本編

「やっぱりそういう事なのかな」


 晩ごはんを食べ終わったソファの上で、誠はいつものようにスマホを眺めてつぶやく。


彼が言う”そういう事”というのが何かを尋ねる事はしなかった。


「母さん」










「僕達、付き合わないか」


 誠の飾らない真っすぐな言葉を私は喜んで受け入れた。何度もデートを重ね、私も全く同じ気持ちだったので正直どちらから言ってもおかしくはない空気だったが、彼の言葉を待って良かった。

 同じ会社で経理の私と営業の誠はよくある職場恋愛から始まり、半年程で同棲に至った。全てがとんとん拍子で進んだ。これまであまり芳しくなかった恋愛が嘘のような順調な交際だった。


「じゃあね、母さん。おやすみ」


 彼は毎日必ず母親に電話をする。それも短いものではなく30分以上は必ず話す。今となっては慣れたが正直最初は驚いたというか戸惑った。ずっとそうなのと私が尋ねると、


「え、だって母さん心配するし。というか声聞きたいし」


 誠はさも当然のように答えた。別に悪い事ではないのでもちろん咎める事はしなかった。




「完全にマザコンじゃん」


 あまり顔を出したいとは思わないが、職場の忘年会で仕方なく座っていると周りの同年代の女子達が恋愛話を始めた。しばらく聞いているだけだったが、「佐々木さんは?」と振られたので仕方なく話した結果がこれだ。休日には必ず実家に帰っている事も合わせて話すと、苦いものでも口にしたかのように顔をしかめられた。実は一緒にお風呂も入っているという事は、さすがに空気を見て付け足さなかった。

 そういえば彼から告白された時、「君ならいい母さんになれる」と言われた事も話せば、周りはその意味をどう捉えるだろうか。


「お母さん大事にするのはいい事だと思うけど」


 なんて前置きをする子もいたが、結局はその子も彼がおかしいという論は一緒で、妙に慰められたり気を遣われたりして、挙句最終的には別れた方がいいとはっきりと口にもされた。

 どうしてそこまで言われないといけないのか理解できなかった。彼の何がそんなにも悪いのかと首をひねっていた私だったが、まとめると”自分よりもお母さんの事優先する男はろくな男じゃない”という事らしい。


 優先というのもピンとこない。別に私自身がないがしろにされているわけでもない。確かに土日の休日のうち一日は彼のお母さんの予定が必ず入るが、残り一日は私と過ごしてくれている。ちゃんと彼は平等に私の事も扱ってくれている。そこまで言うと周りは「まあ佐々木さんが好きならいいけどね」と、全く良くない様子で話を終わらされた。


 皆きっと不幸なんだろうな。そう思った。

 今の生活に幸せがないんだ。独りで寂しく暮らしていたり、結婚していても夫に対して鬱憤しかない環境で過ごす彼女達は、結局私が幸せそうにしているのが許せないし認めたくないのだろう。だから必死で否定する。私の幸せを否定しないと、自分がかわいそうだから。


 ――みっともない。


 ぽろっと思わずこぼれた私の笑みを見て、皆がまた苦い顔をしたがもうどうでも良かった。












「母さん……母さん……」


 決して不幸と考えてはいけない。死は必ず訪れるのだから。どれだけどうでもいい存在でも、どれだけ自分にとって大切な人でも、皆一緒なのだ。


「母さああん」


 棺桶にすがりつき泣き崩れる誠の姿は痛々しいものだった。あまりにも無防備で無邪気とも言える程に泣き叫ぶ彼の姿に向けられた視線は、最初は同情的だったが瞬く間に嘲笑や軽蔑が追い越していった。

 あり得ない感情だ。人の痛みも何も分からない信じ難い感覚。かと言って同情なんて安っぽいものなんてもってのほかだ。私にだって彼の大きな悲しみ全てを理解出来るわけはない。ただそれでも私は、彼の絶望的な哀しみを自分の中に出来るだけ飲み込み理解しようとした。

 結局お母さんとまともに顔を合わせる事なく最期を迎えてしまった事が非常に残念だった。これだけ誠が大事に思っているお母さんに、一度ぐらい会ってみたかった。ただ付き合っているだけの身だったので、自分から誠にそれを口にした事はなかったが。


 私はただ静かに泣き狂う彼をそっと抱きしめた。









「母さん?」


 誠の母親が亡くなって一か月が過ぎただろうか。ふいにスマホを見ている彼が不思議そうに声を上げた。どうしたのかと聞くと、


「これ、母さんじゃない?」


 そう言って画面を見せてきた。画面には幼少期の誠が写しだされていた。

 私も見た事があった。母親の遺品を整理している中で大量に残されたアルバム。その中にあった一枚だ。誠はそれらを全てデータ化しPCに取り込み、スマホと同期していた。「これでいつでも母さんに会えるから」と嬉しそうに寂しい笑顔を浮かべていた事を思い出す。


「ほんとだね」


 確かにそれはお母さんだった。でもあり得ない写真だった。

 学習机に座って笑顔でふりむく誠を真ん中にとらえた写真。その学習机の上に、首だけのお母さんの顔があった。いわゆるそれは心霊写真だった。


「母さん、まだいてくれてるのかな」


 前に見た時そこにお母さんはいなかった。という事は、誠が言うようにお母さんはまだこの世に留まっているという事なのだろうか。


「母さん」


 愛おしそうにつぶやく誠の姿は、切なくも幸せそうだった。









「やっぱりそういう事なのかな。母さん」


 晩ごはんを食べ終わったソファの上で、誠はいつものようにスマホを眺めてつぶやく。彼が言う”そういう事”というのが何かを尋ねる事はしなかった

 お母さんの写真はそれだけではなかった。他の写真にも無関係な場所やあり得ない箇所にお母さんは写り込んでいた。そして増殖するように、気付けばお母さんが写っていない写真は一つもなくなっていた。





 カシャ。

 誠は家の中の何もない空間に向かってスマホをかざして写真を撮った。


「心配性だな母さんも」


 嬉しそうに見せられた画面にも、お母さんはしっかりとそこにいた。


 






「必要ないんで大丈夫です」

「いや、でもそれじゃお母様が……」

「結構です。母の意思なので」


 四十九日の法要を彼は断った。当然住職は困惑したが彼の意思、いや、彼から言わせればお母さんの意思は固かった。

 住職も必死に法要の必要性を説いたが、こちらからすればそちら側の勝手な理屈だ。決まり事という理由だけで執り行われる形式的なものを必要としていない人間がいる事を、どうして理解してもらえないのだろうか。


「知りませんからね」


 捨て台詞を残して住職は家を後にした。

 神や仏程度に決められる道ではない。

 周りの理解など必要ない。大事なのは、”私達”の意思だった。











 そこからしばらくしてまた変化が訪れた。


「凄いよ。凄いよ優実」


 嬉しそうに彼はスマホを私に見せる。それは前に彼のスマホで撮った私と誠のツーショット写真だった。


「お母さん」


 誠の横に映っているのは、お母さんだった。

 それからどんどんアルバムと同じように画像達は塗り替わっていった。気付けば私の画像は全てお母さんの顔に変わっていた。


「母さあん、母さああん」


 誠は毎日私の膝枕をせがんだ。昔よくお母さんにしてもらっていたそうだ。


「これが一番落ち着くんだ。まるで深くて静かな優しい海に包まれているような気持ちになるんだ」


 誠は幸せそうに私の膝に顔を埋めた。








 カシャ。

 誠は私にスマホを向けて写真を撮った。


「もう少しかもしれない」


 今撮られたばかりの写真に私の姿はなく、それは誰が見てもお母さんを真正面から撮った写真だった。


「そうだね」


 私の身体に特に変化はない。けど誠の言う通り”もう少し”な気がした。







 それから一か月程経った。


「母さん、母さん!」


 まだ寝ている私の顔を誠が両手で包み込んだ。


「そうだ。僕達は正しかったんだ」


 誠の涙が私の顔を濡らした。私はすっと立ち上がり鏡の前に立つ。


「お母さん」


 お母さんが立っていた。私の姿は一切なく、お母さんの姿だけがそこにあった。


“君ならいい母さんになれる”


 ーー私、なれてるかな。











「大変だったみたいだけど、幸せそうで何よりだよ」

「ありがとうございます。本当に色んな頃に恵まれて、幸せです」

「お母さんの事大事にしてたもんね。亡くなられて残念だったけどーー」

「いますよ」

「え?」

「母さんは今もいますよ」

「ん? ……あ、あぁそうだね。ずっと見守ってくれてるだろうね」

「……そういう意味じゃねぇよ」

「え? 何か言った?」

「いえ」

「いい奥さんと子供達にも恵まれて、まだまだ頑張らないとね、誠くん」

「はい、ありがとうございます」

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母母母母 見鳥望/greed green @greedgreen

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