第10話 鉄拳

 迷宮第三層は少々特殊な空間であった。地下深くだというのに太陽が燦々と輝く昼間のように明るい。そして天井が高く至る所に草木が生えている。食べられる草やキノコもあり、ここで食材を調達する者も多いくらいだ。


 無論、それも第三層の魔物に勝てる実力があればの話である。残念ながらここはピクニック会場ではなく、昼寝にも向いてはいない。


 前述のコカトリス、大コウモリ、毒蛇などが住む楽園であった。人間はあくまで闖入者であり居場所は用意されていない。


「おい、あれを見ろ」


 ザッカスが低い声で言い、クグツとパットンは木陰に身を隠してから顔を出した。ザッカスが指差す先で二体の魔物が蠢いている。


「殺人ザルが交尾しているぞ!」


「お前なあ……」


 ブン殴ってやろうかと拳を固めるパットンに、ザッカスは慌てて手を振った。


「いやいや、別に面白スケベシチュエーションを楽しんでいる訳じゃあないんだ。どんな生き物だって交尾を邪魔されりゃあ怒る、もの凄く怒る。怒りで我を失った殺人猿二体を相手になんかしたくないだろう。だから刺激しないようにしようぜっていう忠告、親切心だ」


「ぬぅ……」


 パットンは不満げな顔をしながらも引き下がった。絶対に違う、そんな殊勝な考えではない、そうとわかっていながらもザッカスの言葉にはある程度の説得力があった。恐ろしく素早く力も強い魔物を二体同時に相手などしたくないという点においては同感である。


「あ、おい、あれを見ろ!」


 ザッカスが再び殺人猿を指差した。彼らはまだ腰を振り続けている。


「両方ともオスだ!」


 パットンは黙ってザッカスの頭を殴りつけ、引きずるように探索を再開した。




「おい、あれを見ろ」


 ザッカスは軽く膨れた頭を撫でながらまたそんな事を言った。


 今度は何だと疑いながらもザッカスの指先を眼で追うクグツとパットン。数十メートル先の茂みに蠢く影があった。


 身体は鶏、尾は蛇の魔物。コカトリスだ。その大きさが尋常ではない、牛のような巨体であった。


「いいねえ、あれを狩れれば依頼の七割は終わったようなものだ」


 舌なめずりするザッカスにパットンが冷たい視線を浴びせた。


「倒せればの話だろう?」


「倒せばいいだろう」


 気楽に言ってくれる、とパットンは舌打ちでもしたい気分であった。


 いずれにせよ、やらねばならないというのは確かなようだ。


「じゃあ予定通りパットンは正面から。私は右、ザッカスさんは左から回り込んで下さい」


「え、俺も?」


 この期に及んで赤の他人でございますといった顔をしようとするザッカスを、クグツはじろりと睨み付けた。相棒を危険にさらしているのだ、無責任な真似を許すつもりはなかった。パットンが破壊され自分も死んだなら、ザッカスにも一緒に死んでもらう必要がある。


「オーケー、わかった。そんな顔で睨むな。まったく、よくよく考えれば宴会で使う肉のために命をかけるというのも馬鹿な話だな」


「そういうものですよ、生きる為に食うというのは」


 それだけ言うとクグツとザッカスはそれぞれ動き出した。パットンは左右に気を配りながらじりじりとコカトリスに近付いていく。


 人生に何の悩みもありません、そんな顔をして首を振っていたコカトリスがいきなり首を回してパットンを視界に捉えた。何を考えているのかわからないが、こちらを敵と認識し警戒しているのは確かなようだ。


 パットンは動けなかった、コカトリスは動かなかった。じっと見つめ合う一体と一匹。少しでも目をそらせたり弱みを見せればその瞬間に襲われるだろう。


 しかしいつまでもお見合いをしている訳にはいかなかった。時間をかけすぎれば別の個体がやってくる危険もある。


 ……少々頼りない援軍に賭けるしかないか。


 パットンは剣を片手で持ち、空いた手でクイクイとコカトリスに手招きした。


「さあ来いよ、チキン野郎」


 言葉が通じるはずもない、だが挑発されているという事だけは理解したようだ。コカトリスは愚かな挑戦者を嘲笑うようにコケーッと鳴いて、パットンに向けて突撃した。


 速い。だがパットンは怯える事も慌てる事もなく剣を振り上げた。身体こそ全取り替えしたが、長年戦闘用ゴーレムとして戦い続けてきた経験は失われていないのだ。


「食らいやがれッ!」


 気合い一閃、コカトリスの突進に合わせて剣が風を切って振り下ろされる。最高のタイミングだった。これで頭をふたつに割れるはずだった。力さえあれば。


 ガキン、と硬い物がぶつかる音が響いた。信じられない、といった顔で目を見開くパットン。コカトリスは首を九十度傾け、刃をクチバシで挟み取っていたのだ。


 真剣白歯鳥、剣士としてこれほどの屈辱が他にあるだろうか。パットンの肌に血が通っていれば怒りで顔面を朱に染めていた事だろう。


 悔しがっている暇すらなかった。コカトリスの尾、つまりは蛇の頭が手の塞がったパットンに襲いかかってきたのだ。


 剣は両手で持っている。コカトリスの首の力は強く、とても片手で押さえられそうにない。しかしこのままでは蛇への対抗手段がない。


 どうする、どうすればいい。


 相棒の言葉がふと思い浮かんだ。何があっても直してやると、そう言ってくれた。


 迷いを振り払ったパットンは剣から手を離し横っ飛びに避けた。クチバシ攻撃回避、蛇の噛み付きを回避。しかし、武器は失った。


 こいつは馬鹿だ、コカトリスの眼が嘲るように歪んだ。戦場で武器を手放すなど論外、パットンのやった事は問題の先送りであり、なぶり殺しにされる道を自ら選んだのに等しいのだと。


 否、武器ならばある!


 パットンは拳を固めて突進し、油断から覚めきらぬコカトリスの顎に叩き込んだ。

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