第9話 背信者と呼ばれた女
エスターシアで、星の杖がどのように授与されているかを見物していたユージン。
「どうか、どうかお願いいたしますっ!」
突然、切実な声が聞こえてきた。
周囲に満ちる日常とはあまりに温度差があったため、他の音を押しのけユージンの耳に飛び込んできたのだ。
声が聞こえた方に近づいていくと、マヤも何も言わずについてくる。
問題が起こっていたのは、教会の裏口の方だった。
教会としての施設に加え、表からは目立たないが居住用の建物も併設されているらしく、裏口は言ってみれば住んでいる人間が出入りするための場所らしい。
表の重厚な扉とは違い、一般人の住宅とたいして変わらない質素な扉がついているだけだが、そこで一人の女性が中年男と押し問答になっているようだった。
女性の衣服は、この世界の教会に所属する修道女の制服である。
おそらく教会のシスターだと思うのだが、ただそれにしては、彼女の立ち位置がおかしい。
中年男の方が教会の前に立ち、まるで彼女を阻むような位置関係になっていたのだ。
もちろん、若い女性だから一方的に味方をするわけではない。
中年男の服装は貴族風で、教会関係者に見えないので不自然に思えたのだ。
「どうかお考え直しください! いくらなんでも、いきなり追い出すなど乱暴ではありませんか!?」
必死に訴える女性に、中年男はニタニタと嫌な笑みを浮かべながら答える。
「オリガ殿、そうは仰いますが、君には重大な問題を抱えておられるでありましょう?」
「そ、それは……」
女性――オリガの勢いが目に見えて衰える。
中年男はそれで勢いづいた。
「ここは神聖なる神の家であろう?」
「そ、そうです。ですから私は日々、聖なる大樹に感謝を捧げながら……」
「はん、敬虔な使徒のふりはやめたらどうだ、この背信者が!」
中年男はうんざりした様子でそう言い放った。
「わ、私は背信行為などしておりません! 誤解です!」
「誤解なものか。君は魔法の力を失ったのだろう? 神が与えたもうた星の杖が、君が行いを見抜いたのだ!」
「そ、そんな……!? 本当です! 私は誓って後ろめたい行いをした覚えはありません!」
「ふん、信じられるか。だったら魔法を使って見せろ!」
「そ、それは……。ですが、本当に私は――」
中年男の指摘に、オリガは目に見えてうろたえながらもどうにか食い下がろうとする。
「さあ、タワゴトはそこまでにして、父娘揃って出ていってもらおうか。なに、あとのことはこのマルタンに任せておけばよい。これまでは授与も無料でやっていたようだが、きちんと使用料を取って、この教会を栄えさせてみせよう」
「そ、そんな! それでは貧しい住人が、魔法の恩恵を受けられなくなってしまいます!」
「知らんよ! 借金でも何でもして授与式を受ければいい。少なくともお前のような背信者でなければなんとかなるだろうさ」
「無責任すぎます!」
「ふん、背信者はまずは自分のことを心配すればいいだろうに」
そこまでのやり取りで大まかな状況は把握できた。
「つまり、彼女はあの教会のシスターで、追い出されようとしていると。魔法が使えないと、そんなに立場は弱いのか?」
ユージンが小声で問うと、マヤは苦い顔をしながら小さく頷いた。
「特に教会関係は古い考え方が根強いですからね……」
魔法が使える人間同士に相互扶助は発生する。
だがなんの魔法も使えない人間は相互扶助の輪に入れず、他人にすがる一方になる可能性が高い。
もちろん魔法以外の他の技能で他人を助けることができる可能性もあるだろうが、目に見える「魔法が使えない」という事実は簡単に差別意識を発生させてしまう。
この国では特にその傾向が顕著なのか、魔法が使えなくなった人間は立場がより弱くなるのだようだ。
異端者として糾弾されるような苛烈な扱いを受ける国も中にはある。閉鎖的なエスターシアでも同じなのだろう。
特に、元々弱いながらも魔法が使えていた者が後天的に魔法が起動できなくなったりすると男が言った通り、何か冒涜的な行いをしたのではないかと勘ぐられてしまう。
「……私のことはともかく、父は動かせません。治療しないと、父が死んでしまいます」
オリガは涙を浮かべて懇願している。
「父……?」
「ここの教会は確か、父娘で運営されていたのですが、病に伏されているようですね」
オリガの姿を見て、男の表情が変化した。いかにも面倒くさそうにしていたが、その目に欲望の色がにじみ出す。
「そこまで言うなら考えなくもない」
「ほ、本当ですか!?」
希望を抱きかけたオリガに、マルタンは冷や水を浴びせかける。
「今日から、君は私の助手として過ごしたまえ」
「じょ、助手……?」
「なに、魔法が使えなくともいい。専門知識も不要だ。私が教会を運営する傍らで、私生活を手伝ってくれればいい」
マルタンの言葉が意味するところは何となく伝わってきた。見ればマヤも「うわ、最低」と吐き捨てている。
オリガも同じ発想に至ったのだろう、青くなっていた。
「いいかね。魔法とは神聖な力。わしのような優れた魔法士は、言ってみれば神に選ばれた偉大な人間なのだよ。そんなわしの寵愛を受ければ、ひょっとすると君の魔法の力も蘇るかもしれんぞ? くくくくく、きっとそうだ。そうに違いない」
自分で自分の発言に満足し、下卑た笑いを漏らす。
ユージンは溜息をついていた。
「……あんまり気分のいいものじゃないな」
「いや~、みっともないものお見せしちゃいましたね。とはいえ、教会の運営権は勝手に動かせるものではないので、たぶんあのおっさんはどこかにお金を払って買い取ってるんだと思います」
正義感ぶって止めに入る余地はないということである。
「みっともないっていうのは、ちなみにどういう意味で?」
困っている女性を差してみっともないという表現はさすがにいただけない。
「魔法は偉大な能力ですけど、さすがに神聖視はやり過ぎなんですよ」
魔法学者という肩書きからは意外な言葉が返ってくる。
いや、むしろ学問として魔法を扱っているからこそ冷静な視点を持てるのかもしれない。
いずれにしても、魔法が使えないから排斥するべきであるという極端な考え方には反対のようだ。
「魔法が使えなくなっただけで背徳者とか、さすがに荒唐無稽すぎて笑えちゃうでしょ? その上、あのジジイは立場を利用して若くて見た目のいい愛人を囲おうと言うんだから笑うしかないですね」
男の言動を見ていれば、どっちが背徳者だと言いたくなってくる。
こうした閉鎖的な共同体で、歪な価値観が主流となり、どこをどう見ても理不尽な意見がまかり通ることは珍しくない。
ユージンからすれば愚かなことこの上ないのだが、この世界ではこうした現実が横行しているのである。
(……やはりここには永遠に馴染めない気がするね)
ユージンは胸の中で吐き捨てながら小さく溜息をつく。
「場所を変えましょう」
マヤも、女性を助けるつもりはないらしいが、それでも不快は不快であるらしい。
できることは足早にここを立ち去るだけ。
――ただユージンは、
(……だったらこっちも、やりたいようにやるだけさ)
と目の前の不快感に対して、遠慮という言葉をしばらく意識の外へと追いやることにしたのである。
「わかった。けどその前に、ここに来る途中にあった露店で果実水が売ってただろ? 口直しに買ってきてもらえるか?」
「え? 私が? ですか?」
「こき使って悪いけどな。ほら、金。あんたの分も一緒に買ってきてくれ」
「あ、はい、いいですよ。……ではごちそうになりますね」
「よろしく」
多少いぶかしげにしながらも、マヤはユージンが差し出した硬貨を受け取ってその場から立ち去る。
周辺の状況を見ながら、ユージンは一歩を踏み出す。
いまだに言い争う二人に向かって、だ。
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