安堵感に満たされながら病院を後にした。


 時刻は15時を過ぎた。

 この後、何か用があるわけじゃない。「もう時間だから」と逃げるように病室を出た結果、昼食を取るにも中途半端な時間になってしまった。それでもお腹は空いてるし、帰り際に何か食べて帰ろうか。


「何か食べに行こう………」


 リレイが何を思って、僕を「食べに行こう」と誘ったのかは分からない。けど、その誘いを断わっておいて外食する気は起きなかった。結局、コンビニに寄って小腹を満たす程度の買い物をして、家に帰ることにした。


 地下鉄とバスで一時間半。

 シェアハウスの建つ小高い山へ続く坂前で停車したバスから降りる。走り去っていくバスに隠れて見えなかった向かいのコンビニに、帽子を被った女性が入って行くのが見えた。


 案外気付かれないとは言っていたけど、後ろ姿でもリレイだとすぐに分かった。彼女がここに住んでいることを知っているからかもしれないけど、和哉のようなファンなら帽子を被った後ろ姿でも気付いてしまいそうだ。


 横断歩道は少し歩かないと無い。

 左右に目を向けてから、小走りで車道を渡る。


 つい追って来てしまったが、コンビニに入るのは躊躇われた。出て来るのを外で待つことにする。下から見下ろすことが多く、こうしてシェアハウスの建つ小高い山を眺めるのは初めてかもしれない。


 桜の花びらが一枚、風に運ばれ空を舞う。引き寄せられるようにして落ちて来るので思わず腕を伸ばし、指先でつまんで捕まえた。山上に咲く桜の花びらが風で散って、ここまで降って来たのだろう。


 コンビニの自動ドアが開くと同時に誰かが早歩きで飛び出してきた。


 帽子のつばをつまみ、深く被った黒髪の女性が横切った拍子に、手の平へ移した桜の花びらが宙を舞って地面に落ちる。リレイがコンビニから出て来た。


 彼女の名前を呼ぼうとして人目があることを思いだす。


 早歩きで去って行くリレイは、まるでコンビニから逃げ出して来たようだった。赤信号に捕まってくれたおかげで追いついた。人がいるので名前は呼ばず、リレイの肩に手を伸ばす。


 肩を軽く叩いて気付いてもらおうと思っただけなのだが、許可もなく触れようとしたのは間違いだったかもしれない。


 気配を察してか、伸ばした手は帽子のつばをつまんでいたリレイの左手によって弾かれた。リレイが顔だけを振り向かせる。目深に被った帽子から覗く瞳は、初めて会った時に見せた睨むようなものだった。


「………急に後ろに立たないで。殴るところだった」

「ご、ごめんなさい……」


 目深に被った帽子を少し持ち上げる。

 そのおかげで顔がよく見えるようになった。


 ファンに笑顔を振りまくアイドルとはほど遠い冷めた目付きに笑みを見せない口もと。引っ越してからと言うもの、リレイとは毎日出くわしているが、いつも冷めた表情をしている。


 公には体調不良で活動休止になっているけど、本当のところはリレイ自身にしか分からない。きっと、長い付き合いであるだろう事務所の人やメンバーの人達にも彼女の本心を分かってあげることは出来ない。


 誰だってそうだ。

 自分の両親であっても、どういう人で何を考えているかなんて完璧に理解することは出来ない。友達や仕事の関係者となれば尚更だ。


 でも『知ろう』とすることは出来るんじゃないか。


「夕飯、何か食べに行きませんか?」

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