第5話 中村航:アイドル声優の先生というと語弊がある(1)

【中村航 アイドル声優の先生というと語弊がある】


 いつものように、晴香と並んで夕食の洗い物。

 葵の動画を見ている間、どこか表情の暗かった晴香だが、今は鼻歌を歌いながらオレの渡した皿を拭いている。


「んー、届かない。これしまって」


 晴香が棚の上段に向かって手を伸ばすと、エプロンの下からボリュームのある胸が主張してくる。


「手が濡れてるから、そっちおいといてくれ」


 学校一の美少女による制服エプロンも、それほど狭くはないキッチンで触れあう肩も、すっかり日常の一コマである。

 その日常にいたはずの晴香と葵がなんだかよそよそしくなったのはいつからだろうか。


 葵がデビューして夕食に来られなくなった半年前……ではない気がする。


 それからしばらくして、二人はあまり話さなくなった。

 以前はたわいない話で賑わっていた、メッセージアプリの三人グループも、最後の書き込みは三ヶ月前だ。

 オレはちらりと、すぐ隣に立つ晴香の顔を見る。


「どしたん?」


 目のあった晴香が、ぴょこんと首をかしげた。

 キッチンに立つ前に結わえたポニテが揺れる。


 葵と何かあったのか、以前聞いてみたことがある。

 その時ははぐらかされてしまった。

 葵に聞いてみても同じだった。

 もう一度同じ質問をしても結果は変わらないだろう。


「もしかして、あたしのかわいさに気付いちゃった?」

「いや、晴香が可愛くないって言うのは無理があるだろ。そんなこと言うのは一部のネットの連中だけだ」

「んあっ……。航ってば、ときどき恥ずかしいこと言うよね」

「んぐっ……。みんなそう言うってだけで、オレの感想じゃないからな」

「ふーん?」

「なんだよう」

「べっつにぃー?」


 にやにやするんじゃない。恥ずかしいだろ。


「一緒に勉強するんだろ」

「あれえ? ごまかしたぁ?」

「教えてやらんぞ」

「ごめんごめん。よろしくね、先生」


 エプロンを外し、ポニテを解いた晴香が食卓テーブルへと戻っていった。

 オレはホットミルクを二人分用意し、晴香の隣に座る。


「今日くらい勉強は休んでもいいんじゃないか? 疲れてるだろ?」

「だめだよ。いつお仕事が入るかわからないから、貯金作っとかないと」

「がんばりやだなあ」

「えへへ、特進クラスに行きたいからね。あ……」


 そう言ってから晴香は、しまったという風に口を手で覆った。


「そうなのか、始めて聞いたぞ」

「ほ、ほら。いつまで声優の仕事を続けられるかなんてわからないじゃない? だから、勉強もがんばっておかなきゃなって。それに、成績を落とさないって条件で、親に声優の仕事を許してもらってるし」

「そういうことなら協力するよ」


 うちの幼馴染は本当にすごい。

 オレなんて勉強だけで精一杯なのに、晴香は仕事と勉強の両立をし、葵にいたってはそこらのサラリーマンよりよっぽど稼いでいる。

 二人と並べる人間であるためには、オレももっとがんばらなきゃな。


 そんな大事な幼馴染だけに、また前のように仲良くしてほしい。

 おせっかいと言われるかもしれない。


 でもオレにできることがあるならなんとかしたい。

 当人達以外で何かできる人がいるなら、きっとそれはオレなのだ。

 いや、そうでありたい。



◇ ◆ ◇


 週末、晴香は勉強をしにうちにやってくる。


 午前中は事務所でダンスと歌のレッスン、午後は仕事がなければ勉強というのが晴香の土曜日だ。

 太もも丸出しのラフな部屋着姿の彼女からは、石鹸の良い匂いがする。

 レッスンの汗を流したばかりだからだろう。


「よし正解だ。先週できなかった問題、ちゃんと解けるようになってるな」

「えへへ、先生がいいからだよ。はい、ご褒美」


 晴香がポッキーをオレの口につっこんできた。

「ご褒美をもらうのは晴香の方では?」

「そう思う? なら、はい」


 口を開けた晴香がじっとオレの目を見つめてくる。

 仕方なくその口元にポッキーを差し出す。

 小動物のようにカリカリとポッキーをかじるこの様子、ファンからしたら垂涎ものの可愛さだろう。


「あたしのは食べてくれないのかな?」


 わざと頬をふくらませて見せる晴香には抗えず、オレもポッキーをかじる。


「んん? 照れたでしょー。はい、あたしの勝ちー!」

「いつから勝負になったんだよ」


 小さい頃から一緒にいたといっても、こっちだって年頃の男子なのだ。

 そりゃあ照れもするだろ。勘弁してくれ。


「そういえばさあ、お隣に誰か引っ越してくるんだね。引っ越し業者さんがばたばたしてたよ」


 晴香がシャーペンで壁の方を指した。


「そっちは晴香の家では?」

「あ、こっちか」


 えへへ、と反対側を指しなおす。


「先月から空き部屋だったからな」


 駅からも近く綺麗なこのマンションは、意外と庶民にも届く価格の物件として人気がありそうだ。

 すぐに入居者が決まってもおかしくないだろう。


「ご近所トラブルにならない人だったらいいね」

「怖いこと言うなよ」


 こういう時だけは、一人暮らしが少し心細くなる。



 そうしてじゃれ合いながら勉強していたら、いつの間にか夕食の時間になっていた。


「そろそろご飯を作るよ」

「あたしも手伝う」


 立ち上がる晴香を手で制する。


「今日の復習でもしといてくれ。仕事をしてる晴香はただでさえ他の人より時間がないんだからな」

「いつもごめんね」

「そこは『ありがとう』だろ? これでも、声優日向はるかのファン一号なんだからな。これくらいさせてくれ」

「古参アピールっすか」

「よしわかった。食べながら問題だすから、しっかり復習しておくように」

「あーん、ごめんてー。せっかくの料理の味がわからなくなっちゃうよう」


 今日のメニューは鶏胸肉の照り焼きだ。

 ダイエットのことを気にしているようだったし、高タンパク低脂肪なメニューである。

 午前中に漬け置きをしておいたので、あとは焼くだけの簡単調理だ。

 これなら晴香を待たせずにすむ。




「わぁおいしそう!」


 勉強道具をかたづけた晴香が、料理の乗ったお皿を運んでいく。

 その時、インターホンのチャイムが鳴った。


 モニターに映っているのは……葵?

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