第33話 アキからのお土産

「いや~凄かったですよ。噂には聞いていましたけど、この町の人達はあの駅を使って普段通勤通学してるんですか?いやあ、羨ましいですね。何がって……地下にパン屋からケーキ屋から何でも揃ってるんですって。しかもパン屋が一つじゃないんですよ。パン屋が、四つも!」

 

 一日が経過し、職場にアキが戻ってきた──眩暈がする。

 環は長机の上に嬉々としてロゴが描かれた紙袋を並べるアキの姿には何処か既視感が有った。かつてフィールドワークで国内を飛び回っていた親友も出かける度にこうして職場向けに何か土産物を用意してきたが、これほどでない。アキはマシンガントークを続けながら机の上に恐らく十個前後の洋菓子の入った箱……土産物屋によく並んでいるような箱を二つ三つと並べていく。


「一体何個買ったんだ」

「先輩好きなの選んでいいですよ。ほら、最寄り駅はデパートと直結してるじゃないですか。あそこの地下で買ったんですよ」


 パッケージを見る限り内二つは焼き菓子で、残り一つはチョコレートだ。

 折角自分で買ってきたのだから全て自分で食べればいい、とは思ったもののここで断ると面倒に話が拗れるのがアキだ。環は黙って小ぶりなチョコレートの箱を受け取った。量が多いと食べきるのに時間がかかり、冷蔵庫のスペースを圧迫する。アキも環の選択に何も言わなかった。選べと言ったのだから、当然ではあるのだが。


「先輩はあの駅に行ったことないんですか?」

「何度か足を運んだことはあるが、用が無ければ行きたいと思わない」

「ええ、勿体ない!楽しい所なのに」


 駅の存在を知らないわけではない。この施設の最寄り駅──この区において最も大規模なあの駅の事なら他所の区画にも知られていることだろう。年に数回は駅の特集が組まれる程度には栄えている。衣料品店から飲食店、美容施設やドラッグストア……家電量販店や百貨店とも地下で直結している巨大な駅だ。

 環自身もこの職場で働くようになってからフレデリークの勧めもあり、最初は物珍しさに何度か駅に足を運んだが、そこで得た感想は「無暗に動き回ってはいけない」というものであった。駅というのは本来移動目的で訪れる施設だ。それだけ巨大な駅ともなれば四方八方に路線が有る。つまるところ各々の目的地を目指して歩く顧客の波が生まれ、慣れていないと歩く事すらままならない。

 駅構内に現在地を示した地図が有るから大丈夫だと高を括って訪れたものの、人混みで先が見渡せず気付くと目的地と逆方向に歩いていたなんてことはザラだ。

 このような有様の環からすれば最寄り駅の存在はそれほど魅力的な物ではなかった。自分の立場を考えれば遠出をする機会も無く、必要な物が有ってもより近場で入手することが出来る……地元に観光に行く、という感覚は理解出来ない。


「ああ、そうでした。休日を申請した理由を話していませんでしたね。夏季休暇を一日申請しないと駄目だって書類が来てたんですよね。それで期間内の一番最初の日にしたんです。だからこれから暫く休まないですよ」

「俺はそんなもの無かったが」

「先輩、会社に嫌われてるんじゃないですか?」


 上に許可された以上、休日申請の理由など職場に言う必要は無いと思うのだが。

 アキは馬鹿正直──というよりも環相手であれば特に問題は無いと考えているのかアッサリと夏季休暇の話を出した。これは舐められているのか、親しみ故か。

 企業が一日必ず取得しろと言っているものだから問題は無いのだが世間には「休日に休んでいると怒る人間」というものが一定数存在する。当然環のような人間であれば他人の休日事情などどうでもいい。この仕事に繁忙期は特に存在しないが、万一そうした時期に休日を申請されたところでどうとも思わないだろう。

 会社に嫌われているというのは環にとって笑えない冗談であった。

 アキと共に仕事をする以前から環には夏季休暇も冬期休暇も存在しなかった。ただ毎日何処かで尋問を受けているか、このようにひたすら作業に追われているかだ。これが普通の国民であれば不満を口にするかもしれないが、環の場合はそうはいかない。生かされているだけ幸運だと思ってしまう。

 以前、製薬会社に共に監禁されていたテレパシストの境遇を考えると尚更だ。休みが無い程度で声を上げる勇気など持ち合わせていないし、幸い仕事もそこまできつくない。そして何より休みを得たところでやりたいことも、行きたい場所も何一つ思い浮かばないのであった。


「まあ、そんな可哀想な先輩の為に土産話を沢山用意してきましたから……」

「それほど聞きたくない」

「そう言わずに。時間は沢山あったのでデパートの屋上に行ったんですよ。一区ほど大きくないけど地元にもデパートがあって小さい頃は家族とよく行ったんです。そこで皆で蕎麦とか食べて、その後は屋上の小さいゲームセンターで遊んだりして。そういうのを期待して行ったらなんにも無かったんです」


 現在改装中ですって。拍子抜けですし、がっかりしますよね?

 アキに言わせればこうだ。デパートの屋上というのは娯楽施設に程近いらしい。大規模なものだと子供が乗って遊ぶような汽車の遊具が走っていたり、観覧車があり……かつてはプールまで併設された屋上まで存在したという。

 環にはとってはまるで馴染みのない文化だ。規模だけで言えば同等かそれ以上の商業施設は彼の地元にも有ったのだが、それほど娯楽に寄った施設とは縁遠い。ただ必要な物を買いに来て、用が済めば帰っていくというのが通常だ。楽しくも退屈にも感じない。


「改装後に何か新しく出来るんじゃないのか」

「私にはさっぱりでした。ゲームセンターと飲食店の撤退。代わりに予約制で団体客用のバーベキューだか焼肉の会場が出来るみたいですね。夜間だけ解放するみたいですよ」

「そうなのか」

「夜景が見たいならおしゃれなレストランにでも行くでしょうに。なんでそういうことするんでしょうかね、肉って儲かるんでしょうか。最近どんどん思い出の場所が無くなっていく気がします。一区は私の地元じゃないけど概念的な話です」


 環は何とも思わなかった。アキが残念がるだけの百貨店の在るべき姿というものを自分は知らない。そうした思い出が特に無いのだ。かと言って置き換えられるだけの類似した経験が故郷に有るかといえばそうではない──地元はずっと、何も変わらなかった。他を見ることが無いから特別不便とも便利とも感じず、思い入れも無い。生活における拠点でしかなかったのだ。

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