第9話 中村航:朝帰りじゃないぞ(2)

「まだ何もないけど。一人には広すぎるおうちだよ」


 たしかに部屋の中はあまり生活感のないものだった。

 ほとんど身一つで引っ越してきたのだろう。

 ただし、リビングに鎮座しているデカイ箱を除いてだ。


「これが防音室かぁ」


 六畳ほどのボックスのそれの中には、マイクやPCなどの機材一式が設置されている。


「このマンション、防音はしっかりしてるみたいだけど、それでも叫ぶと聞こえちゃうから」

「高いんだろ?」

「そうなの。百万円くらいしたよぅ。PCも買ったし、散財だぁ」

「すごいな。自分で稼いだ金で買ったんだろ?」

「リスナーさんのおかげだよ。ありがたいけど、なんだか不思議だよね」


 葵はどこか照れたようにはにかんだ。


「練習用のPCはそっちね」


 十五畳ほどのリビングにあるのは、葵が指さしたソファ、その前のテーブル、そして防音室だけだ。

 とても一人暮らしのJKの部屋とは思えない。

 ソファの前には、二枚のモニターが設置されていて、それぞれが別のPCに繋がっている。

 防音室も含めて、この部屋にPC三台おいてない?

 しかも全部ゲーミングPCだろこれ。


「防音室にあるのともう一台でよかったんじゃ……」

「それじゃあ並んでプレイできないでしょ?」

「ボイスチャットしながらって手も――」

「だめです」

「ええ?」

「だめなんです」

「はい」


 すごい金の使い方だと思うけど、まあいいか……。


「一台は配信の予備になるし、もう一台はプライベート用に使えるからこれでいいの」

「そう言われると必要な気もしてくるな」


 一回の配信ができなくなるだけで、オレからは想像もつかない金額が動くんだろうし、バックアップは必要だろう。


「でしょー? じゃあ朝ご飯食べながらチュートリアルやろう。コーヒーは砂糖二つでいいんだよね?」


 葵がサンドウィッチとコーヒーを持ってきてくれた。

 オレの手提げにも同じものが入っている。

 こっちは昼飯にでもするか。


「さんきゅー」


 オレはかなり形の崩れたサンドウィッチをほおばる。


「美味いな」


 マスタードが利きすぎて舌がビリビリするが、ちゃんと食べられる。


「よかったぁ」


 葵は、にへらと笑顔を浮かべ、自分もサンドウィッチに大きくかぶりついた。


「もぐもぐ……辛ぁ!?」


 目を白黒させながらも、無理矢理飲み込もうとしている。

 味見とかしてなかったやつだこれ。

 葵は口をもぐもぐさせたまま、コントローラーを握ろうとする。


「まてまて。コントローラーが汚れるだろ」


 オレは鞄からウェットティッシュを取り出し、葵の指を拭いてやる。


「ごっくん。ありがと」

「マウスとキーボードじゃなくて、コントローラーでやるんだな」


 PCのFPSゲーマーは、キーマウ派も多いと聞くが。


「配信イベントは来週末だし、慣れてるコントローラーの方がいいかなって」

「たしかにな」


 とりあえず、オレと葵はソファに並んで座り、それぞれチュートリアルをプレイしていく。

 昨今のゲームらしく、基本の操作方法から色々と丁寧に教えてくれる。

 FPS素人のオレが出る幕なくない?


「完全な未経験者なのに、なんで葵が呼ばれたんだろうな」


 こういうのって、それなりに普段からプレイしている人が選ばれるイメージがある。


「上手い人が集まる大会じゃないからって運営さんが言ってたよ。なんかね、初心者さんにも楽しめるアピールがしたいんだって」


 なるほど、新規ユーザー獲得のキャンペーンってとこか。

 この日はチュートリアルを終えたあと、二人だけて軽く対戦をしてみた。


「全然弾が当たらなーい!」

「パッドだと、エイムはある程度補正してくれるから、高さだけ合わせて銃を横に振ってみるといいかも」

「え、えいむ……? こないだやったシューティングゲームのキャラ?」

「それはレイムな。狙い、みたいな意味だよ」

「はへー。ほんとだ、ちょっと自動で狙ってくれる」

「とかやってると、えいっ」

「頭がばんってなった!? ひどい!」

「今のがヘッドショットな」

「どうせなら、頭じゃなくてハートを撃ち抜かれたいよ!」

「……なに言ってんだ?」

「その反応は冷たくないかなぁ!?」


 あなたのところの面白コメントをできるリスナーと一緒にしないでほしい。


「それと、このサブウェポンっていうのと、ボタン操作間違っちゃうんだよね。アイコンの見た目も似てるしさあ」


 このゲームは、メインとサブをボタンで切り替えるタイプだ。


「たしかに混乱する気持ちは少しわかる」

「でしょー? 今持ってる武器がどっちがどっちがわからなくなっちゃうんだよね」

「じゃあ、サブにはダイナマイトでも持ってたらどうだ? 銃と違って見た目が全然違うから間違えないだろ」


 上級者で使う人のいないネタ武器枠らしいが、どうせ二つの武器を使いこなせないなら、封印するくらいがちょうどいい。


「たしかに! これなら赤いから、うっかり武器を切り替えちゃっても、わからなくならないね!」

「サブウェポンを使う余裕ができたら、まともな武器を装備すればいいさ」

「うん!」


 嬉しそうにする葵だが、このあと何度かダイナマイトで自爆していた。

 そんなこんなで楽しくじゃれあっているうち、あっという間に登校の時間になった。


「なんかほとんど遊んでただけって感じだったな」

「そんなことない。助かったよ」

「そうか? ならいいが」

「それより遅刻しちゃう! カギしめるから先に出てー」


 オレは葵に背中をぐいぐい押されながら玄関を出た。


「あ……すみません」


 ドアの前でうっかりマンションの住人とぶつかりそうになってしまい、反射的に謝る。


「航? なんでそこから出てくるの?」


 そこにいたのは制服姿の晴香だった。

 晴香は目を見開いた後、顔をしかめた。


「あ、晴香……」


 別に悪いことをしていたわけではないのだが、言葉につまってしまう。


「ちょっと航、なにして……あ……」


 オレの後に続いて出て来た葵と、晴香の目が合う。


「い、いつの間にそんな関係に……葵の引っ越しってそういうことだったのね!?」


 晴香が顔をこわばらせて後ずさる。


「なに言って……」


 もしかして朝帰りと勘違いされてる?


「晴香、これは違――」

「お幸せに!」


 晴香はオレ達に背を向け、全力で駆けていった。

 はやぁっ!


 その日一日、オレは晴香から避けられ続けた。


「おい晴香」


 休み時間に話しかけにいくも……。


「ごめんね、ちょっと用事が」


 すぐに教室の外へ行ってしまう。

 休み時間のたびにチャレンジするも、結局晴香が収録で早退するまで、話すことはできなかった。

 メッセージアプリもしっかりブロックされている。

 そこまでするか?


「なんだかんだでお前もこっち側だったんだな。よかったよかった」


 そんなオレを見て、佐藤がぽんと方を叩いてきた。

 こっちってどっちだよ。

 ちっともよくないんだが?

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