第13話 国際交流
つい半日前にも見たヒゲ面の男が、ぬぅっと顔を室内に入れてくる。
「どうもザッカスさん。早起きなんてらしくないじゃないですか」
「……寝てないんだよ」
ザッカスはムスッとした表情で答えた。
「えぇ? これから迷宮探索、体力勝負だってのにそれは良くないでしょう」
当然といえば当然の指摘であったが、そんな事は百も承知だとザッカスは無言でクグツの額を指で弾いた。
「あたぁっ、何するんですか」
「世の中が正しさだけで回っているならよかったんだけどなぁ……」
ザッカスは暗く、そして質量を含んでいるかのように思いため息を吐いた。その様子があまりにも深刻そうなのでクグツもパットンも文句を言う事を忘れてしまったようだ。
「すまん、状況が変わった。少し急がねばならん」
「ひぇっ」
クグツは短く悲鳴を上げた。それは状況が変わった事に対してではない、ザッカスが素直に謝った事に対する恐怖であった。あり得ない、どういう風の吹き回しだと。
明日雪が降ろうが槍が降ろうが、それはむしろ必然だと納得してしまいそうだ。
「なあオッサン、一体何があったんだ? 事情を知らなきゃビビる事もできやしねえ」
パットンが心配そうに聞くと、ザッカスは一瞬だけ意外そうな顔をした。
「……聞きたいか?」
「是非とも」
「言いたくねえなぁ……」
「殴るぞ」
「わかった、わかったからその手を下ろせ。俺が犠牲者第一号なんてシャレにならんぜ」
大きく首を振ってからザッカスは覚悟を決めたように顔をあげた。
「昨日の夕方、ワイバーン便で帝国のお偉いさんがやって来たんだ。今は王宮に泊まっている」
「へえ、こんな山頂にあるクソ不便でクソ寒いド田舎にまで国際交流かい。ご苦労なこったなぁ」
パットンがからかうように言う一方で、クグツはズレてもいない眼鏡の位置を直しながらひどく固い顔をしていた。
「それはひょっとして、帝国の使者が建国祭に参加するという事ですか……」
出来る限り口を開きたくないとばかりに、ザッカスは力なく頷いた。
クグツたちが住む『山頂の王国』は数百年前に帝国の圧政から逃れた人々によって建国された。別に今も恨んでいるとか、帝国を滅ぼしてやりたいと思っている訳ではないが、それはそれとして対抗心のようなものは根強く残っていた。奴らに舐められてはいけない、と。
今年の建国祭は例年よりもずっと派手で豪華なものになるだろう。帝国の使者に私たちの国はこんなにも素晴らしく、豊かなのだぞとアピールする為に。
もうこれはただのお祭りではない。外交戦略なのだ、形を変えた戦争なのだ。そんな時に食材の調達に失敗したらどうなってしまうのか。
「まあ、これだろうな」
ザッカスは口の端を吊り上げ、自分の首を手刀でトントンと叩いて見せた。
「……どっちの意味でだ?」
パットンが眉をひそめて聞いた。
クビ。それは職を失うという意味なのか、あるいは。
「どちらもあり得るな」
「げぇっ……」
いつも口喧嘩ばかりしているパットンが心配してくれるのを見て、ザッカスは軽く微笑んだ。元々の人相が悪いので何か企んでいるようにしか見えないのだが。
「何だよパットン。ざまあみろって笑い出したりしねえのか」
「……あんたにゃ一度痛い目に遭って欲しいが、それはそれとして死んで欲しい訳じゃない」
「お優しい事だな。ああ、ついでと言っちゃあ何だがお前らにも悪い知らせがある」
何の話だろうかとクグツは首を捻った。騎士団から食材調達に命を受けたのはザッカスであり、クグツたちはそれを手伝っているに過ぎない。たとえ調達に失敗したところで処罰されるのはザッカスだけだ。
その考えは甘かった。
「食材調達の協力者として、お前らの名前も登録してある」
「「ちょっと待てぇ!」」
クグツとパットンが同時に叫んだ。聞いていない、初耳である。
「ザッカスさん、あ、あなたは、何て事してくれてんですかッ!?」
「いや、協力者の登録は毎年やっている事だぞ。言わなかっただけで、今回が特別って訳じゃない」
「ぬぅ……」
食材を調達出来なかった場合、ザッカスだけでなくクグツたちまで無能呼ばわりさせる事になるのだ。いや、ただ悪く言われるだけならまだいい。
問題は上層部が今回の建国祭にどれだけ力を入れているかだ。場合によってはクグツたちを非国民扱いする事すらあり得る話だ。
「朝も早くから押し掛けた理由をご理解いただけたか?」
「食材を求める冒険者たちで迷宮が渋滞を起こしてしまうという訳ですね」
「もう既に出遅れているかもしれん。五分で支度を済ませろ、飯は歩きながら食え」
もうあれこれと言い合っている時間すら惜しい。クグツは深く頷き、シワだらけのコートを羽織って剣を腰に差した。
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