コーヒーをどうぞと猫が申しまして

ねこ沢ふたよ@書籍発売中

第1話 コーヒーの美味しい喫茶店

 手でゴリゴリと珈琲豆を挽く音が響く店内。

 すうっと香ってくるナッツのような香りは、美香子の注文したブラジルのアマレロブルボン。

 甘い物好きの美香子は、その風味を気に入って、この店に来れば必ず注文する。


「それでね、私は課長に抗議したのよ。『残業になるような仕事の振り方はおかしい』って!」

「ふうん。今度こそ聞いてくれた?」

「全然!」


 毎回同じように繰り広げられる仕事の愚痴。毎回、結局上司に抗議ははぐらかされて話は終わる。

 そんなに嫌なら転職すれば良いのに、という幸広の提案は「そういう問題じゃないの」という美香子の一言で一蹴されて終わるまでがデフォ。


 そして、定型文の美香子の愚痴が終わったタイミングで、注文した珈琲が出てくる。


「どうぞ」


 低い穏やかな声。

 店長が穏やかに黒い手で幸広の注文した珈琲を差し出す。


 美味しいコーヒー。


 幸広の頼んだタンザニアのキボーは、甘味は少ないが、深い味わいにいつも唸らされる。


「不思議だよなぁ……完璧なんだよ」


 店長の淹れた珈琲は、いつでも完璧。

 珈琲豆の特性を引き出す焙煎、挽き具合、ドリップ。

 店を開くほどなんだから、その道のプロ。とても家で同じ豆を買ってきても再現できない。


 当然と言えば当然なのだが、店長の見た目からは、こんな本格的な珈琲を淹れるとは到底思えない。


「また、その話?」


 美香子が苦笑いする。

 これも、二人でこの喫茶店でする定型文。


「だって、これを入れているのが、あの店長なんだぜ」

「不思議に思う気持ちは分かるけど」


 チラリと二人は視線を店長に向ける。

 白いシャツ、黒いベスト、黒い蝶ネクタイ。

 少し澄ましたような出立ちは、このレトロな雰囲気の喫茶店に合っている。


 店長の髭がヒクヒク揺れる。

 店内に流れるクラッシックに合わせて、三角の耳が揺れる。


「お客様、どうかいたしましたか?」


 二人の視線に気づいた店長が、金の丸い瞳を細める。


 何度見ても不思議だ。

 店長の後ろに、尻尾が揺れる。


 カラン


 店の扉が、軽快なベルの音を奏でて、新しい客が来たことを教える。


「うぉ! ええっ! 猫?? デカ!」


 どうやら、初めて店に足を踏み入れるたお客のようだ。


「いらっしゃいませ」


 店長は、そんな感想は慣れているから、涼しい顔で挨拶をした。

 目を丸くしたままの客は、店長に視線を残したままで、入り口近くの席に座る。


「私達も、最初はああだったよね」


 美香子が笑う。

 もう半年は通っているから、常連と名乗っても良いだろう。

 初めて店長を見た美香子が、「ひゃあ!」と叫んで後退りして、転びそうになったのが昨日のことのようだ。


 喫茶フェリスカタス


 ラテン語で猫を表す言葉を店名にしたこの店の店長は、どう見ても黒猫にしか見えない。

 

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