悪いが俺に、世界を救ってやる気はない
氷上慧一
プロローグ
第1話 プロローグ
◆◇◆◇◆
――夜。
いつもの時間、
いつもの街、
いつもの道を通って、
もう夜遅いと言って差し支えない時間帯になっていたが、街角から人影が消えることはない。都会では当たり前の光景だが、田舎から出てきたばかりの頃は不思議に思えたものだ。
それが今では、出歩いている人間がこんな時間になっても途切れないということに、心強さすら感じるようになっている。
人付き合いに積極的な方ではなかった。
注目されるのも苦手なので、こうした雑踏だと人波に紛れられるので安心するのだろうか、などという自虐的な感想を抱いたりもした。
しかし、大学進学がきっかけになったのか、あるいは上京や一人暮らしをはじめたことがきっかけになったのか、悠仁の身の回りでは色々と変化が起こりつつある。
少しは友達も出来て、遊びに行くのが楽しいと思えるようになってきた。面倒見がいい先輩と知り合いになり、何かと遊びに連れ回されるようになったおかげだ。
夏休みになったら女友達も紹介してもらえるらしい。今まで恋愛には縁がなかったが、もちろん関心がないわけではなかった。
(デートとか、したことなかったもんな……)
顔がよかったり、運動ができたり、コミュ力が高かったり、そういう勝ち組にならないとなかなか縁がないイベントだ。
(どんな女の子かなぁ……。期待しすぎはダメだよな。でも優しい子だったらいいなぁ……)
なんのことはない。
目前に迫る、大学に入って最初の夏を楽しみにする、どこにでもいる平凡な男子大学生である。
――そんな悠仁の前に、それは現れた。
夜になっても熱を失わないアスファルトの歩道。
ずっと続くと思っていたその確かな感触が、突然消えたのである。
「え……?」
支えるもののなくなった体は当たり前のように落下する。
普段靴の底が踏みしめている道路が一瞬で目線の位置を超えて頭上のはるか先へと遠のいていった。
あ……、と頭上を振り仰ぐ頃には、街の灯りを切り抜いた穴の口は、手の届かない場所へと遠ざかっている。
その頃になってようやく恐ろしさが体の奥から湧き起こり、そのためなのかなんなのか、悠仁の意識はそこであっけなく途切れるのだった。
◆◇◆◇◆
目覚めた瞬間、悠仁はその場で飛び起きた。
記憶はブツリと途切れていて、前後のつながりがわからない。
足の下にひんやりした感触を覚えて視線を落とすと、大理石か何かの、非常に滑らかな石材で作られた広間だった。
ちょっとした学校の教室ぐらいのスペースはあるだろう。
そこに何故か、悠仁は素っ裸で眠っていたらしい。
背中がひんやりとした床の感触を覚えている。
「ちょ、なんだ、これ……」
さすがに全裸は困ると周囲を見回す。
幸い他に人の姿はなく、足下に落ちていた布を拾い上げて体にまいた。
シルクのような滑らかな手触りで、なんの用途で置かれているかはわからない。服に比べて色々心許なくスースーするが、少なくとも清潔そうではあるので贅沢は言ってられない。
(俺、バイトの帰りで……)
パニック寸前という状況だが、努力して自分が覚えている最後の記憶をたぐり寄せる。
(道を歩いていたら、急に……)
落ちた。
そうとしか言い表せない感覚だった。
細心の注意を払って歩いていたわけではなかったので、あるいは暗がりに口を開けていたマンホールにでも飲み込まれたのか。
道を歩いている途中でいきなりストンと落ちた。
あの感覚が成立するシチュエーションをいくつか思い浮かべるが、すぐに否定した。
「いやいや、マンホールに落ちて気を失ったら、病院のベッドで目が覚めるはずだろ」
こんな、見たこともないような場所に全裸で寝かされている意味がわからない。
考えていても答えが出ないと判断した悠仁は覚悟を決める。
広間には四方に両開きの扉が設けられていてどこかの屋敷か、西洋風の城の一室を思わせた。
少し迷ったが、かすかに風が流れてくる方向を目指して慎重に歩き始める。
◆◇◆◇◆
扉には鍵がかかっておらず、少し力を入れると問題なく開いた。
だが問題は、扉の先にある。
「なん、だ、ここは……」
広間の先、悠仁が選んだ扉の向こうは部屋ではなく広いバルコニーになっていた。
太い石の柱で天井を支えられた、立派な造り。
悠仁が驚いたのは、バルコニーの外に広がる風景だった。
「空が、近い……」
雲が、悠仁の視線と同じ高さにあるのだ。
手すりの所にまで駆け寄ると、さらに感嘆の息を漏らすことになる。
地面は、遥か下に存在していた。
ここから見える山々の頂は、すべてが悠仁の視線より遥か下に存在している。
まるで世界が箱庭の模型になったかのようだ。
街のような集落も見えた。
ただここから見た範囲では高速道路や鉄道網のような交通インフラは見当たらない。
「めちゃくちゃ田舎、なのか……?」
自分が立っている場所がなんなのかを知ろうとして、バルコニーの手すりから身を乗り出して見回した。
そこで初めて、自分がいる場所についての認識が根本的に間違っていたことに気づく。
西洋の、それも中世の城か神殿のような何かだと思っていたが違うのだ。
足下は確かに石造りなのだが、この建物を構成している大部分は樹だった。
「木造建築」ではない。
石造りの建築物の外にあるのは、驚くほど巨大な樹木の幹のようなのだ。
むしろ、巨大樹の中程にこじ開けた隙間に無理矢理人工の建築物を埋め込んだような、そんな構造になっているらしい。
「でっか……」
絶句するしかなかった。
山々を見下ろすほどの位置にあるというのに、上を見るとまだまだ幹は続き、先端をうかがうことはできなかった。
身を乗り出す不安定な体勢なのもあるだろうが、そもそも遠く離れると巨大樹の姿がかすれてくるように見えるのだ。
(でかいだけじゃ、ない………!?)
その瞬間、悠仁には異様なものが見えた。
――見えたとしか表現できない流れを感じ取ったのだ。
空の上、つまりは宇宙から何かがこの巨大樹を伝って降りてきている。
圧倒的で、根源的な力の流れ。
命そのものの気配。
形容するべき言葉はいくつも浮かぶがどれも完全にそれの正体を言い表せていない気がする。
いずれにしてもそれは巨大樹を伝って地上へともたらされていた。
いるように感じた。
(なんで、そんなこと……)
錯覚だとして片付けるにしては、あまりにも明確だった。
たとえば肉眼で見える空や大地が、何故そこにあるかを説明しろと言われているかのように、悠仁にとってはその感覚は実体としての実感を伴っている。
視線を下に向ける。
するとやはり、地面に向かって伸びている幹も、離れて行くにつれてかすれていく。単に巨大だからという理由ではなく、この巨大樹自体が幻のように少し離れれば姿がかすれるあやふやな存在のようなのだ。
「そもそも、繁華街を歩いていたんだぞ? 夢か? ゲームのやり過ぎで、変な夢でも見てるのか?」
だが夢と言うには圧倒的な現実感が邪魔をする。
『夢ではない』
どこからか聞こえてきた声。
悠仁はあたりを見回す。
だが人の姿はない。
「誰だ!?」
『よくぞ我らの召喚に応じた』
『お前は、この世界を救う運命にある』
物言いはどこか高圧的で感じて好きになれそうになかった。しかし声の主は、悠仁の不満になど気づく様子はなくさらに言葉を重ねる。
『ここは魔法の世界である』
「魔法……?」
なにをいきなりというのが正直なところである。
現代日本人からすれば、荒唐無稽も甚だしい要求だ。しかし声は続く。
『界を異にする場所……、ヌシにわかりやすく説明するなら、異世界』
アニメや漫画ならよく耳にする単語だが、自分の耳で聞かされると笑ってスルーしたくなる。
だが目の前の現実離れした光景がそれを許さない。
『栄誉である』
「は……?」
『魔法を持たぬ低劣な世界の住人が、我ら崇高なる世界の礎となれしこと栄誉である』
『権限を与えられ、大樹の一部となれる栄誉である』
声は、普通の肉声ではなく脳裏に直接届いてくるような、奇妙にゆがんだものだった。
一人なのか、複数の何者かが話しているのかすらわからない。
なにより悠仁の頭の中は、まだ自分の身に起こった事態を整理しきれずにいたのである。
「ふざけないでくれ。明日は大学があるんだよ」
そんな異常な状況なのに大学などという日常的な単語が飛び出してくることのおかしさに、自分で笑ってしまいそうになった。
そう、魔法とか、世界を救うとか、荒唐無稽だ。
悠仁は、どこにでもいる、どこにでもある現実の中で生きている。
違和感しかない話で実感など湧かない。
外の、あり得ない景色を見ていなければ、誰かのタチの悪いいたずらでからかわれているとしか思わなかっただろう。
『おぉ、愚かしい、嘆かわしい』
声の主はいたってまじめだったらしく、反応が鈍い悠仁を嗤う。
「うるさいな。いいから、元の場所へ返してくれよ」
相手の思惑などもちろん関係ない。
さっき感じた、目に見えない感覚など知ったことではないのだ。
世の中には常識で計れない事柄があるのかもしれない。
そんなものに好きこのんで首を突っ込む必要もないだろう。
まともに取り合わない方がいいと判断した悠仁だったが、声の主はどこまでも身勝手だった。
『救世主たる立場を喜ばぬとは、理解に苦しむ』
それはこっちの言い分だと言ってやりたい。
『然り……。これから、世界を左右するほどの力を賜るというのに、そしてその力を振るうに相応しく、我らの世界を救済する
声は、哀しい、哀しいと悠仁を憐れんで勝手な言葉を連呼する。
『そもそも帰ることなどありはしない』
「ど、どういうことさ!」
当然の問いのはずだ。
しかし姿が見えない声の主からは、呆れたような気配が伝わってきた。
『貴様の事情など、世界に比べれば些事』
『大人しく我らに奉仕すればいい』
『左様、命がけで働くがいい』
そんな無茶なと立ちすくむ悠仁を顧みることなく、声は一方的に囁き続けていた。
『魔法の復活を』
『世界の救済を』
『栄誉に身を捧げよ』
ここがどこなのかはわからないままだ。
『引き替えに、世界すら変えうる偉大な力を授けよう!』
問いかけたとしても答えが返ってくるとは思えない。
帰れない、奴らは帰すつもりはない。
こんな異常な状況だというのに、言われて初めてその可能性に思い至った。
迂闊と言うほかはない。
「冗談じゃない! 大学だけじゃなくて、夏の予定とか、友達とか、家族とか――」
元の世界にあった、自分とのつながりがすべて断絶してしまうということだ。
『思い上がるな、謙虚たれ』
『まあいいではないか。凡愚の都合など無視してしまえばよい』
『然り然り。そなたは救世主となる。拒否権は、ない』
くくく、と嘲笑が降り注ぐと同時に周囲にも異変が起こった。
壁をきしませる音が聞こえる。
木の根だった。
そうとしか思えない物体が、周囲の石材の隙間からにゅるにゅると音が聞こえそうな、生物的な動きをして伸びてくるのだ。
「な、なんだ、なんだこれっ!?」
『やれやれ、強引な手段をとることになってしまった』
『救世主の物わかりが悪い以上、致し方あるまいて』
『愚かしさとは悲しいものよ』
木の根は伸び続ける。
周囲から、悠仁の逃げ道を確実に阻み、そして襲いかかった。
ずぶり、と嫌な感触が両手から伝わり、一拍遅れて激痛が脳天まで駆け上がる。
目を落とせば死角から伸びた根が悠仁の手のひらを突き破り体の中へと潜り込んでいたのだ。
「なん、だよっ、これはっ!」
絶叫を上げる。
しかしその言葉とは裏腹に、悠仁は自分の身になにが起こりつつあるか理解しつつあった。
(両手から、なにかが入り込んでくる――!?)
木の根がさらにめり込み、悠仁の中とつながろうとうねっている。
痛みと、生理的な嫌悪感がすさまじい。
物理的に入ってくるだけではなく、神経からなにかが浸食してくるようだった。
『さあ、宿るぞ、世界を救う力!』
『創世の秘技!』
『我らに救いをもたらす福音よ! 救世主よ!』
声は、口々に勝手なことばかりのたまう。
(こいつら、俺を、この樹の一部にしようとしてる……? 大樹、セフィロト……?)
恐怖と激痛に飲み込まれそうになる。
しかし自分が失いそうになっているつながりや、さきほどの声に覚えた怒りがフラッシュバックのように蘇り、悠仁の中のなにかに火がついた。
「ふざけんなよっ! 色々予定が待ってるんだ! 友達ができて、ずっと退屈しか感じてなかったけど人生が少しは楽しくなってきて、彼女だってできるかもしれないんだ!」
一方的で理不尽な相手の言動に対してわき出す怒りが恐怖心を押しのける。悠仁は体の奥からほとばしる"何か”を感情の赴くままに解き放つ。
「救世主? そんなもの、なってやるもんかよ~~っ!」
――だがこの後、大城戸悠仁は世界を救い、終わらせることになるのであった。
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