第10話 星を司る者

 言われた条件と、自分の父親の命を秤にかけてオリガはとうとう泣き崩れる。歩み寄ったユージンはちょうどその体を受け止めるように支えた。


「大丈夫か……?」


 オリガは、呆然としていて答えない。


 可哀想にとユージンの中に義憤が生まれる。


 マヤに言われるまでもなく、魔法が使えなくなる理由は背信などではない。というより、星魔法と信仰心の間にこれぽっちも関係などないのだ。


 この世界の魔法は、衰退しつつある。


 ユージンだけがその理由を知っていた。


 単純なものだ。


 直接的な原因は、新たな星の杖が作られないようになり、新たに生まれた人間のための杖は亡くなった人間から回収されたものを再授与するようになったことだ。


 星の杖と呼ばれる端末は、かつてこの世界にやってきた人間が作ったもの。ユージンと同じ世界の人間ならわかる通り、星の杖とはスマートフォンなどのデジタルデバイスと同じだった。


 一定のストレージやメモリを持った端末に、アプリと同じ要領で魔法をインストールする。


 問題は再授与で、所有者のロックこそ外すものの、スマホなどで言うところの初期化は行われない。


 だからこそ、あらかじめ魔法がインストールされた状態で入手することになるのだが、問題は、再授与を重ねる度に所有者の情報がツリー状に書き加えられ膨大な履歴が残ること。


 加えて長期間の使用履歴がいわばキャッシュのような形で残され、メモリやストレージを圧迫するようになっていくのである。


 領域が枯渇し、ろくな魔法をインストールできなくなり、メモリ不足で魔法が起動できなくなってしまう。


 神を裏切った、背信の罪などという大げさなものではなく、たったそれだけのことなのだ。


(……オプション起動)


 誰にも聞こえないように、口の中だけで命令を走らせた。


 同時に左右の手の平の中心――ちょうど、この世界に来たあの日、木の根のような何かが貫いた場所にわずかな異物感が生じる。


 痛みではない。


 痒みですらない。


 ただそこに、自分のものではない物質が埋まっている感触がある。


 実質的な不都合はないが、軽い嫌悪感だけはいつまで経ってもぬぐい去れなかった。これがユージンをこの世界に連れ込んだ奴らに持たされた力であり、聖痕(スティグマ)なのだ。


 じわり、と熱が籠もるような感触が両腕から伝わってくる。


 その感覚を消さないように、腰に差したままのナイフの柄に手を伸ばした。


 抜き放ちはしない。ナイフを触れていることが重要なのだ。


 ひんやりとしたナイフの柄を握った瞬間、実際には起こりえない現象だが自分の神経が遥か遠くまで延長され頭上のはるか彼方にある何かと接続された感覚が生じた。


 続けざまに命じる。


(周辺検索。検索手段:所有者名。検索名:オリガ)


 次々と神経を通してつながった何かに命令を下していく。


 すると網膜のウインドウが刻々とユージンの命令に反応して条件に合う候補を表示し、絞り込み、やがてたった一人が残ったところでその内容を呼び出した。


 ユージンの希望通り、目の前の女性の懐のあたりに半透明のウインドウが浮かび上がった。


 表示言語はご丁寧にも日本語。


 ただ、ウインドウ自体誰にも見ることはできない代物だ。あるいはユージンの網膜の中に映り込んでいるのだろうか。


 いずれにしてもこれを見ることができるのはユージンだけだった。


 並んでいるのは見慣れた項目で、ユージンは意識だけでその中からストレージの項目を選び、状況を確認する。


(思った通り、容量がカツカツか)


 ついで、メモリ使用量の項目を選び、ここでも同じように領域が枯渇していることを確認する。


(あまり目立つとまずいから、まあ、キャッシュの消去で充分か)


 考えると同時に、メモリ使用量の項目にぶら下がっているキャッシュクリアの機能を選択。するとバーグラフが表示され、作業進行度を教えてくれる。


 あの時、召喚された儀式の間で授けられたのはこの能力だけだった。


 ユージンはこの世界で使われている星魔法の使用者を管理しているメインシステム――つまりはセフィロトの大樹にアクセスすることができる。


 デジタル的な仕組みであるため、目の前のその人、のような曖昧な検索方法は使えないが、その人物の使用する魔法や正式な個人名がわかればシステムから逆流して管理者として強力な権限を持った干渉が可能となるのだ。


 この権能は強力だが、相対的なものであり、相手がいなければ何もできない。


 また検索も、うまくヒットしたからよかったものの、相手が偽名を使うだけで無効化される脆弱な能力だ。


 どうせなら派手な攻撃魔法の一つでも授けてくれればよかったのに、星の杖や星魔法をメンテナンスするための能力なのだろう。


 使い道は色々あるが、表立って打ち明けられるものでもない。


 おかげで道中、ユージンは無能力者として過ごさなければならなかった。


 純粋に魔法が使えない人間も増えてきているが、差別は根強いので面倒くさいことこの上ない。


 作業が完了したところでユージンはオプションを閉じ、強引に女性を立ち上がらせた。


「俺は国外から来た旅人だが、故郷では一度使えなくなってもたまに復帰することがある。もう一度試してみてはどうかな?」


 オリガもマルタンも、脈絡なく口を差し挟んできたユージンに対して怪訝な目を向ける。


 空気が読めないのは外国の人間だからかと、多少の諦めを交えながらオリガは首を横に振った。


「何度も、何度も試したんです。ですけど……」


「いいからもう一度」


 静かに、彼女をまっすぐ見つめてそう促す。


 その視線に気圧されたように、オリガはおずおずと頷き、懐から星の杖を取り出した。


 美しい、深緑の端末だ。


 傷もほとんどなく、大切に使われてきたことがうかがえる。


 そしてキャッシュをクリアした今――、


「……動いて」


 必死な声で、オリガは祈るように星の杖を操作した。


 その途端、彼女が指定したのだろう場所に、どこからともなく拳大の水の玉が現れチロチロと清潔な水が流れ出す。


「あぁっ!?」


 魔法を使ったオリガ自身が一番驚いて目を見開く。


「これ、嘘、どうして……!? あの、ありがとうございます!」


 女性は興奮した様子でユージンの手を取り、額に押し当てるようにして感謝を述べる。


「別に……、俺はなにもしてない」


 ユージンは感謝の言葉を適当に受け流しておいて、マルタンを見る。


「で? 彼女の魔法消失は一時的なものだったようだから、これで追放云々は白紙だな?」


 ユージンが水を向けると、ぽかんと口を半開きにしたまま状況を見守っていたマルタンが「うぐぐぐ」とうめき声を上げる。


「そ、そんなわけはない! 魔法が起動したことこそただの偶然だ! 一度枯れた魔法が復活するなど、ありえん! ありえんのだ!」


「ありえんのだって言ったって、これこの通りだろ? あんた、もう一回やって見せてやりなよ」


 ユージンの言葉に、オリガはコクコクと頷いて慌てて魔法を使用する。


 当然、魔法は再び起動する。


「な!?」


 マルタンは絶句である。


「ふ、ふざけるな! なにが旅人だ胡散臭い! どうせお前が何か小細工を弄したに決まっている! その女はわしのものだ! こ、高貴な魔法に選ばれたわしの言葉は絶対なんだ!」


「高貴な魔法、ね……」


 ユージンは女の杖を処理した後すぐに、男の端末にもアクセスしていた。


 彼のストレージに登録されていたのは、マヤも使っていた初級の攻撃魔法と、簡易的な治癒魔法のみ。


 治癒といっても、ちょっとした切り傷や腹痛を癒やす程度のことしかできないだろう。薬を飲んで大人しく寝ていれば一日で事足りる程度のことしかできない「高貴な魔法」なのだ。


 何より、「神に選ばれた」という男の言葉がかんに障る。


 魔法は、神の御技などではない。


 純然たるシステムでしかなく、個人差が出ているのはただの不具合だ。


 しかも彼が使っているのは同胞を犠牲にして生み出した星の杖。


 善行を積めとは言わない。


 しかし、そんなただの偶然で他人を踏みにじって平然としている男の態度は、見逃せるものではなかった。


「俺にはあんたの方が胡散臭く見えるけどね。ご自慢の魔法とやらを披露してくれよ?」


「ふ、ふん! いいだろう! 後悔の暇すら与えてやるものかよ!」


 そう言うが早いか、男は懐から星の杖を取り出す。


 扱いが乱雑なのか、何度も落としたように擦り傷だらけの杖だ。


 男は星の杖の表面をなぞり、魔法を選択しようとし、そして凍りついたように動きを止める。


「は? な、なんだ……!?」


 男は自分の杖を凝視して固まっている。


 その画面はこちらから見えない。


 しかし表示されている内容は、ユージンには筒抜けだ。


 彼の杖に表示されているのは、


《魔法がインストールされていません》


 という文言だ。


「そんな馬鹿なことがあるかっ! この、この!」


《魔法がインストールされていません》


《魔法がインストールされていません》


《魔法がインストールされていません》


《魔法がインストールされていません》


《魔法がインストールされていません》


 男が星の杖に触れる度に、同じ警告文が繰り返される。


「そ、そんな馬鹿な~~っ!」


 悲鳴のような声を上げ、男はその場で卒倒してしまうのだった。


 マルタンの部下とおぼしき男が駆け寄り助け起こす。


「で、どうすんだ? 魔法が途中で消えたら背信者確定なんだったな? あんたのこともどっかに突き出せばいいのか?」


「し、失礼いたしました~~~っ!」


 マルタンは気絶したままだったが、男は彼の手下だったのか、慌てふためきながら主のでっぷりと肥え太った体を抱えてその場から逃げ去っていくのだった。


「あんた、よかったな」


 これ以上、深入りするつもりもなかったので立ち去ろうとしたのだが、そのユージンの手をオリガが握りしめ引き留めてきた。


「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! このご恩はどんなことをしてでも必ずお返しいたします! 私にできることでしたらなんでもお申し付けください」


 などと、熱っぽい眼差しでユージンに訴えかけるのだ。


「さっきも言ったが、たまたま通りかかっただけだ。気にすることはない」


 本当に、ただの気まぐれ。


 オリガを助けたいという親切心よりも、ただただ、マルタンの言動がむかついたという短絡的な理由なのだ。


 あまり感謝されても居心地が悪くなる。


 だからユージンは、適当なところで彼女の手をほどき足早にその場を立ち去るのだった。


(早く行かないと、怪しまれるしな)


 マヤにお使いを頼んでいた。


 果実水を売っている露店に向かえば行き違いにはならないだろう――そう思っていたユージンだったが、


「や~、いいもの見せていただきました」


 と、何故か物陰からマヤが姿を見せてユージンに満面の笑みを向けるのである。


「古代魔法――ですね?」


「……とりあえず、場所を変えても?」


 ユージンは精一杯苦い顔を作って辛うじてそれだけを口にした。


「もちろんですよ! 私はユージンさんの案内人! あなたが行く場所なら喜んでご一緒させていただきますよ~」


 手をもみ合わせながらご機嫌にそう言うマヤを連れて、ユージンは足早にそこを立ち去るのだった。


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