第20話 複製される誓い
アキはベルトコンベヤが運んできたトレーを前に固まっていた。
トレーが付くということは大抵小型だ。他には吹けば飛んで行ってしまうほど軽い物であったり、ベルトコンベヤに直接置くことが憚られるような精密機器の類……両者の共通認識として「小さくて繊細なもの」というイメージが有った。
環に関して言えばトレーの場合、虫が運ばれてくる可能性を否定できず遠くからトレーが乗ってくるのを見ると自然と体が身構えてしまう。蛾の一件以降、虫は見ていないのだが──見たいような見たくないような心境でアキの背後からトレーの中身を覗き込んだ時、環は自分の前にいる彼女の表情が強張った理由を理解した。
「何と言うか気味が悪いですね」
「そうだな」
トレーの上には銀色の指輪が山積みになっていた。数を数えるのが億劫になる程度には数が有る。
デザインそのものは何の変哲もない指輪だ。宝石の類がはめ込まれているわけでもなく、金属を切ったり変形させたりといった趣向も見られない。指輪にはどれも同じ記号が刻まれているが、アキにはそれを理解出来なかった。こちらの言語ではないのかもしれないし、癖の強い飾り文字かもしれない。ただ認識できる事があるとすれば恐らく四文字ということだ。
アキと環、両者それぞれがその内の一つを摘まみ上げて部屋の照明に翳して確認する。何度か手に持っている指輪を山の中に戻し、新しい指輪を引っ張り出して同じように確認してもやはりどの指輪もデザインは同様である。
何となく左手の薬指に指輪を嵌めるのは気が引けたのか、アキは薬指を避けた他の指の全てにサイズの合わない指輪を嵌めてみる。成金趣味の金持ちのごっこ遊びをするならこうだ──と思ってはみたものの。どれも細く飾り気がなく、味気ない。
何処か落ち込んだ様子で指輪をトレーに戻すアキとは対照的に環はまだ一つの指輪を眺めている。
「先輩って結婚願望とかあるんですか?」
「何だ。藪から棒に」
「随分と真剣に見ていたから。ほら、時期も時期でしょう?この時期うちの地元じゃ挙式を上げるプランの競争率が高くて……」
「これが量産されるようなものなのか気になっていた」
無視されたわけではないが、質問の答えにはなっていない。最も後半の話題に関しては完全に無視された気がしなくもないのだが、アキはこんな様子ではそもそも浮いた話の一つも無いのであろうと結論付けた。
失礼な事だとは思えど、やはりここまで共に過ごしてきて結婚を考えるような恋人がいるようには到底思えない。そもそもこのような怪しい施設でアルバイトとして働いている人間が真面目に結婚を考えていたとして、それはそれで怖いのだが。
環の言葉に少々呆れつつ、アキは隣でトレーの上の指輪の山を見下ろした。デザインで言えば派手な装飾品ではなく、シンプルな婚約指輪や結婚指輪の類だ。
デパートでトイレを借りる時、大体空いているからという理由でアキは何度か宝飾品のコーナーに立ち寄ったことがあるが……その際に横目で目にした指輪達は大体このようなデザインをしていた気がする。ここまでシンプルなのに中古車が変えるような値段を取ることが十七歳になっても理解出来ない。
そういう意味ではアキも環の意見には同意出来る部分が有る。これらは量産される物ではないのだ──無記名なら未だしも、わざわざご丁寧に名前のような文字が彫ってある時点でオーダーメイドであろう。自分が知らないだけで異国の祈りの言葉なのかもしれない。そうだとしても雑貨屋にあるようなチープな玩具の指輪とは重みも光沢も異なるように感じられる。
「安物には見えないんですよね。母が指輪をいくつか持っていたんですけど」
「そうなのか」
「母が若い時に好景気だった時期があってその時に買ったと聞きました。勝手によく触ってたから分かるんです。何となく安物じゃないんだなって」
「全く分からん」
「こういう文字が彫ってあるやつってのは大体オーダーメイドなんですよ。自分と相手の名前を彫ったりするんです。だとしたらこんなに同じ名前のペアがいるものかと思いましてね。三文判とは訳が違うんですよ」
「なるほど」
「もっとも私達の理解不能な言語で書かれた祈りの言葉かもしれませんけど、こういった物を間近で沢山見かけるっていうのは世間一般的には不可解です」
環が三文判を知っているかはさておき。彼に名前を与えた人間が所属しているコミュニティの事を考えれば大凡理解は出来るだろうと判断し、話を進める。
アキもまた人に解説出来るほど装飾品の知識に明るくはない。母親の化粧台の中にいくつかしまい込んであるというだけで、成長してからは触る機会も無かった。もし自分が結婚する時が来たらいくつか持たせてやってもいいと言われていたが、現実味の無い話だった。アキは将来の事など大して考えてはいなかったし、何よりこうして人生のレール自体が崩壊した現在そんなものは夢物語に過ぎない。マンション、化粧台ごとあの指輪も今頃粉々に粉砕されているかもしれない。
そんな話をしても恐らく環は適当に相槌を打つだけであろう。反応は容易に想像できる──とはいえそれほどアキは悲しみに暮れているわけでもなかった。
「個人的には隣区の鉄の靴事件を思い出します。襲撃を受けて封鎖区域になった場所から見つかった死体が老若男女を問わず皆鉄の靴を履いていたってやつ」
「珍事だな、それは」
「ニュースにならないようなことですけど、死体を運び出すところを見る人ってのはいるんですよね。だから現場から同じものが出てくるって話は結構聞くんです。これがお金になるものならいいんですけど」
「そうではないのか」
「虫の死骸もありましたね、黒い柱が沢山立っていると思って近づいたら黒いのは虫だったとか……大丈夫ですか?」
金になるかならないか──今のアキにとって重要なのはこれだけだ。
報道こそされないが、不審死に関連する自称として不可解な「発生」についてアキをはじめとする住民達はすっかり受け入れている。直接的な死因かは不明だが、死体が一様に同じ物を握っていたり、現場から集団で逃げてきた際に衣服に同じ物が縫い付けられているような現象は然程珍しくない。
腕を組み、情報を整理して考える素振りを見せる彼女の真横で環は口元を押さえていた。アキが口にした虫の柱を想像し、消化器官から何か酸っぱい物が上がってくるような心地がした。
「構わない。続けてくれ」
「まあ、だからコレもその手の物なのかな……って。一説によると襲撃現場で怪物に襲われたって体験談のもあるんですけど」
「宇宙人でなく?」
「人型ではなかったそうです。姿も同じじゃないみたいですし。まあ、きっと表に出る前に役人が片付けちゃうんですけど。個人的にはソレの身体の一部とか考えなくもないです。でも指輪や靴は鱗とかじゃないからなあ……」
環は吐き気が収まってきたことを確認して話の続きを促した。虫の話をやめろと言えばそれまでなのだが、それはそれで情けない気がしている。
国は明らかに自分達に何かを隠している──それはアキのような人間にも理解出来る事であるが、証拠を拾ったところで錯乱した人間の支離滅裂な言動を受け取られかねないだろう。この指輪のような物を仮に襲撃現場で拾ったとしても。
仮説として。こうした物たちは皆、何かの身体の一部なのではないか?──或いはそれらが吐き出した物ではないのか。何の根拠もないが、情報に穴が有りすぎて想像の余地がある。
アキは徐に手のひらの上で鈍く輝く指輪を摘まみ上げると頭上に掲げ、ぼんやりとその中を見つめてみる。自分の言葉でまた悪い想像をしたらしい環が隣で吐き気を催し、遂には床に中腰になってしまったその真横で。
アキは輪の中に指輪の主を見た気がした。白い布、レースの縫い付けられた裾と袖の中から無数の白い腕が伸び──顔はなく、頭も持たない巨大な蜘蛛のようだと思う。そのどれもが左手で、薬指には全てこれと同じものが嵌っているのだ。
──今日は疲れているのかもしれない。アキは黙って自分の手の中にある指輪を全て山の中へ返した。
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