第9話 高橋さん

 また月曜の朝が来た。いつも通り電車に揺られ、会社に到着した。今日も、さくらが一番乗りだ。褒められるわけでもないが、誰より早く出勤するのがさくらのルーティンになっている。

 朝の仕事を終え、朝礼までメールに目を通す。今日も、資料の作成やら細かい仕事の依頼がぼちぼち入っている。だが、お昼前のミーティングが無いのは少し気楽だ。今日は先輩たち、馬淵さんや田中さんと部長たちだけで会議をするらしい。


「ずびっ、おはようございます……っくしゅん」


 高橋さんがいつものタイミングで出社してきたが、今日はなんだか体調を崩しているようだ。花柄のマスクが顔半分以上を隠しているが、少し熱っぽいように見える。若い営業の社員がいそいそと駆け寄り、心配そうに声をかける。高橋さんもまんざらでもないようだ。


「高橋さん、花粉症ですか?」

「そうなの~ぐすっ、去年は何でもなかったんだけどさ~」

「辛いですね、来客対応、無理そうだったら代わりますから言ってください」

「ありがと~、くっしゅん!」


 たぶん代わってほしいとは思ってないだろうと思いながらも、一応気遣いで言ってみた。

 去年の夏も暑かったから、今年も花粉症の人には辛い春になるだろう。時々くしゃみを我慢しながら辛そうにデスクに向かう高橋さんは、いつもより何割か増しでかわいく見えた。それはさくら以外の人の目にも同じく映るようで、隙あらば「大丈夫ですか」と色んな社員が声をかけにくる。そんな高橋さんを横目に、さくらはいつも以上に働きまくった。


 お昼になり、さくらは休憩室でお弁当を温めていた。するとめずらしく、パンを抱えた高橋さんが入ってきた。


「高橋さん、めずらしいですね。今日はもう外に出たくないとか?」

「そうなの、花粉が落ち着くまではここで食べることにするわ」


 今日は先輩たちもミーティングでいないので、さくらと高橋さんは二人で並んで昼食を食べることになった。だが何を話したらいいものか分からないさくらは、「ネイル可愛いですね」などと世間話を適当にしていた。


「これ、自分でやってるんだ」

「えーすごい!自分でこんなに綺麗にできるんですね……」


 意外と手先が器用で関心してしまった。薄いピンクのグラデーションに、何枚か桜の花びらのようなパーツが乗っている。とても綺麗だし、手先までよく手入れがされているのが分かる。これをまさに女子力と言うのだろうか。


「青山さんはしないの?ネイル」

「自炊する時にちょっと邪魔かなって。時々自分で塗るくらいですね」


 たしかに料理する時に邪魔というのもあるが、本当はネイルにかけるお金がもったいないから、という理由だ。さくらはそんなに器用じゃないし、お店でやってもらうのはお金がかかる。


「お弁当も自分で作ってるの?偉いね。わたし、料理は全然でさ」

「わたしも適当なものしか作れないですよ。でもなるべく自炊して節約もしようと思って」

「青山さんはなんかちゃんとしてるもんね。わたしなんて夜も外食ばっかりで。入社した時より五キロくらい太ったんだよね~」


 五キロ増えてこのスタイルなのか……。モデルの頃は厳しい体重管理をして、食事にも気を遣っていたと言っていた気がする。


「外食って宅配とかですか?最近家から出ないで美味しいもの食べられていいですよね」

「ううん、外食っていうかほぼ飲み会?読モの時のつながりで、まだ呼ばれたりするんだよね。タダで美味しいもの食べられるから、行くんだけどさ」


 そうなんだ。高橋さんが夜な夜な飲み会に参加する様子を想像した。銀座や六本木の高級なシャンパンが何本も並ぶ店内に、モデルやアイドルの卵たちがキラキラと集ってくる。何百万という腕時計をした男性陣は、ギラギラした目つきで成功談を語り出し、華やかな夜がはじまる……。同じ東京で生活しているが、さくらには縁のない世界だ。


「高橋さんは、どうしてここで働いてるんですか……?」


 素朴な疑問が湧いて、ついそのまま口から言葉を出してしまった。失礼だっただろうか。


「あ、ごめんなさい、特に深い意味はなくて!単純に入社理由が知りたいというか……」

「あは、変に思われてた?わたし。知り合いの社長さんがここの社長と知り合いで、紹介してくれただけよ。正直、モデルの仕事、あんま上手くいってなかったし」


 高橋さんは少しシュンとして下を向いた。花粉にやられている美人がさらにシュンとするものだから、これ以上ないくらい可憐な少女が出来上がってしまった。危ない、キュンしてしまう……。


「青山さんは、なんでここに?」

 あまり興味はなさそうだったが、一応さくらにも聞いてくれた。


「わたしは、最初総合職で就活してたんですけど、全然だめで。途中で一般職に変えて、今の会社に内定もらえたって感じです」

「なんか、ちょうど良いところであきらめるっていうのも大事よね、人生」


 高橋さんがこちらを向き、目が合うとニコっとしてくれた。職場でいつも振りまいている愛想笑顔とはまた違って、芯のある可愛さがあった。彼女は、まだ未知の武器をたくさん隠し持っていそうだ。


「面接で、最後の段階までは進むんです。でも、最終的に、自分は何をしたいのか?って聞かれると分からなくて」

「まだ働いてないのに、そんなの分からないよね」

「なんというか、見せかけの、会社の求める人物像に寄せた軸は作れるんですけど、結局そこまでなんです。自分の軸が無い、というか……」

「ふぅーん。自分の軸なんて、わたしも無いけどね」

「昨日も友達と話してて、なんか自分はぬるま湯で生きてる人間だなって思いました」

「いいじゃん、わたしは気に入ってるよ?定時退社で適当に働いて、夜は楽しく遊んで。あとは良い男捕まえて結婚するだけ」

「高橋さんはもうちょっと気合入れて働いてください」


 二人で顔を見合わせて、お互いふふふっと笑った。


「そうだ、こんど青山さんも飲み会来なよ。ハイスぺのイケメン来るよ?」

「いやいやいや!とんでもない!わたしなんて場違いすぎて無理ですよ……」

「美味しいご飯もお酒もタダだよ?」

「いやそうゆう問題じゃないです、無理無理」


 自分がモデルの卵たちの横で輝かしい飲み会に参加している姿なんて想像できない。絶対、惨めな思いをするだけだ。

「そっか~。でも、また興味湧いたら言ってよ。いつでも連れてくから」

「はい、大丈夫ですけどありがとうございます……」


 高橋さんなりに気を遣ってくれているのかもしれないので、お礼をしておいた。

 お昼を食べ終わると、片付けをして、二人はそれぞれのデスクに戻った。当たり前のことだが、こうして同じ空間で同じ時間を過ごしているのに、みな全く違う日常を生きている。さくらは、すぐ近くにある別の世界に、少し興味が湧いた。

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