4 鳳凰暦2009年4月8日水曜日 国立ヨモツ大学附属高等学校学生食堂 M



 俺――陵竜也が教室で担任のカネオくんを差し置いて解散を宣言してから一番にやったことは、廊下側に貼り出されている座席表の確認だった。


 こいつ、今さら何を見てるんだ、と通り過ぎていくいろいろなヤツから首を傾げられたんだが、俺にとっては今、最優先の行動だった。はがされる前に見る。いや、むしろ、俺がはがして持ち帰りたいくらいだ。


 ……座席は後方、窓側から2列目。あの子の席。


 その名は……宝蔵院、麗子。ほうぞういん? かな? かなり珍しい名前だ。あと、れいこ、だな。うん。名前の通りの麗しい美女だ。名前まで完ぺきじゃねぇか。


 俺にとっての最優先。それはもちろん、あの子の名前の確認だ。ようやく、ひとつ、個人情報を入手できた。


 宝蔵院麗子か。名前だけじゃなくてもっと誕生日とかも書いてあったら良かったのに……実に残念だ……。


 ……そういや、ばあちゃんが昔の卒業アルバムとかは、住所とか電話番号まで載ってたって言ってたのにな。まあ、座席表に住所はないか、うん。座席表だし。


 とりあえず、この後の寮の歓迎会は男女別だから、俺もまだあわてる必要はない。他の男どもも、あの子と会話するチャンスはないんだ。


 もっとも、俺にもないんだがな! そこは公平だろ? 残念だがな!


 教室を出たみんなは、体育館棟の1階にある学生食堂を目指して移動している。廊下はそのせいで大混雑だ。


 メシが目的じゃなくて、新入生の保護者控室として学生食堂が開放されているからだ。

 あ、メシも食えるらしいが、今日は寮の歓迎会でなんか食えるはずだからな。保護者はともかく、生徒の俺たちは基本、メシはいらねぇ。


 俺も最優先事項を消化したから、母ちゃんを探しに学食へと向かった。


 学食内はごった返す、という言葉がこれほどあてはまる状況はないだろうってくらい、人間だらけだった。


 両親そろっているパターンだと3人、ウチみてぇなシングルマザーだとしても2人で、学年で140人の新入生だから、300人から400人くらいの人があふれてる。


 ……こん中で母ちゃんを探すのか。いや、もちろん探すんだが、どこ、いんの? 前もって待ち合わせしときゃよかったな。外で。


 たぶん、母ちゃんなら、どっかで動かないようにしてるはず。なら……。


 俺は食堂の校舎内側の入り口から、左へと進む。ぐるりと、食堂を一周するように。意味もなくあちこちへと歩いてもダメだ。きっちり全体の把握から。


 これ、ダンジョンアタックも基本は同じ。まあ、校内にあるこの学校が専有しているダンジョンは生徒に地図が全部公開されてるんだが……常に、外のダンジョンをアタックすることを意識しときたい。


 食堂を半周したくらいで、ひとつ向こう側のテーブルの片隅に座っている母ちゃんを発見した。ほぼ同じタイミングで母ちゃんも俺を見つけて、手を振ってきた。


「竜也……」

「おう。お待たせ、とはいっても、この後、すぐお別れなんだが……」


「……まあ、言いたいことはいっぱいあるけど、とりあえず、男なら背中で語ってモテるようになんなさいよ、まったく」

「はあ? いきなり何言ってんだ、母ちゃん?」


 ……意味が分からん? なんで突然のモテ講座? しかも格言っぽいし? ただ、背中で語れ、か。それ、かっこいいな。


「……竜也だもんねえ。しょうがないか。今さらだけど、命、大事に、だからね?」

「おう。そこは基本だな」


 ダンジョンアタックは戦闘が前提だ。だから、どうしても危険がある。危険だからこそ、命、大事に。

 もちろん、俺はそうするつもりだ。附中のダン科でも、そのへんは徹底されてきた。まあ、それでも、危ないこともあったが……。


「危ないところに一番に飛び出しそうだから言ってんの」

「そんなこと……しないとは、思う……」


「いや、やるでしょ、竜也は。ま、心配してる家族がいるってことは、忘れないでね」

「ああ、うん。わかった。あと、母ちゃん。入金、ワガママ言って、ごめん」


 母ちゃんには無理言って、最初の入金で10万円も入れてもらっていた。


 ヨモ大附属は国のゴリ押しでできた学校のせいか、授業料の負担はないとはいえ、入学金、制服、教科書代とか、いろいろとお金がかかる中でのプラス10万円だった。


 シングルマザーのウチの母ちゃんにはきつかったはずだ。


 ヨモ大附属高のダン科は、『ダンジョンで稼げぬダンジョンアタッカーになるべからず』という科訓があって、毎月、来月分の寮費五千円と生徒会費千円が月末に支払い不能になった場合、退学になる、というかなり意味不明な厳しさがある。くわしくはもっといろいろ、払わないとダメなんだが……今はいい。


 スタート時点での親からの入金以降は、全部、自分で稼がなければならないので、最初の入金が多ければ多いほど、安心感がある。

 ただ、学校からはその入金は5万円程度とされているし、多過ぎる入金は控えるように言われているので、そこまで高額の入金はないらしい。


「竜也の一生のお願いだったからね……母さん、頑張っちゃった。大切にね」

「お、おう……」


 ……既に遣っちまったとは言えねぇ。マジ、ごめん、母ちゃん。


 だが、一生のお願いも使用済み感を出されちまったような? あれ? 俺、一生のお願いとまでは言ってねぇよな?


「……まさか、もう遣ったとか?」

「ま、ままま、まさか⁉ そんな⁉」


 はぁ~、っと母ちゃんが長く、大きな、ため息を吐いた。


「竜也のために出したもんだし、竜也がどんな遣い方をしたとしても、そこはそれ。でも、頑張んなさいよ? 足りなくなったら退学になるって話だったからね?」

「……おう」


 俺を女手ひとつでここまで育ててくれた母ちゃん。いろいろとバレてしまうのは仕方がないのかもしれない。


 附属中に入学してからは、夏と冬の、年に2回しか会ってなかったが、俺にとっては最高の母ちゃんだ。


「ご歓談中失礼します! そろそろ次の、附属中の入学式の準備が始まります。大変申し訳ありませんが、こちらの食堂からはお早めにご退出願います!」


 附中の柱谷先生が、学生食堂の出入口付近から大きな声でそう叫んだのが、親子の別れのきっかけとなった。


「じゃ、母さんは行くから」

「おう」


「次は夏休み?」

「いや、高校は正月まで帰らねぇから」


「そう……元気でね、竜也」

「ああ、母ちゃんもな」


「じゃね」

「おう。いつか、トップランカーになって、めちゃめちゃ楽させてやっから!」


「そん時はきっと、竜也はモテモテだろうね。母さんのことはいいから、彼女にたっぷり貢ぎなさい」

「うへっ……」


 俺の頭の中にはあの子……宝蔵院麗子が浮かんだ。


 え? こんなに鮮明に⁉ って、あ、そこに母親らしき人と一緒にいたのか!


 なんという幸運! ああ、美しい……マジで、神の創り給うた奇跡なのか……。


「……何、アンタ、好きな子でもできたの?」

「で、できてねぇし……」


 母ちゃんにそう言われた俺は、母ちゃんから目をそらしつつ、宝蔵院麗子をチラ見した。その俺の視線を母ちゃんが追った。


「ふーん。あの子ね……へえ。背も高いし、女優さんみたいに美人じゃない……まあ、頑張りな。アンタ、そこそこ顔もイケてんだから」

「そ、そうか? だといいな」


 最後にそう言って微笑んだ母ちゃんが、俺から離れていく。


 さみしい気持ちがなくはないが、親子で一緒にいるということに恥ずかしさもあるし、それに離れ離れになるのは、俺も中学校の3年間である程度は慣れてもいる。あと、マザコンじゃねぇし。


 俺は去っていく母ちゃんの背中を見ながら、できる限り広い視野を持つように努めて、あの子とその母親の様子をうかがった。


 うん。これはあれだ。ダンジョンで必要な広い視野の確保のための訓練だ。


 ……しっかし、彼女に貢ぎなさい、か。母ちゃんらしいな。いつか、ぜってー、楽、させてやる。


 俺は心の中で、あの子とのデートでさらっと支払いを済ませるかっこいい俺の姿を妄想しながら、あの子とお付き合いをしたとしても、母ちゃんにはたっぷりと仕送りをすることを決めたのだった。











人名辞典

宝蔵院麗子……ほうぞういん・れいこ。

柱谷先生……はしらたに





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