第17話 無茶苦茶に、真っ直ぐに


 領主の館の扉が閉ざされたことで、ヨロズハは胸に暗雲が立ち込めたような気分だった。カズハの行動は明らかな拒絶であった。ヨロズハは緩む涙腺を引き締めて上を向いた。


 ヨロズハの視線の先、空は青く済んでいる。何筋かの雲はヨロズハの心に入った亀裂を表しているかのようだった。


 彼女は濡れた雑巾のように重い足取りで館から離れんとする。自責の念、申し訳なさ、情けなさ、不満。様々な感情が渦巻いてヨロズハの胸の中で濁った。


ヨロズハは落ち込んだ時、マンヨウ王の言葉や族長からの教えを思い出すようにしている。彼らの言葉は十五のヨロズハにとっては今まで完璧な解決策だった。しかし今彼女の頭にはどんな言葉も浮かばない。あるいは浮かんでもすぐに泡のように消える。あるいは感情の渦にかき消された。


「……私は……どうすれば……」


 相手の恋心を踏み躙ってしまった際の解決策など、ヨロズハは持ち得ない。とぼとぼと歩く彼女の感情を読み取ったかのように、袍がガサゴソと蠢く。


 ゴシチとシチゴが飛び出してくる。二体は久方ぶりに外へ出たため、伸びのような仕草を見せる。しかし主人の顔を見てすぐに心配そうな表情を浮かべた。


 キー、と金属音のような高い鳴き声だが金属音よりももっと柔らかい。そんなふうに鳴きながら二体はヨロズハの顔にその身を近づけた。二体は関節のない体で首を傾げる。


「……すまないな。ゴシチ、シチゴ。何もいい案が浮かばないんだ。もう……謝るのは諦めるしないのかな……」


 消え入りそうな声で呟くヨロズハ。そんな彼女に二体は顔を見合わせた。そしてすぐにシチゴがうなり声をあげた。ゴシチもそれに続く。


「な、なんだお前ら。怒っているのか?」


 二体は空中で暴れるように体を捻り、旋回する。唸り声を上げながら。


 ヨロズハはポカンとした。ゴシチとシチゴとは文字通り同じ釜の飯を食う仲間である。言っていることは分かるが、その感情を全て推し量ることはできない。


 言葉通りに二体のメッセージを受け取るヨロズハは少し眉を八の字に曲げた。言っていることは分かるが、それが何を意味するのかが検討がつかないのだ。


「なんだよ……ヨロズハらしくないって」


 そもそも彼女は彼女らしく振る舞ったことでカズハの想いを踏み躙ったのだ。そこにこのアドバイス。ヨロズハは混乱していた。


 二体はそこからもヨロズハの理解できない言葉を繰り返した。ウタ。ウタゲ。ウタ、ウタゲ。ウタ。ウタゲ。ゴシチとシチゴは二体で繰り返す。その必死さと言ったら飢えた獣が食べ物を求めるかのようだ。


 ヨロズハは少し顎に手を当てて考えてみる。二体が言わんとしていることは何か。歌、宴、そしてヨロズハらしさ。


 ふとヨロズハの頭の中で凹凸が合わさったような感触がする。体を捻ってキーキー騒ぐ二体にヨロズハは恐る恐る口を開く。


「ゴシチ、シチゴ。もしかして……私が……宴の私……つまりは即興で歌を作ることを言ってるのか?」


 朱の髪一族の中には宴に持ち込む歌をあらかじめ作っておくものもいる。一方で即興でその場で作って歌うものもいる。ヨロズハは後者だ。彼女はその方が正直な気持ちを歌に乗せることができると思っているのである。


 ヨロズハの回答は当たっていた。ゴシチとシチゴが狂喜乱舞し、あたりを飛び回る。そしてすぐにヨロズハの背中に体当たりを始めた。二体に実体はないためすり抜けるが、ヨロズハは二体が自分の背中を押しているのがわかった。


「ふふ……そうか。お前たちはいつもみたいに私がすぐに行動しないから……っぽくないから不安がってたんだな」


 ヨロズハは少し目を瞑り、微笑みをこぼす。そして蝿を叩くかのように自分の頬を引っ叩いた。じんじんと熱くなる頬。気付には十分だった。


「ありがとう。ゴシチ、シチゴ」



 ヨロズハは十分後には再び領主の館の前に立っていた。大きく息を吸い込む。そして深く吐き出した。肺の空気を全て出し切るほどに。胸をトントンと優しく叩いて自分を鼓舞する。最後にヨロズハは喉に力を込めた。声変わりの準備だ。


「ヘイ、領主様の館の皆様!中央からのお達しだよ!出てきておくれ!」


 ヨロズハはこの日初めて王をはじめとした中央権力へ背くような言動をした。中央からのお達しを送る者を騙るのは本来許されない。しかし今のヨロズハはそれよりも大切なことを追っているような気がしていた。


 しばらくするとドアが開く。あくびを噛み殺しながら男が扉を開けた。ねぼすけ男の脇をヨロズハは細身を生かしてすり抜けた。そして一目散に二つ目の扉を目指した。


 扉を開けた男は一瞬目を丸くしたがすぐに大声で叫んだ。


「ひ、ひぇー!侵入者だ!」


 その声を背中に受ける頃には、ヨロズハは二つ目の扉に体当たりをかましていた。二回目の体当たりで扉はガタンと枠から外れて地に倒れた。ヨロズハはその扉を踏み越えて走った。


 あたりが騒がしくなってくる。侵入者を知らせる鐘の音が鳴る。ドタバタと館の中を走る音も聞こえる。


 室内に入り込んだヨロズハは廊下を駆け抜けた。悲鳴をあげる給仕係の脇を通り、鉄の棒を構えた領主の私兵の股下を滑り抜ける。


 ヨロズハはドタバタと階段を登った。カズハがいるなら最上階の三階だと思えた。その証拠に三階に近づくにつれて私兵や給仕係の焦りが大きくなっていく。


 後ろから私兵が追いかけてる中、三階にたどり着く。ヨロズハの五歩後ろを私兵が振るう鉄の棒がえぐった。


「待て!不届者めが!」


 そんな声はヨロズハに聞こえていなかった。ただカズハに会うべく走った。彼女は不思議と疲れを感じなかった。それほどに夢中だった。


 何故走るのか。何故罪を負う覚悟で走るのか。彼女の中でその答えがまとまりつつあった。不合理で不法な行為をするにたる理由。


 ヨロズハは金の細工が流れている漆塗りの扉を思い切り開け放って、転がり込んだ。彼女は体制を崩し、木製の床の感触が膝に伝わる。しかしすぐに立ち上がって目の前の青年と向き合う。


 その青年、カズハは目を丸くしていた。ヨロズハはカズハの目をまっすぐに見つめて叫んだ。


「貴方と向き合いに来た!」


 その言葉は強く、室内に響き渡った。数秒遅れて部屋に雪崩れ込んできた私兵たちが立ち止まるほどに。


 ヨロズハの答え。とても他人を慮ることの重要性に気づいた少女の言動ではない。しかし彼女は微塵の迷いもなく、カズハの前に立つ。


 


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