第19話 異郷の華

 王城の廊下は豪華ではあるが、寒々としていた。見た目も、気温もである。


 長い長い廊下をふたりの男女が歩いていた。ふたりとも聖職者の格好をしている。


「外見ばかり取り繕ったところで猿は猿だな、野蛮人どもめ」


 初老の男が眉根に皺を寄せ、忌々しげに呟いた。斜め後ろにピッタリと付いて歩く若い女性が窘めるように言った。


「大司教様、声が大きいですよ」


 周囲に人がいないと魔法探知でわかっているが、それでも外国に使者として向かった者が王城内で悪口を垂れ流すというのは品の良い行為ではない。


 この国の寒さは帝国の冬とは違い、身体の芯まで冷えるような寒さであった。震えても、厚手の服を着込んでも、まったく温かくならない。


「しかしなシルビア……ッ!」


 大司教と呼ばれた男が苛立ちの治まらぬ様子で続けた。


「なんだあの宴会は、ただひたすらに酒と肉が出て来るだけではないか! 前菜は肉、主菜は肉、デザートも肉! 優雅さの欠片もない野蛮人の宴だ! これで国王と側近どもが得意げな顔しているのが余計に腹が立つ!」


「……歓迎はしてくれているのでしょう」


 シルビアがフォローするように言うが、その苦い表情からしてあまりフォローになっていないという自覚があるようだ。酷く脂っこい宴会にはシルビア自身も辟易していた。


「歓迎、歓迎か。フン、野蛮人どもが国家の威信を示そうとして盛大に滑っただけの話ではないか。それを歓迎と呼ぶのであればそうであろうよ」


 大司教は鼻息を荒くして早足で進み出した。もう一分一秒でも早くこんな国から立ち去りたかった。


「なあシルビアよ、本当にここへ残るつもりか? こんな野蛮人どもから教わる事など何もないだろう?」


 大司教は怒りと苛立ちを抑え孫を心配する祖父の顔をして言うが、シルビアは凜とした表情を崩さず静かに首を横に振った。


「民を救う為です。これも神に与えられた試練であると思いましょう」


「本当に役に立つと思うか?」


「立つかも知れません、立たないかも知れません」


「おいおい……」


 この孫娘は何を言っているのかと大司教は呆れるが、シルビアは至って真剣である。豊かな胸に手を置き、鈴の鳴るような声で言った。


「祈るだけでなく、動くだけでなく。人事を尽くして天命を待つ。それが私の理想とする信仰です」


「祈る事が我らの役目だ。俗事など貴族どもに任せておけばよかろう」


「それだけではもう、人の心を繋ぎ止めておく事は出来ないのです」


「むぅ……」


 シルビアの意見全てが正しいとまでは思わないが、一部認めざるを得ないと唸る大司教であった。


 帝国内は今、深刻な食糧不足に陥っていた。魔物が異常繁殖し迷宮から溢れ出て、家畜を襲い畑を食い荒らしているのである。さらに北方の食糧生産と交易を支えていたニシンが急に採れなくなったのも強烈な追い打ちとなった。


 騎士や冒険者たちを迷宮に向かわせてはいるが、あまりよい成果は出ていない。


 そんな中で『山の上の王国』では迷宮探索が盛んであり、そこで採れた資源を有効活用しているのだと聞き、調査に訪れたのであった。


 迷宮探索と魔物討伐のノウハウを学ぶ為、この国に残るとシルビアは提案し、大司教はそれを何とか止めようとしていた。


「私たちは……、神の名に甘えすぎていました」


 シルビアがどこか寂しげに言い、大司教も俯いて唸った。


 民が困窮しているというのに教団の幹部たちは不正と蓄財にばかり勤しみ、何ら有効な手立てを示さずにいた。ただいつも通り、祈れと適当に言うばかりである。神の国への道祈りによってのみ開かれると、飢えた民に言い放つのである。


 人心は教団から離れ、寄付金も大幅に減った。それでも幹部たちは動こうとはせず、不信心者どもめ、破門してやると酒臭い息を吐きながら叫ぶのみであった。


 比較的物事をハッキリ言う性格のシルビアでさえ畏れ多くて口には出来ぬ事であったが、このままでは教団は滅びると考えていた。神の代わりなどいるはずがない、だがそれは教団の代わりがいないという意味ではないのだ。幹部たちはそこを誤解している。


 大司教は大きくため息を吐いて立ち止まった、そこは騎士団長執務室の前である。結局、ここへ辿り着く前に孫娘を説得する事は叶わなかった。


 彼はお世辞にも清廉潔白と言えるような人物ではない。だが国と教団を憂い、孫娘の身を案じる気持ちに偽りはなかった。


「……本当に、いいのだな?」


 最後の説得というよりも悪あがきのように聞くと、シルビアは迷いなく頷いた。

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