雷竜
朝日に照らされる海。
その浜辺の中ほどには巨大な金属の大壁が築き上げられていた。
ダンジョン産の金属を生産系のスキル持ちが加工したものであり、竜の攻撃にも耐えられるものらしい。
そして浜辺の背後には防砂林が並び、その奥には広大な大地が広がっている。
『北海道支部』は遥か遠くに、小粒ほどの大きさに見える。
『竜』は海流の関係で毎年同じ場所に来るが、その細かい襲来地点は年によって違う。
そのため、ここら一帯は人が住まない地域となっているため、周囲の被害を気にする必要は無い。
俺達は巨大な防壁の上に配置され、そこから水際に並ぶ冒険者たちと広大な海を見下ろしている。
視界にはうっすらと霧が立ち込めている。
朝霧と言うわけではなく、霧には僅かに魔力が込められている。
『霧竜』の発している霧だ。
襲来地点はここでは無いというのに、恐ろしい魔法効果範囲だ。
「『竜』はいつ来るんだろうな」
「もうすぐだと思いますけど、この霧ではよく見えませんね」
玲は腰の【金朽】の鞘に手をかけて、黄金の輝きを抜き放つ時を待っている。
「来れば分かるよ。派手だから」
ホットパンツとフードといういつもの戦闘服に身を包んだ乃愛は、地平線を見詰めて言った。
どういう意味か問い返そうとした時、視界の端で瞬く燐光に気づいた。
「――――来たな」
「布瀬さん………じゃああれが」
「『雷竜』の放電だ」
布瀬さんが凛とした美貌に険しい表情を張り付けて何度も放電を繰り返す海面を見る。
彼女は布瀬望。【雷牛の団】の副団長であり、俺達とは以前【天への大穴】の前で出会った。
『雷竜』との戦闘経験もある冒険者だ。
短髪の麗人であり、防壁上から全体の指揮を任されている。
彼女が言うなら間違いなくあれが――――
「『竜』、想像よりもやばそうだな」
弾ける雷光が海中を流れる度に小規模な爆発が起こっている。
それに合わせて肌を刺すような魔力の奔流が押し寄せてくる。
その下に隠れる巨体を示すように盛り上がった海面が等速で浜辺へと迫る。
「………これは確かに『厄災』の象徴だな」
俺は小声で昨夜聞いた言葉を思い出す。
『竜』とは世界で初めて地上に顕現したモンスター。
彼流に言うのなら、ダンジョンから人類への警告なのかもしれない。
(結局【極海戦域】の奴らは姿を見せなかったな)
同じ戦場にいるはずだが、今も俺の【探知】にはそれらしき姿が映っていない。
両さんが認めるレベルの戦士なら、すぐに分かるはずなのだが。
――――あれは戦えない。一般人並みだ
十草の言葉が不気味に響く。
【探知】で分かるのは魔素量。スキル型や魔法使いは魔素量が低くなりがちだが、一般人並みというのは考えにくい。
それほど低ければ、まともに敵の姿を捉えることもできなくなるからだ。
【極海戦域】では俺達とはスキルの覚え方の常識が違うのかもしれないが、それでも『竜』と戦う前に自分でも確認しておきたかった。
「来るぞ!魔法使いは足場の準備をしろ!」
前線から迅太さんの猛々しい叫び声が戦場に広がる。
それを合図にしたように、海面が持ち上がった。
押しのけられた海水が頑強な鱗を伝って流れ落ち、その奥から稲光と共に二つの眼光が浜辺に注がれる。
『雷竜』だ。首を持ち上げただけだが、首だけでも長さは10メートルを超えている。
青白い鱗からは金色の鉱石が突き出しており、そこから稲妻が迸っていた。
戦場からどよめきが広がる。それは恐怖の声だ。
俺もその気持ちは分かる。冒険者なら痛いほど感じ取れる魔力と一目でわかる肉体の頑強さ。他のモンスターとは何かが違うと本能に訴えかけてくる。
だが唯一彼女だけが、水際で動じることなく魔力を練り上げていた。
急所と手足を守る銀鎧の軽装、小盾と細剣を装備した【
それは強大な魔法の前兆であり、『竜』すらも黄金の瞳で彼女を睥睨した。
「【氷床】」
涼やかな声が戦場に満ちる。
冷気が扇状に広がり、浜辺を全て凍り付かせた。
「す、すげぇ……」
竜にも勝るとも劣らない膨大な魔力の発露に、誰かがぽつりと声を溢した。
僅か一瞬、戦場は確かに凍てついたような静寂に包まれた。
「………他の魔法使いは要らなかったか」
迅太さんはにやりと口角を上げて、声を張り上げた。
「いくぞぉ!!俺につづけぇ!!」
獅子のような長髪に稲光を纏わせて駆ける迅太さん。
彼に続いて武器を持った冒険者たちが氷上を進む。
「全く考え無しの突撃とはな………後衛は攻撃の準備!私の合図まで撃つなよ!」
布瀬さんは団長の作戦に頭痛を堪えるように頭を振って、背後に向かって声をかける。
氷の覆われた雷竜は、苛立たし気に体を震わせ氷を砕く。
そして太い四肢を氷の上にかけてその巨体を露わにした。
「―――っ!?でかい!!」
迅太と共に氷上を駆けていたクロキは、その巨体に思わず足を止める。
巻きあげられた海水が雨のように降り注ぎ、彼の端正な顔立ちを濡らす。
そして『雷竜』はその尾を振るった。
横合いから迫る巨大な尾鞭にクロキは反応できない。
薙ぎ払われるかと思った時、氷壁が進路を阻むように生成されるが、それすらも一瞬で叩き割る。
だが、クロキはその一瞬で体勢を整えていた。
跳躍し、氷の地面を削る尾を躱す。
追撃しようとした雷竜の眼元へと数本のナイフが投擲され、雷竜は煩わしそうに顔を振るった。
その間にクロキは着地し、後退した。
「………油断し過ぎ」
「危なかったですねー」
「すまない、雪奈、すい」
何とか攻撃を防いだクロキたちに、俺はほっと息をついた。
いきなり危なすぎるだろ………
とはいえ、雷竜の攻撃力は想像以上だ。それに『竜』には鱗がある。
あらゆる魔法も武器も防ぐ最強の鎧だ。
どう攻略するのか、そう思っていた時、一人の男が駆けた。
「ははははっ!いいパーティーだ!だが一番槍は俺が貰うぞ!!」
迅太さんは全身に雷光を纏っている。
その手にはガントレットを装備しており、雷竜の眼前で飛び上がった。
だが雷竜は恐るべき反応速度で頭を振るい、頭部に三本生えている巨大な角で薙ぎ払った。
「うおぉおおっ!!!!」
迅太さんは雄たけびと共に拳を合わせる。
その瞬間、凄まじいスパークが迸った。
二人の魔力が混じり合い、雷光が弾ける。
それは海辺を吹き飛ばし、一部は防壁にまで届いた。
そして打ち勝ったのは、雷竜だった。
空中から氷の床に打ち付けられた迅太さんだったが、すぐに地面を砕いて戻って来る。
そして額から垂れた一筋の血を乱雑に拭った。
「はっはーーー!!!流石は竜!生半ではないな!」
「………あの人、人間ですか?」
「どうだろうな。最近はますます分からなくなってた」
玲の言葉に答える布瀬さんも自信なさげだった。
「あの人、竜の角と打ち合ったぞ」
「……すごい身体能力と魔力……いつか戦ってみたいかも」
乃愛は炎のような碧眼を戦意に染めて、荒々しく笑った。
「今は竜な」
「それと敵でしょ?」
乃愛は迫る対人戦を待ちわびるように冷酷な笑みを浮かべていた。
氷上では40人ほどの冒険者が竜を囲んでいる。
雪奈を始めとした魔法使いたちは剣では届かない顔周りを攻撃したり、海を凍てつかせて足場を増やしている。
雷竜の身には少なくない傷がついている。足元の鱗は砕け、赤い血が流れだしている。
対大型のセオリー、足元から崩す。彼らは皆優れた冒険者たちであり、それを言葉を交わさずとも共有し、連携を取っていた。
「よし!このまま崩してしまいだ!!」
討伐までの道筋が見えてきたとき、雷竜が低く唸った。
それは戦場の全冒険者の背筋に悪寒を走らせた。
その予感を肯定するように、雷竜の三本の角が発光を始めた。
雷が全身を走り、鱗が呼応するように輝く。
「な、なんだ!?」
「―――っ、まずい!全員防御態勢を取れ!」
迅太さんの叫び声に従って、冒険者たちは雷竜から遠ざかる。
その瞬間、雷竜は頭を下げて角を水平に掲げる。
その狙いは雷竜の前方にいた冒険者たちであり、その奥にいる俺達。
そして雷竜の角の間近には、クロキたちもいた。
雪奈が氷壁を発動させようとする。
だが間に合わないと判断して、俺は【輝烏】の引き金を引いた。
眩い輝きが霧を貫き、雷竜へと迫る。
音も無く一瞬で距離を潰した王鳥の羽は、膨大な雷を纏った角に直撃し、その頭を跳ね上げた。
そして轟音が全身を叩いた。
視界を染める眩い輝きに視力を失い、衝撃波で地面に叩き伏せられる。
空気が焼けるツンとした匂いが鼻を突き、視界を上げると、雷砲の軌跡に従って背後の防砂林の一角が抉れていた。
『Gruuuuuuuuuu』
雷竜は忌々しそうに大地を睥睨する。
そしてその横っ面を迅太さんの拳が殴りつける。
「危なかったぞ、竜よ!」
その脚の傷口を鋭い穂先が抉った。
「助かったよ湊」
死者はいないようだ。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「…………よくあの攻撃を予想していたな。竜に慣れている私たちでも分からなかったというのに」
「竜の目には妙な余裕があったので、何かあるんじゃないかと思ってただけです。それよりも―――」
「ああ、分かっている!後衛は竜を狙え!前衛の冒険者には当てるなよ!」
防壁に控えていた遠距離スキル持ちの冒険者から一斉に攻撃が放たれる。
それは螺旋を描く矢であったり、炎の弾丸などだった。
それが冒険者が退いている雷竜に一斉に襲いかかり、巨大な水しぶきを上げた。
雷竜の悲鳴が轟き、少なくないダメージを与えたことが分かる。
「湊先輩……私の側を離れないでください」
「仕掛けてくるならそろそろだよ」
俺の背後に立つ玲と乃愛は、順調に進む雷竜討伐とは違い、険しい顔で周囲を警戒している。
敵が仕掛けてくるなら『雷竜』の討伐が佳境に入ってから。
死に物狂いで竜があがくタイミングだろう。
俺達は静けさを纏う防砂林に意識を割いてその時を待った。
□□□
次回更新日は2024/6/12(水)の7:00です。
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