ダンジョンキャンパーズ~世界で唯一、冥層を征く男は配信で晒された~

蒼見雛

泥棒と家主

ざらざらと限りある空が大粒の雫を垂らす。

葉を打つ轟音が、不規則な足音を消し去っていく。

それでも、彼女の荒い息遣いは、小型ドローンを通じて配信へと流れていく。


「―――――」


息を吐いた彼女は、ふらりと足を滑らせた。

その身体の一部が木々の影から出て、雨粒に晒される。

黒いロングヘアーを伝って白磁のようにしなやかな肩に落ちた水滴は「じゅわり」と不気味な音を立てて肌を焼いた。


「―――ああッ」


噛み殺した悲鳴と共に、彼女は木の幹に背を横たえ、雨粒から逃げた。

彼女は今にも閉じそうな重い瞳で、空を睨む。

ここに飛ばされてからずっと、灰色の鈍重な雲を。

そこから零れ落ちる生物を溶かす異常な雨に。


『やばいって!早く『安全階層』に!』

『終わったww』

『おねがい、だれかたすけにいって』

『美少女のタヒ体が見たい!』

『どうしようもないな、これは』

『近くに誰もいないのかよ!』

『いないだろ、冥層だろ、そこ』

『不謹慎な奴、消えろよ!』

『下!にげて!』

✓オリオン公式『現在、救助を派遣しております。安全地帯に避難をお願いします』

『クラン動くの遅くね!?』

『どうしようもないだろ』


ドローンが投影するコメント欄は、配信者の死に際を見るためにやって来た野次馬もいて、荒れている。

だが死にかけの彼女がとらえたのは、『下』というコメントだった。

ドローンから視線を逸らし、地面を見る。

水がしみたように、ぐずぐずの地表を晒す地面を。


『早く登って!』

『溶けるって!』


急加速するコメントに押されるように彼女は近くの木に手を掛ける。

表面は酸性の雨で湿っており、傷口にひどく染みた。

だが最後の気力を振り絞り、彼女は自身の体を枝の上に横たえる。


ちらりと、下を見る。そこには最悪の光景が広がっていた。


「……最悪ですね」


吐き捨てるような言葉は、小さな小池のようになった森に呑まれて消えた。

気付けば一瞬で、森は水没していた。

すでに足の踏み場は無い。幹の中ほどまで水が来ていた。

これでは彼女は枝の上から動けない。

そうこうしているうちに、雨足は強まっていく。

強風が葉を揺らす。

いつ、彼女に直接雨が当たるのだろうか。


裸なんて見せたくない。所々溶けた防具を見て、そんなことを思った。

彼女は配信を切ろうとドローンに手を伸ばす。


『しょうがないな』

『今までありがとう。楽しかったです』

『嫌だ!諦めないで!』

『ほんとに誰もいないの!?』


そんな言葉に動じることなく、彼女はドローンへと伸ばした手の先に、小さなログハウスを見た。


「は?」


つい、体の痛みも忘れてそんな声が出た。

彼女の視線を辿ってドローンが自動で方向を変える。


『え?』

『ナニアレ?』

『家っぽくない?』

『冥層だぞ?誰もいるわけない』

『何でもいいからあの中から雨から逃げられるかlwq!』


焦るコメントに背を押されるように、彼女は慌てて身を起こす。

死にかけとはいえ、最前線まで来られるほど魔素を吸った肉体だ。

枝から枝へと飛び移り、やがて二股の枝の間に建てられた木の家へと辿り着いた。

扉の代わりに何重にも敷かれた葉を押しのけ、彼女は中へと入った。

雨音が一気に遠ざかる。


『マジ家じゃん!』

『奇跡だ!やった!』

『誰もいなさそう?』

『建てたの誰だろ?自衛隊?』


疑問はある。だが全てを押しのけ、彼女は瓶の中に溜められた水を掬っては飲み込む。

この階層に飛ばされて水は飽きるほど見た。だが、飲める水を見たのは初めてだった。

のどを潤し、荒い息を吐く。


『美女が水がっつく光景……いい』

『水滴になりたいです。できれば首筋を落ちた子に』

『いつものきしょさが戻ったな』

『死なないっぽいか?』

『ひとまずはだろ』


そして次に目についた、天上からぶら下げられた干し肉を掴み、小さな口で噛みつく。

遭難して丸一日、何も食べていなかった。

干してあった肉を全て食べ、彼女はようやく落ち着いたのか、コメントを見る。


『油まみれの唇、お美しい』

『てっかてかー!!』

『めっちゃ食うじゃんwww』


下心丸出しのコメントに目を細めながらも、周囲を見渡し、ぼそりと「ここ何でしょうか?」と呟いた。


『俺たちが知りたい件』

『分からん。でも人は住んでるっぽくない?ほら焚火あるし』

『ほんまや。ちょっとくすぶってるね』

『冥層51在住の人?何人よ』

『超人』

『つまんな』

『ダンジョンの文明とか?』

『だとしたら大発見じゃない?』


部屋の中央に置かれた焚火には、まだ仄かに赤い光が見える。

木の家で焚火なんて正気の沙汰ではないが、そもそも普通の木でも環境でもないことを思い出す。

そしてコメント欄の『冥層』という言葉に険しく眉を寄せる。


『冥層』。それは、ダンジョンの難易度を分ける三つの指標の一つだ。人類が踏破した『上層』『下層』とは違い、未踏破階層を『冥層』と呼ぶ。

ダンジョンが発生し、1世紀、人類が『冥層』に辿り着き、数十年以上経ったが、未だに『冥層』を攻略した者はいない。


この渋谷ダンジョンの冥層は51階層以下。

50層付近で探索、配信していた彼女、南玲は初めて見たモンスターの攻撃により、気づけばこの雨のやまない階層へと飛ばされていた。


彼女が、そして視聴者がここを『冥層』と判断した理由は、見たことも聞いたことも無い地形であること、そして異常な環境。

『冥層』に分類される階層の多くは、モンスターの強さ以上に、天変地異が日常の異常な環境が特徴だ。

『冥層』に踏み込んだものは極僅か。生きて帰ったものは数えられるほどしかおらず、再び訪れた者はいない。


✓オリオン公式『救助の冒険者が50階層に到着しました。ですが、冥層に踏み入ることはできません。自力での脱出は可能でしょうか』

『え、はっや』

『詐欺ショタと怖ギャルだろwww』

『流石にあの二人でも冥層は無理か……』

『ここで体力を回復して出口を探すっていうのは』


「多分無理ですね。現在地が分からないので」


どこか他人事のように彼女はそう返した。

それは死を受け入れる言葉だ。

重くなった空気を払しょくするように、彼女は小さく笑った。


「濡れているのも不快です。絶対傷んでますよね」


彼女は艶やかな黒いロングヘアーを絞り、滲み出る水分に嫌そうに舌を出した。

色気とあどけなさが混ざった表情は、見る者を魅了する。


『今それどころじゃないでしょww』

『相変わらずマイペースだなぁ(笑)』

『僕がトリートメントになります』


平和なコメント欄に、玲は小さくほころぶ。

たとえ死ぬとしても、湿っぽいのは嫌いだった。

最後の時を惜しむような、生暖かくて、今にも切れそうなそんな空気。

紡がれるコメントは、別れの言葉のようだった。


「そろそろ切りますね。さようなら―――「うえっ!?」」


玲は急に聞こえた声にびくりと剥き出しの白い肩を震わして、振りむく。

そこには玲と同じように驚愕の表情を浮かべる青年が立っていた。

年のころは二十歳前後だろうか。

ごく普通の男だった。普通とは違うところがあるとすれば、全身を緑の外套のようなもので隠しており、その手に見たことのないモンスターの死体を持っているところだ。


『うおっ!?ビビった!』

『終わっ、てねえ!』

『誰よ!』

『え、家主登場?』

『普通に人間じゃん』

『玲ちゃん、話しかけないと』


「あの…………すみません」


返事は無い。コメント欄も困惑包まれる。

話しかけても反応のない青年に玲は小首をかしげる。

青年はきょろきょろと室内を見渡し、散乱する瓶と干し肉を吊るす役目から解放された縄を見た。


「泥棒だぁあああーーーーーー!!!」

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