第2章 女帝

第12話 今夜もお楽しみですか?

 空には大きな月が浮かんでいた。


 そこから降り注ぐ柔らかい月の光は、灯り一つない裏道でも足下を照らし出してくれている。


 ――そして、


 マヤは今、夜陰の中で息を殺して身を潜めていた。


「くふふふふ、今夜こそ、真相を突き止めてみせますよ~」


 他人に見られたら怪しいことこの上ない。


 しかも夜の街の物陰という、警備兵に突き出されても文句が言えないようなシチュエーションである。


 自分でもわかっているのだが、胸の奥から突き上げてくる感情が止められないのだ。


 人生、という言葉を使うにはまだ若すぎる自覚はあるマヤだが、それでも自分にとってそう言うべき時間の大半を魔法の研究に人生を捧げてきた。


 幼い頃から他人より優れた適正を発揮したマヤは、周囲から褒められる嬉しさもあって自然と魔法について学んでいった。


 その中で、古代魔法に出会い、自分たちとは比べものにならないほどの繁栄を誇った天空人の謎に魅入られた。


 この世界で広く使われている「魔法」には多くの秘密が隠されているように思えたマヤは、以来、ずっと古代魔法について研究を続けてきたのである。


 研究者の中では眉唾と言われ、マヤのテーマは鼻で笑われてきたのだが、ここに来てやっと手がかり――それどころか現物と遭遇できた。


 虫の知らせとも言うべき直感で彼の言動を隠れて伺っていたのだが、あの瞬間、マヤの体にこれまでに味わったこともないような衝撃が走り抜けた。


 決してこの好機を逃してはならないという緊張感と、長年追い求めていた謎に迫れるという興奮でさっきから妙な汗がじわじわとわき出している。


 念願の手がかり――ユージン・オーキッドと出会ってから数日。


 エスターシアに存在する、魔法にまつわる遺跡を巡って歩くと言っていたユージンだが、まだシェルの街から移動していなかった。


 さりげなく次の目的地に行かないか促すのだが、その度に気のない返事で誤魔化されている。


 彼の真意はわからないが、一つだけわかったことがあった。


 それは夜な夜な、彼は宿を抜け出して夜の街に出かけているらしいことなのである。


「しかし不覚でしたね……」


 案内人は待機も長いので、魔法防壁の近くにある宿舎を使える。


 夜はユージンと分かれてそこで寝起きしているので、ユージンの行動に気づくのが遅れてしまったということなのだ。


「でもユージンさん、私に内緒でなにしてるんだろ?」


 案内人が付く制度を知らなかった様子だったので、マヤの目を逃れて目的達成のため動き回っている可能性は高いと思っていた。


「まあ、仮にそうでなくても……」


 シェルの街は、国の外とつながっている数少ない窓口の一つ。


 外からエスターシアへと訪れる人や物が集まってくる街である。


 自然、こうした街には猥雑さを併せ持つことになるので……。


「ユージンさんが悪所通いをしている可能性もある」


 マヤの口元には自然と悪い笑みが浮かび上がってきた。


「そんな面白――いえいえ、依頼人を守るために真実を知るだけなんですよ。そのおまけとして、私の研究への協力を強要――コホン、依頼するというごくごく当然の目的なんですよ」


 誰へともわからない弁解を口にしながら、マヤは茂みの中に身を潜めていた。


 目の前にある建物こそ、ユージンが腰を据えている宿だ。


 しかも裏口である。


 情報によると――。


「あ、出てきた!」


 この時間、ユージンが裏口から出かけ、夜遅くになるまで帰ってこない。これは宿の小間使いにお金を握らせて得た情報である。


「さてさて、ユージンさんはどこへ行くんでしょうねぇ」


 この明るさなら見失うことはないだろう。


 安全を考えて、可能な限り距離を取って追いかける。


 ユージンは多少周囲を警戒した様子を見せながらも、どこかへと向かって一直線へと歩いていった。


 その足取りに淀みはない。


 この数日、毎日のように通ったおかげなのだろう。


 誰にもすれ違わない裏道を選んで進んでユージンは、やがて一軒の廃屋のような建物の中へと入っていった。


「ここ、別にそういう商売が集まっている場所ではないですよね……」


 不思議に思いつつも、近くにあった茂みに身を隠し様子を見ていると、中でランプをつけたのか淡い灯りが漏れ出してくる。


「も、もしかして、誰かと逢い引きでは!? にゅふふふふ、これはこれで面白――いえいえ、状況観察を続けましょう」


 面白い現場が見られるかと期待を高めながら待つことしばし、一人の女性が怯えた様子を見せながらもユージンが待つ廃屋へと入っていった。


「背格好からすると、若い女性ですね。顔は見えなかったですけど……」


 言いながら、耳に全神経を集中する。


 男女がむつみ合う声とか、不穏当な物音が聞こえないかどうか。


「ひゃぁ、どうなってるんだろう。なにしてるんだろ! あ~、突入したい! でもまだ待たないと! でも待てない!」


 マヤは思い切って動き出し、廃屋のドアを蹴破るようにして開け放った。


「ユージンさん、面白い現場、押さえましたよ! 私の研究に――」


 協力して下さい、と続けようとしていたのだが、そこで見たものはある意味でここに来るまで一度も予想していないものだった。


 廃屋は、外から見た印象通り寂れていた。


 それでも掃除はしたのか不要な家財道具は片付けられ、埃なども落ちていないようだ。


 そこにいたのは二人の人影。


 先程入った女性がすすり泣いている。


 身なりは質素だが、妙齢の、かなりの美女だ。


 室内にはムワッとむせ返りそうな匂いが立ちこめていている。


 どうやら香木を焚いているようだった。


 ただ残念ながら、二人とも衣服は身にまとったままで、ユージンにいたっては本当にユージンかどうかわからなくなっていた。


 厚手の生地で作ったローブをまとい、頭はすっぽりフードで覆い隠しているからだ。


「お嬢さん、これであなたの悩みは解決されました」


「は、はい、はい! ありがとうございました! これはお約束の喜捨です……。少なくて申し訳ないのですが……」


「額は関係ない。あなたの気持ちが大切なのです。それに、貴重な話もお聞かせいただきました。この出会いに感謝いたしますよ」


 本当にユージンなのかわからないような言葉遣いだが、声は、多少くぐもっていたが確かに彼のものだった。


 女性は、明らかに飛び込んできたマヤの存在に戸惑っているようだったが、礼もほどほどにその場から立ち去っていく。


 誰も相手にしてくれない。


 気まずい沈黙が場に流れる中、残った男はようやくフードを取り払う。


「あ、やっぱりユージンさん! 冷たいじゃないですか~、ちゃんと出迎えて歓迎して下さいよ!」


 ユージンは無言のまま、非常に苦々しい表情をし、何故か額のあたりをぴくぴくと痙攣させていた。

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