第弐位階

 闇の中、火の粉が散り、ハンナの顔が浮かび上がる。その顔に迷いはない。


 ふと、その己の手を見つめる。再生の《祝福》は実戦では使いこなせない。つまり、今はハンナが使える《祝福》はマガイ等の再生力を奪い、肉を腐らせる力だけ。


『身体を大きく損傷すると《祝福》が失われるかもしれない。それだけは留意しなさい』ホルガーの言葉が思い出される。


 この戦いで《祝福》を失うかもしれない。それでも構わない。クリスティーナのためにも必ず生きて帰らなければならない。そのためなら《祝福》など惜しくはない。


 丑三つ時の圧倒的な闇の中、小さな篝火だけが微かに辺りを照らしている。見渡す限りの闇の中、数人の騎士と共にハンナは居た。辺りは草原で、背の高い草木が夜風を受け、不気味に揺れている。


 ハンナは茂みの中で、石に腰掛け、腕を組み、闇を睨み付けている。


「迷いは晴れたようだな」クラウスが肩を叩き、微笑む。


「ええ」ハンナは微笑み、自身の手を見る。


「良かった。では、実践で魅せてくれ」クラウスは言い、剣を抜く。その身体には何本もの爆竹。


「同じものが〈第弐位階〉の進行方向にも仕掛けてある。先遣隊が返るまで持たせよう」


 2人が見つめる闇の奥で、ガラス片を擦り合わせるような嫌な音が聞こえた。それは少しずつ近づいてくる。


 怪物が動くたび、草原が僅かに揺れる。崩れかけの壁が揺れ、レンガが、ず、ず、ず、と音を立ててずれていく。その場にいる誰もが、恐怖を噛み殺していた。


「来ました」ハンナは言い、石から立ち上がる。炎が、少女の姿を照らす―


炎が照らしたのは紛れもなく、一人の騎士の姿―白いコート・オブ・プレートを胸に付け、右手には籠手。そして、その背には巨大な鞘。


クラウスが目を閉じ、静かに風を読む。


「やはり、ここは風下だ。こちらに有利だ。加速を最大限使いこなせ」


「では、始めましょう」


 クラウスが頷き、爆竹の導火線に火をつける。数秒後、空気の塊が全身を打ちつける。微かに遅れて来る爆音が臓腑を震わせた。


 炎が草を焼き、天を真赤に照らす。〈第弐位階〉の姿が露になる。歪な巨人が、マガイの群れに乗っていた。上半身が肥大化し、下半身はほぼ退化しており、マガイがじゅたんのようになって身体を支え、移動を担っている。体毛のように全身に刺が生えており、関節以外は斬れるのか分からない。


 ひゅう、と何か質量のある物が飛ぶ音―嫌な予感がし、ハンナが走り出した瞬間、背後で凄まじい地響きが鳴る。殴られたかのような衝撃―ハンナは受け身を取って倒れこむ。


「な……何?」頭を守りながら立ち上がると、大量の土砂と肉片が散らばっている。そして、土煙の向こうにあったのは巨大な橋。木と石を組み合わせ作られたアーチ形の橋、それが垂直に地面に突き刺さり、揺れている。


 騎士の一人が悲鳴を上げ、逃げ出す。


ハンナはふらふらと立ち上がり、地面に埋もれた橋を見つめる。顎が震え、歯が噛み合わない。エッカルトは尻もちをつき、唖然としている。


 こんな物を投擲する敵に敵う訳がない―


 全身から冷たい汗が吹き出す。それを煽るかのように、小雨が全身を濡らしていく。


「ハンナ、エッカルト、しっかりしろ!」クラウスの声に、二人はハッとする。


「力はあるが、その分鈍重だ。勝機はある!」クラウスは、ハンナの肩を叩く。


 ハンナは雨を拭い、「分かりました!」


「俺がマガイを爆竹で散らす。お前は本体を頼む」クラウスが言い、巨人へ向かい、跳ぶ。


 思うは、ただ一つ。どうたおすか。槍をかわし、棘のある部分をよけ、腕を断つ。そして、無防備になった首を落とす。だが、棘のない部分を攻撃するにしても、加速を使い、剣の威力を上げないと傷をつけることは難しいだろう。


 ハンナは両足に力を込め、走り出す。同時に鉄妖に指示―加速。内臓が浮かび、皮膚が焼けるようなびりびりとした感覚に包まれる。


 僅かに上体を倒し、全速力で駆け出す―力場でさらに加速。草木が物凄い勢いで通り過ぎ、巨人の姿がみるみる近づいてくる。


 ひゅうん、という嫌な音。顔を上げた瞬間、何か輝くものが見える。


 まずい―そう思った瞬間、背に掛かる力場を解除し、身体を右に倒す。大剣の重りが解放され、右に身体が倒れこむ/腕で地面を掴み、片足で強引に地面を蹴る/その瞬間に加速。


 強引な方向転換/だが、先ほどの進行方向に巨木が落下し、地面が炸裂。このままでは近づけない―焦りが塩辛い汗となり、頬を伝う。


 次の刹那、閃光が走り、巨人の動きが鈍くなる。クラウスの攻撃で下にいたマガイが一斉に散ったのだ。


 ハンナは最大威力で力場を発動―加速。巨人の元へ。巨人が眼前に近づいた瞬間、ハンナは思わず息を飲む。真っ暗な闇の中、確かに「それ」は居た。小雨が僅かな光となり、その歪なシルエットを浮かび上がらせている。


 その懐に入った刹那、小雨が止む―真っ暗な闇の中、巨大な胴体が小雨を遮っているのだ。ハンナはすぐに理解する―これはヒトが挑むべきものではない。これは、氾濫する大河や、無差別に物を焼き尽くす雷、そういった自然の驚異に近い。


 だが、人は自然の驚異に立ち向かってきたし、これは人災だ。私なら絶対に勝てる。ハンナはそう信じ、白銀の大剣フォーミディブルを抜く。右腕に付けた籠手が白い閃光を放つ―剣が光を反射、光が周囲を切り裂くように照らす。


 腕を斬るには腕が伸ばされた状態でなければ駄目だ。関節を狙い、叩き斬るのだ。そのためには、攻撃を受けなければならない。


 巨人はハンナに気づき、唸りながら槍を振り下ろす。巨大な岩を乱暴に割り、樹に括り付けただけの野蛮な槍。当たれば一瞬で肉塊に。


 全身の肌が泡立ち、髪の毛が逆立ち、指が震える。眼球が細かく振動し、脳裏で恐怖の感情が爆発する。しかし、敵への憎悪が、仲間を守りたいという思いが、それを超越。


 足を踏ん張り、横へ跳び、槍を避ける―凄まじい耳鳴り、耳の感覚が失われる。背後で大量の土が飛び散る。しかし、そんなことはハンナには関係ない。


 手の裏側に入り込む/思った通り、棘は生えていない。肘も同様だ。


 土と草の塊が宙を舞っている。雪のようにゆっくりと地面に向かって落ちていく。その奥で巨人がスローモーションで動く。音は消え、異様な加速感だけがあった。


 歯噛みし、全身に力を込める。力場を使い、剣を振り上げる。ひじを外側から叩き斬るのだ。もちろん、ひじの可動方向と逆向きに力を最大限に掛ける。


 刃先がひじに打ち込まれ、ばぎり、と大木たいぼくが軋むような嫌な音がする。黒い粘液が飛び散り、腕に伝わる鈍い感触。駄目だ、これでは断てない。肘が可動域と逆向きに折れただけだ。


 脳が異常な速度で回転―。腕から指先が大剣を一体化したような奇妙な感覚―脳が痺れ、微かに高揚感に包まれる。刃をどの程度、傾ければどのくらい斬れるかが自然と理解できた。表皮を斬りながら、剣の軌道を修正。剣が滑らかに骨の間を通過する。ぶぉうん、と大きな音が鳴り、腕が宙を舞う。


 ぐぁああああ、と空気を震わせる嫌な音がする。巨人が叫び声をあげ、咄嗟に腕を抱えたのだ。


 ぱらぱら、と先ほど上がった砂埃が落ちてくる。巨人が槍を振り下ろして、まだ数秒。


 急速に時間感覚が戻り、ハンナは我に返る。着地し、咄嗟に距離を取る。頭がくらくらとし、鼻からぬるい物が零れる。ぬぐうと、それは血だった。


 巨人の背後に回り、ハンナは第二撃の用意をする。心臓が狂ったように鳴り、頭痛がした。異様な高揚感に包まれつつも微かに恐怖する。腕を斬っただけなのに、体中が軋んでいた。身体が持たないかもしれない。


「そのまえに……ころす」ハンナは一人呟く。その瞳には、巨人の首。


 跳ぶ、加速。一瞬で巨人の眼下。剣を振り上げる。火花が散る。全身が巨岩にぶつかったかのような衝撃。脚が軋み、嫌な音がする。


 一体、何が?


 剣の先には、巨人の腕。そこには大量の棘。巨人は腕を回し、攻撃を防いでいたのだ。力場を使い、強引に剣を振り抜く。棘が飛び散り、巨人の表皮がこそげ落ちる。対してハンナの身体も強風にあおられたかのように飛ばされる。


 ぐわん、と風景が回転―天地が逆転。咄嗟に我に返り、着地。全身に電撃が走ったような痛み。勢いを殺せず、草むらに転がり込んでしまう。


 声にならない苦悶を漏らし、欠けた奥歯の破片を吐き出す。逃げなければ。咄嗟に跳び、森へ逃げる。走りながら、嘔吐。鼻血をぬぐい、軋む手足を必死に動かす。動くたびに脳天が揺れるような感覚。


 倒れこむように森へ入る。青い匂いに包まれ、一瞬、気が飛ぶ。


 虫の声。はっとし、剣を構える。巨人は先ほどと変わらない場所に居た。巨人は追っては来なかった。代わりに、ちぎれた腕の先端を引きちぎり、捨てた。粘液と共に新しい腕がにょきっと生えてきた。


 奴は〈祝福〉を理解している。


 生き延びた安堵とたおせなかった絶望で、足が震え、その場で倒れこんでしまう。全身から冷たい汗が流れた。


 ぜえぜえと、肺を軋ませながら息をする。何度も嗚咽する。ぼろぼろ、と鼻血が零れる。酷く寒い。


 どおん、と土埃があがる。声を上げて驚くも、ただ自分が剣を保持できなくなったのだと分かる。咄嗟に指を見る。指は感覚がなく、ただ痺れだけがあった。かじかんでいるかのような感覚。ただ、小刻みに震えていた。


 ハンナは探るように、煙幕を取り出し、放り投げた。一時撤退の合図だった。真正面から戦っても勝てない。そう悟ったからだ。

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