5 鳳凰暦2009年4月8日水曜日 国立ヨモツ大学附属高等学校学生食堂から女子寮(1) H



「……もう、お父さんのことは気にしないで楽しみなさい。せっかく入ったんだから」

「……はい」


 私――宝蔵院麗子の「はい」という言葉だけに満足して、母は足早に学生食堂を出て行った。おそらく気にしているのは飛行機の時間だろう。


 今からなら母も弟の優のための夕食会に間に合うから。あっちも今日が中学校の入学式のはずだ。

 それでも、ここまで母が来てくれたこと自体が私としては意外だった。ちょうど3歳違いという年齢差は、こういう時に難しいのかもしれない。


 私も母に背を向けて動き出す。次は寮の方で歓迎会があるはずだ。


 ……本当に難しいのは、私の扱い、なのかもしれない。


 でも、こっちにだって言いたいことはたくさんある。

 私には押し付けるようにさせてきた槍術、剣道、弓道をなぜ優には押し付けなかったのか、とか。

 私には女だからこそ身を守れるように強くなれ、とか言っていたクセに。


 それでいて優が自分から剣道をやりたいと言えば、私の稽古や試合はそっちのけで優のことに夢中になる始末。

 宝蔵院家は槍のうんたらかんたらと何度も言い聞かせられたのは私で、宝蔵院家を継ぐのは優の方。


 母以外は、あの人も、祖母も、口を開けば、優、優、優と、弟ばかり。


 古くからある名家のひとつ、だとか言っているけれど、よく知られている平坂家や下北家などの本当の名家と違って、ただの土豪の延長線上にある家系でしかない。

 地元でちょっと知られているくらいで、特に何の自慢にもならない。


 3年前はそれでも、あの人の気を少しでもひきたくて、ヨモ大附属中のダンジョン科を受験した。残念ながら不合格での普通科転科合格になってしまったけれど……。


 平坂へ行くのは認めん、と言われて、私は泣いて、騒いで、暴れて……最後は、勝手にしろ、だもの……。


 でも、3年間、附中普通科での寮生活を経験して、なんだかすごく呼吸がしやすくなった。家から離れて、いろいろと、私にも見えてきたものがあったから。


 今さらあの人なんて……父なんて、正直なところ、どうでもいい。お金さえ稼げれば、自分一人でも生きていけるということは、よく分かった3年間だった。


 ……楽しみなさい、か。どちらかといえば問題はそっちの方かもしれない。


 あの――。


「宝蔵院さん! 寮に戻るんでしょ? 一緒に行こう!」

「……立川さん。そうね、行きましょう」


 昇降口の手前で、附中普通科で3年生の時に同じクラスだった立川朱里さんに声をかけられて、一緒に靴をはいた。


 立川さんとはまた同じクラスで、今回は座席が前後、彼女が前で私が後ろになった。それで入学式前にも二人で話していた。知り合いが近くにいてお互いとても安心したのだ。


 外に出ると、ほんのりと薄い雲が漂う青空が葉桜の間に見える。こちらはとても温かいせいなのか、桜はすっかり散ってしまっている。


 まだ春なのに、もう初夏のような気持になる。


 女子寮へと向かうには、生徒昇降口を出て左、すぐにもう一度左で、附属高と附属中の間を抜けて右、そして附属中とグラウンドの間を抜けていく。


 私と立川さんが卒業した附属中普通科はここではなく、駅南……YR平坂駅の南側にある。もちろん、中学の寮も駅南だった。

 私たちの新しい女子寮はダン科の校地内にある。


「でも、宝蔵院さんは、なんか大変そうだよね」

「どうして?」


「ほら……あの人。モテおくん……? あの人とのペアに決まっちゃったみたいだし」

「モテお、って……ああ、入学式のあのことか……」


 ――いきなり入学式で意味不明なことを口走る男の子と、私はどうやらペアを組むらしい。その部分に関しては今のところ、楽しむどころか、不安しかないのだ。


 彼は確か、みささぎ、と名乗っていた。入学式の代表として宣誓をしたのだけれど、その途中でびっくりするような発言があった。


 会場だった体育館が、式典だというのに大きくざわめいたのだから、本当にとんでもないことだ。


 その人とのペアとか……不安しかない……楽しめと言われても、ちょっと……。


 彼の身長は私と同じか、ほんの少し高いくらい。短髪で、真新しい濃いブルーの詰襟がどこかまだ硬さを見せていた。


 あの制服、上着の合わせはボタンが見当たらないので……なんだろう? 合わせの内側に隠れるようにチャックでも付いているのかもしれない。


 私や立川さん、それに附中のダン科出身の人たちも、女子は附中から変わらずのセーラー服だ。色は男子と同じ。海のイメージだと聞いたことがある。中学の男子の制服は黒で、普通に金のボタンに中の一字が書かれていた。


「……男子だけ、新入生らしく、制服が変わったわね」

「あ、うん。あたしたちは中学のままだけど……え、宝蔵院さん、モテおくんのことは全然気にしてない感じ?」


「ああ、パーティー分け? そもそもよく分からないもの。寮で誰かに質問しようとは思うけれど」


 本心は、間違いなく不安しかない。ペアを組む相手が既に「モテお」などと呼ばれているのだ。


 だからといって、不安だ、と、それを口にすることが正しいとは限らない。


 ……本音は出さず、本音のような何かを出す。それが女子の処世術。特に、誰かを批判するような言葉は避けること。


「あたしは宝蔵院さんよりマシとはいえ、男の子二人とパーティーなんだよね。横並びの3人って感じみたいだから。せめて、ダン科の人が合唱団で知ってる財前くんだったら良かったのに」


「そう。立川さん、合唱団の時に……ひょっとして、ここに進学する可能性も考えて合唱団に?」


「ちがう、ちがう。歌うのが好きだったから。もちろん、高校でも続けるつもり。たぶん、合唱は排除されないから」


「そう、かもしれないわね」


「大丈夫。附中のダン科でも、音痴な男の子は音痴だったもん」


 ダンジョン科は、中高の一般的な部活動の、運動部の大会から排除されている。


 以前は出場できていたらしいのだけれど、何年も続けて優勝したり、圧勝で全国を制したり、決勝戦がヨモツ大附属対イズモ大学附属になったりということが続いた結果、そうなっていったらしい。





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