第41話 世界で一番安全なところ

「先輩、世界で一番平和な所って何処だと思いますか?」

「何だ。藪から棒に」


 ──それは私の故郷です。「国内で最も安全なセクターランキング」における第一位を獲得した私の故郷です。

 アキが唐突に思いもよらない話題を振ってくることは日常茶飯事だ。くだらないことであれば流してしまうのだが、最近はアキも学習しているらしい。環を逃さんばかりに食いついてきたり、導入が凝っていたり。

 自分のような退屈な人間と会話して何が楽しいのだろう?

 ……とは毎度思うのだが、こうして毎日飽きずに話しかけてくることを考えるときっと相手は誰でもいいのだろう。彼女が退屈に耐え切れないだけであって、相手は問題じゃない。然しながらクイズを導入にするわりに、自ら答えを言ってしまうのはいかがなものだろうか。


「毎年やってるランキングじゃないのか?それ」

「ええ、そうです。そして今年なんと三冠を獲りましてね。デジタルセキュリティー部門だと他に負けてるんですけど。総合一位は私の地元です」


 祈院と呼ばれる組織が統治するアキの故郷。マインド・サンクタムセクター。

 二度と戻れない故郷の話など進んで聞きたいものだろうか。彼女の故郷の場合、セクターの法により一度退去したら二度と故郷で暮らすことは叶わない──セクターが別の組織に乗っ取られでもしない限りは。

 少なくとも自分であれば不快感とまでは行かなくとも古傷が痛むようなそんな心地がすることだろう。

 アキは普段と変わらずパイプ椅子に力無く腰掛ける環へ向け、長机の収納棚から取り出した雑誌を広げて見せた。環はアキの言うランキングの隣に小さく掲載された「新時代のリーダーたち 各セクターの指導者にインタビュー」の見出しに目が留まったが、一般国民の関心としてはランキングの方が取っ付きやすいのだろうか。

 記事に顔を近付けようとするとアキは長机の上に雑誌に広げる。そして環が例を言う前にアキが口を挟んできた。


「一位だからこんなに写真も載ってます。白黒ですけど……『壮麗で神秘的な景観を持つ街。 美しい建築物と静謐な環境が調和し、平和な雰囲気を醸し出す』ですって。こんなの一部だけなんですけどね」


 彼女が指差す写真には以前ベルトコンベヤが運んできたオブジェと同じ物がいくつも写り込んでいる。上部に菱形の装飾が取り付けられた銀色の柱。

 環が頭の中でオブジェを数える真横でアキは「八本です」と呟いた。視線からばれていたのだろうか──流石地元民。とはいえ先回りして回答を言われるというのはそこまでいい気分ではなかった。特に意識していなかったが、こんなことに極僅かに悔しさを抱いているらしい。

 気を取り直して彼女が読み上げた通りの街並みを眺める──自分に関心が、或いは知識の引き出しが無いからであろうか?異文化の街並みを見ても環の頭には遊園地の作り物の町だとか、区立美術館みたいだとか……そんな表現しか浮かんでこない。

 環は漠然とかつて親友が「ドラマの主人公の家のロケ地が美術館だった」と言っていたことを思い出していた。


「お前の地元にも他と変わらず貧困街が有るという話だったな」

「はい。住民が暴動を起こさないだけで有ることには有るんですよ」


 この国ではセクターごとに金額こそ異なるが、居住地に応じて税金が差し引かれる。これはどのセクターでも同じ事だ。低所得者ほど外側へ追いやられていく仕組みだ。好んで危険な貧民街に住みたがる富裕層はいない。

 とはいえ「何処にも属せない人間」もまた存在しない。納税出来ずとも街の片隅にしがみつき、息を殺して生きている人間というものは山ほどいる。そして国もそれを排除しようとはしない。この整備された歪さを望んだのは国だ。

 しかし社会に属せることと満足することはイコールではない。満足に支援も受けられず困窮している人間は暴動を起こすのが常。何処のセクターも下層はいつでも燻っている。それが「無い」ということは異例中の異例だ。

 環の中にぽつりと嫌な予感が湧き上がった。


「私の故郷の特色は精神安定と感情制御技術だそうです」

「興味が無かったんだな」

「感覚としては地元の特産品みたいなものでしょう。 表向きは精神異常の人を治療するとか、精神的なケアを押し出していますけど……」


 私、これは一種の洗脳なんだと思うんです。

 アキは雑誌の中の美しい街並みをなぞりながら呟いた。

 ──セクターの統治者を統治者たらしめる力、その所以。

 祈院は人間の精神を安定させるための技術を有しており、精神的回復を謳った事業を行っている。治療院の経営の他、セクターに複数に存在するオブジェと同じ物を製造し、他の地域へ輸出しているということだった。

 聞こえのいい説明であれば誰でもアクセス出来る──問題はこれがどう情勢に結び付くかということだ。

 アキは既に何らかの答えに辿り着いているらしい。その上でこちらの回答を聞いて答え合わせがしたい。そんな様子だ。


「具体的に何がどうなってるかは分かりません。あのオブジェが変な電波とか出してるのかもしれませんし、オブジェはダミーで実は床や壁とか地面に問題があるのかもしれません。でもどれだけ治安の悪い場所にだってアレはあるんですよ」

「ああ」

「技術を住民に使っちゃいけないなんて決まりはないわけですし。平和な状態は何となくアレのお陰なのかなって思ったんですよね」


 長年暮らしていた場所というのに。アキは「不慮の事故」で地元を離れることになるまで一度も地元の平和に疑問を抱かなかった。両親も教師も誰も気にも留めなかったことだ──今思えばおかしいことだらけである。困窮し、明日の事も分からないほどの貧民が黙って死んでいくなどあり得ない。他のセクターを見れば地元がイレギュラーであることはすぐに分かる。

 それなのに疑問一つ抱かなかった。そうしてこの疑問を乗り越えた先で、アキはもう一つの回答を掴んでいた。


「一度引っ越したら二度と地元で暮らせない法律の話はしましたよね?」

「覚えている。風変わりな法律だったな」

「その理由は洗脳が解けるからだと思うんですよ。客観的に地元を見ることができるようになった人間を戻したくないってところだと」

「……精神干渉は外界で自我を確立した人間には効能を失うか、或いは薄れてしまう可能性があると?」


 そうです。だとしたら追い出されて幸福なのか、不幸なのか分かりませんね。

 アキは雑誌を閉じると、環に手渡した。もう用は無いということらしい。

 特に興味は無いのだが、そのまま返しても彼女の機嫌を損ねそうだ。彼女の厚意を無下にするわけにもいかず、環は渋々といった様子で先ほどのページを開いた。

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