第43話 パステルピンクのコート
ベルトコンベヤが衣服を運んでくることは珍しくない。
大方何らかの汚れが付着しているか、破れているか……リサイクルショップでも突き返されそうな代物が大半だ。以前見かけた監察局の制服の端切れのような訳アリも混ざっている。衣服というカテゴリーで絞れば墓場と言っても過言では無い。
故にこのような場所に所謂「美品」が流れてくるとアキと環も興味を持たざるを得ない──アキは当然のように綺麗に広げられた衣服に飛びつき、環は冷めた様子を見せつつもきちんと席を立って彼女の後を追った。
衣服自体に興味が無くとも完全な状態で流れてくることに意味がある。
──こんなことを言うとアキに茶化されそうではあるが。
「これブランド物じゃないですか?私は知らないですけどフォーティ……フル?」
衣服は広げられた状態でベルトコンベヤに載せられていた。
形状や厚みから考えればロングコートであろう。アキはコートの袖に縫い付けられたタグを見つけたが、努力も虚しく解読を断念した。読み取ろうにも馴染みのない単語が並んでいるのだ。白いタグに赤く「FortiFluff」の文字……袖を手に取り、唸るアキの傍で環が何かを思い出したように呟く。
「フォーティフラフだ。あらかじめ言っておくが、俺は服に詳しいわけじゃない」
「……えっ、知ってるのに?」
「防具ブランドだ。いや、ブランドを設立した……というのが正しいか。ここのデザイナーとちょっとした知り合いでな」
アキは思わず環を二度見する。ベルトコンベヤの上には「それだけのもの」が鎮座しているのだ。
ロングコートはパステルピンクを基調とし、袖口や裾はフワフワとしたファーで装飾されたふんわりとしたシルエット。コートには大きなフードが付いており、そこにもファーが飾られている。そしてポケットや袖口には白い糸でハートマークを模った刺繍が施されている。
はっきり言ってしまえば防具と言うにはあまりにも可愛らしいデザインの衣服だ。アキはこれまで戦場に出たことなど一度も無いのだが、それでもこれが実戦に用いられる防具とは到底思えない。兵士や役人には既定の防具が有るとして、傭兵や処理業者達はこのような衣服で戦場をうろついているのだろうか……?
アキの理解を待たずして、環の口からは矢継ぎ早に情報が繰り出される。「このようなブランドを知っているギャップ」と「環がそのデザイナーと知人同士」という情報はアキの頭をパンクさせるには十分であった。
「今すぐその顔をやめろ。一から説明してやる」
「いえ、別に。今の時代珍しくないと思いますよ?私の父も他所のセクターのマスコットキャラクターとか好きでしたし」
環はアキの言葉には反応せず、話を始めた。
──時は環が前の職場に勤めていた頃に遡る。環は以前、スラムで駆け出しの仕立屋と出会っていた。スラムの片隅に建てられた工場勤めの針子と言った方がいいだろうか──環自身も何故そんな人間と縁を結んだのか分からない。思い返せば
ただ近所に住んでいるというだけで執拗に絡んでくる若い娘だった。
ともかく当時新人だった人物は環に「いつか自分のブランドを設立する」という夢を語っていたのだ。当時聞かされた構想とブランド名が一致している。
零細企業の新人という立場で夢を語る若者……環は彼女を特に相手にしなかったが、あまりにも執拗に絡んでくる彼女に堪えて少額とはいえいくらか資金援助をしてしまったのだ。周囲が止めるのも聞かず、返ってこないつもりで援助をした……この国では珍しく希望を持っている側の人間だったから。
企業社会において個人製作は茨の道である。大企業の保有する特許に触れれば着実に潰される。そうでなくとも悪目立ちをすれば前職のように軽く捻り潰されるであろう──個人が画期的な技術を開発したところで掠め取られることも珍しくない。
その荒波の中であの仕立屋は独立し、自らのブランドを確立したようだ。規模こそ不明だが、こうして作品を世に出せたことそのものが偉業だろう。
アキの動揺などお構いなしだ。環は感慨深げな様子で昔話を続ける。
「以前、タキシードが流れてきたことがあっただろう」
「ありましたね。先輩が体中から蔦を生やしてたやつ」
「あの時に少し話していた仕立屋がコイツだ。防具にデザイン性と性能を求めていたから。今でもああいう衣服を見れば喜ぶだろうな」
アキは古い記憶の中から何とか婚礼衣装が流れてきた時の事を思い出す。
出勤してきた自分をタキシード姿で出迎える環、衣装から光る蔦が自在に伸びる奇妙なタキシード……そしてこれを見て「泣いて喜ぶだろう」と言われていた仕立屋の友人。点と線が繋がる。
成程、確かに防具にデザイン性を求める人間であればアレには喜びそうだ。
「防具には見えないだろうが、防火性の高い素材が使われているな。内張りには体温調整機能がある素材が用いられている」
「そんなこと分かるんですか?」
「内部のタグに特許権を持つ権利者の名前が入ってる」
「そんなに意識したことも無いですよ。家庭科で習ったのは洗濯表示だけですから」
普通に生きていれば必要のない知識なんでしょうね。
環はアキの言葉に頷いた。自分もあのデザイナー志望の仕立屋と出会わなければ意識することも無かっただろう。何せ着る機会がないのだから。
大量生産にまで漕ぎ着けたのか、オーダーメイドの一品なのかは定かではないが──ある程度の使用料を払っていることだろう。それを払える程度には成功したのだ。どのようにして資金を稼いだかは定かではないが、この国の底で夢を実現したのだから大したものだと環は思う。同時に自分が足踏みをしている間に誰かの進歩を見せつけられている──眩しいような、虚しいような複雑な心地だ。
黙ってコートを見下ろしたまま固まっている環をアキは怪訝そうな表情で見つめていた。
「久々に悪くない知らせかもしれない」
「あ、そこは断定しないんですね」
「俺が支払わされた金も完全な無駄にはなっていないだろう」
──そんなこと言って目に造園師の押しに負けて肥料をいくつか買わされたって言ってませんでした?
唐突なアキの発言に環は一瞬固まった後、彼女から目を逸らした。
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