第10話 日向はるか:こんな二十九歳になりたい(1)

【日向はるか こんな二十九歳になりたい】


 普段、収録後の飲み会や食事は、学業を理由に断っている。

 だけど今日は、こうして先輩声優と一緒にご飯を食べていた。


「はるかちゃんが一緒にご飯してくれるなんてめずらしいね。お姉さんうれしい」


 あたしの前でにこにこ微笑んでいるのは、白羽ゆりかさん。

 押しも押されぬトップアイドル声優だ。

 演技派と呼ばれながら長いこと売れない期間が続き、二十五歳で出演したアイドルアニメで大ブレイク。

 二十九歳になる今まで、業界のトップを走り続けている。

 あたしが最も尊敬する先輩だ。


「なぜあたしだけを誘ってくれたのですか?」


 白羽さんとは何度か共演したことはあるが、それほどからみがあったわけではない。今日もあたしはゲスト出演なので、レギュラーの彼女からすれば、来週からはもう会わない相手だ。


「ん~? はるかちゃんのことは前から気になってからね。良い演技をするコだなーって」


 彼女がふわふわと頭を左右に揺らすと、黒く艶やかなロングボブが肩口で揺れる。

 跳び上がるほど嬉しい一言だ。


 ファンからはアイドル声優としての人気が高い彼女だが、業界内では役者としての実力こそを評価する人も多い。

 NGはほぼ出さず、ディレクターの要求にも一発で答える。

 それでいて、作品への理解が深く、演じられる役柄も広い。

『全ての作品において最後に決まるのはいつも白羽ゆりかだ』という噂まである。

 演技の幅があまりに広いため、どの役にでも収まるからだとか。

 この話ですごいところは、白羽さんをキャスティングしたいというのはどの作品でも大前提になっていることである。

 そんな人に「演技」を褒められることは、何よりも嬉しい。


「あ、ありがとうございます」

「あらあら、泣かないで」

「え……?」


 頬に触れると、涙が流れていた。


「ち、ちが……これは違うんです。人前で泣くなんて……」


 こういうのは葵の役目だ。


「あらあら、色々たまってるのね。私にも経験あるわぁ」


 白羽さんは、私の涙を心配するでもあざけるでもなく、ゆっくりとジャスミンティーを口に含んだ。


「白羽さんにも?」

「はるかちゃんって私の若い頃にそっくり」


 どこか懐かしむような微笑みすら絵になる。

 この人はいったいどこからどこまでが演技なのだろうか。


「いったいどこが似ているんですか?」


 あたしはあなたみたいに『持って』ない。

 運も、実力も。


「まだ若いですよって言って欲しかったんだけど?」

「あうあう」

「うふふ、冗談。似てるのは、運も実力も持ってないって思い込んでるところかな」


 ずばり言い当てられ、心臓がどきりとはねる。


「いいこと教えてあげる。はるかちゃんは、少なくとも演技の実力はあるよ」

「そんなこと……」

「謙遜はダメ。私の見る目を疑うことになっちゃうよ」

「はい……ですね」

「それと運も持ってる」

「そんなことありませんよ。なかなか売れませんし……」


 そんなはずない。もしそうなら、今頃私はもっと売れているはずだし、幼馴染達との関係も上手くやれているはずだ。


「はるかちゃんは今日、収録があったでしょ?」

「はい」

「ほら運がいい」

「え?」

「この業界、実力があればやっていけるなんてこと、もう信じてないよね?」

「もちろんです」


 あたしより上手くて可愛い娘が何人も消えていったのを見てきた。

 業界歴の短いあたしですらそう感じるほど、実力以外の原因で消えていく人は多い……いいや、そういった人の方が多い。


「なら、今こうしてお仕事できていること自体が強運なんだよ」

「あ……」


 いつのまにか、この環境を当たり前に思っていた。

 自分がいつ消えるかわからないと怯えつつも、上だけを見ていた。


「だけど、ここからさらに『先』に行くには、もっと信じられないような大きな運が必要なの。私にはたまたまそれがあっただけ」


 『上』ではなく、『先』という表現が白羽さんらしい。


「なんとなくわかります」

「ごめんね。こんなお説教みたいな話をするつもりじゃなかったの」

「いいえ、ためになりました」


 いつの間にかあたしは傲っていたのかもしれない。


「ほんとははるかちゃんと仲良くなりたいなって思っただけなんだよ」

「なんであたしと?」


 もちろん、白羽さんにそう言われて喜ばない人はいない。

 彼女よりも芸歴が浅いのならなおさらだ。


「はるかちゃんの演技が私の好みだからかな」

「ありがとうございます……」


 かけてもらった言葉はもちろん嬉しい。それがお世辞だったとしても。

 人の好き嫌いを演技の質で見るなんて、この人は根っからの役者だ。

 反応にはこまってしまうけれど。


「はるかちゃんって、自分の経験をもとに演じるんじゃなくて、別の誰かを想像してなりきるタイプでしょ」


 言われてみればそうかもしれないが、あまり自覚はない。

 首をかしげるあたしにかまわず、白羽さんは続ける。


「でも今日は違ったんだよね」

「演技、まずかったですか?」


 音響監督さんからは一発でOKをもらったけど、実はやらかしてたのだろうか。


「ちがうちがう。すごくよかったよ」


 笑顔で手をぱたぱたと振る白羽さんに、ほっとあたしは胸をなでおろす。


「はるかちゃんさあ、最近、失恋した?」

「え……? えっと……?」


 急な質問に、しどろもどろになってしまう。

 たしかに今日あたしが演じのは、ぽっと出て来て主人公に振られるだけのサブキャラだった。


「振られたっていうか……告白する前に相手に彼女ができたっていうか……」


 初めて二人で話す相手に最初にする質問がそれ!?

 ちょっと距離感おかしくない!?

 この業界で生き残っていくには必要ってこと?


「あらら~。だから今日は、演技がキャラクターじゃなくて、はるかちゃんだったのね」


 そこまでわかるんだ……。

 すっごい恥ずかしい。

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