第7話 紅葉

~枇杷亭 寝室~

「芙蓉は紅葉は好きか?」

龍希は右手で芙蓉の髪をなでながら尋ねた。

芙蓉の月のものが終わり1週間ぶりの逢瀬だった。龍希は機嫌がいい。


「紅葉ですか?」


龍希の腕枕でうとうとしていた芙蓉は首を傾げる。

「人族も紅葉狩りをするのだろう?」

龍希の言葉に芙蓉は悲しそうに目を伏せる。

「私は・・・ないです。留守番でしたから。」

「ん?どういうことだ?」

「昔、両親が兄と一緒に紅葉狩りに行きましたが、店を休むことはできないので私が留守番でした。」


「兄とは母が違うのか?」

継母なら子の扱いが異なっても不思議ではない。

龍希だってそうだ。継母に嫌われている。


「いいえ、同じ母です。兄は長男ですから大切なのです。」

「・・・」

龍希は返事に困った。


芙蓉は自分のことを語りたがらないが、実家でろくな扱いを受けていなかったようだ。

もう龍希のところに来て一月以上経つのに、服も宝飾品も嗜好品も何一つおねだりしてくれない。

芙蓉を喜ばせるためなら龍希はなんだって用意するのに。

堪りかねて龍希の方から欲しいものはないかと尋ねたが、芙蓉は何も思い浮かばないと言うから困った。

部屋だって、リュウカの部屋があるのに、芙蓉は狭いあの部屋を気に入っているらしい。使用人と同じ部屋はあんまりだと龍希は思うが、芙蓉が今の部屋でも広すぎると言うので、仕方なくだ。 

人族を喜ばせる術が分からない。

旅行なら喜んでくれるかな?



「今度の休みに紅葉を見に行くから、芙蓉もおいで。」

若様はそう言って微笑みかける。

「え?いえ、私は何のお役にもたてませんよ。それにタタさんが外に出てはだめだと。」

芙蓉は慌てた。

獣人といるところを人に見られたら大変だ。

「俺が一緒だから心配ない。一人で行ってもつまらないからな。」

優しい口調だが、逆らうわけにはいかない。

「はい。」

芙蓉はそう返事するしかなかった。



~枇杷亭 執務室~

翌朝、龍希は執事を呼んだ。

「紅葉狩りですか?」

疾風は驚いて主を見る。

「ああ、取引先がいないところを探してくれ。」


どういう風の吹き回しだろうか?

疾風は信じられなかった。

仕事と酒以外での外出など大奥様が亡くなられてから初めてではないだろうか?

大奥様はご生前、幼い若様を連れて色々なところに出かけていたが、亡くなられてからは外出をめんどくさがり、引き籠りの若様などと陰口をたたかれる始末だった。


「紅葉が見られる個室のある店ですか?」


若様のことだ。紅葉より酒が目的に違いない。


「店じゃない。芙蓉に紅葉を見せてやろうと思ってな。」

「は?芙蓉をお連れになるのですか?」

疾風は驚いた。


なんで使用人を?

それも芙蓉だけ?


「ああ、お前だって昔、母上に連れて行ってもらっただろう?」

若様は笑う。


そうだった。

疾風は思い出した。

まだ疾風が執事見習いだった頃、

「一流の執事になるために何事も経験なさい。」

大奥様はそう言って外出や旅行に疾風を同行させてくれた。


「かしこまりました。遠いですが、香流渓はいかがですか?」

「こうりゅうけい?どこだ?」

「ここから西南、朱鳳しゅほう領の近くです。紅葉は山が人気ですが、香流渓は川の下流にあるのです。水面にうつる紅葉も美しいと大奥様は気にいっておられました。」

「ふーん、なら間違いないな。しかし朱鳳の近くか・・・遠いな。」

「日の出前に出発すれば日帰りも可能かと。一角獣は清流を好みますので頑張ってくれるでしょう。」

「じゃあそこにする。」

「畏まりました。」

疾風は早速準備に取り掛かった。



~枇杷亭 応接間~

「ご無沙汰しております。芙蓉殿」

タタに呼ばれて芙蓉が小さいほうの応接間に行くとあのヤマアラシの仕立て屋が待っていた。

「紅葉狩りのお着物をご所望とのことで」

そう言って雌のヤマアラシは色鮮やかな着物を並べていく。

芙蓉は驚いてタタを見る。


「枇杷亭のものとして恥ずかしくない格好をしなければね。」


タタの目は真剣だ。

3時間近く着せ替え人形にされ、芙蓉はクタクタになったがタタは満足げだ。

「一月前より肉付きがよくなったわね。安心したわ。」

タタはにこりと笑って芙蓉を見る。

芙蓉は苦笑いした。

毎日三食、十分な食事がとれるなんて人間の町にいたときには夢にも思わなかった。

浮き出ていたあばらはもう見えず、芙蓉の胸は一回り大きくなっていた。

背中まで伸びた髪にも艶が出てきた。



~枇杷亭 庭~

ヤマアラシ達が来た2日後の早朝、芙蓉は若様と一緒に庭に出てきていた。

初めて枇杷亭に連れてこられた時と同じ一角獣の馬車に乗り込む。

「芙蓉は着物の方がいいな。」

馬車の中で若様は微笑む。

「ありがとうございます。」

芙蓉は苦笑いした。


孫にも衣装としか思えない。

芙蓉は紅白の花が刺繡された薄ピンクの着物を着て、黒髪を結い上げ深紅の花飾りをつけていた。


「若様の方がよくお似合いですよ。」

これはお世辞じゃない。

青紫の着物がよく似合っている。長髪は首の後ろで一つに結われ、金色の髪紐が濃い紫の髪を惹きたてている。

若様が人だったら、芙蓉は見とれていたに違いない。


「タタに任せておけば間違いないからな。」

若様はそう言うと芙蓉の肩に手をまわして抱き寄せる。

「寝てていいぞ。到着は昼前になるから。」

「はい。」

芙蓉は頭を若様の胸に預けて目を閉じた。

眠い。

昨晩は若様の相手をした後、風呂に入り自分の部屋に戻るとすぐにタタが着付けにやってきたのだ。

一睡もしていなかった芙蓉はすぐに寝入ってしまった。



~???~

「芙蓉、着いたぞ。」

若様の声で芙蓉は目を覚ました。


「お気を付けて。」


疾風は馬車の番をするようだ。

芙蓉は若様の数歩後ろをついていこうとしたが、肩を抱かれて並んで歩くことになった。



「わあ!」

芙蓉の眠気は吹き飛んだ。

色鮮やかな紅葉の森の中を歩く。地面は落ち葉に覆われており、深紅の絨毯の上にいるようだ。


『一面の紅葉がこんなに美しいなんて。』


芙蓉は感動して思わず涙が出そうになっていると、ふいに若様が芙蓉の腰に手をまわした。

前方から声が聞こえてきて、芙蓉の身体がこわばった。

前方の開けた場所には観光客・・・獣人が30匹以上いる。

みな体長2~3メートル近くある。


芙蓉は途端に不安になった。

芙蓉たちは人間のカップルに見えるのではないだろうか?

若様が何の獣人なのかいまだに分からない。

だけど、若様の身長は180センチほどで獣耳やしっぽなどの獣人の身体的特徴はないのだ。


なのに、芙蓉の心配をよそに若様はずんずんと獣人の群れに近づいていく。

スーツを着た狼の獣人が気づいて芙蓉たちの方を振り返った。

次の瞬間、狼はびくりとして後ずさりし、道をあけた。

他の獣人たちも驚いた顔をして道を譲る。

それどころか跪く獣人までいる。

芙蓉は訳が分からない。

困惑して若様の顔を見るが、若様は平然としている。



「お!見えたぞ。」

若様の声で芙蓉は我に返り、その目線の先を見る。

芙蓉は息をのんだ。

いつの間にか森を抜けて、大きな湖のそばに来ていた。

水面に色とりどりの紅葉がうつり、水の中にも紅葉の森があるかのようだ。


「きれい。」


芙蓉は感嘆の声を漏らす。

「気に入ったか?」

若様が微笑む。

「はい。」

芙蓉は涙をこらえて答えた。



湖のほとりを10分ほど歩くと茶色の屋根の茶屋があった。

「あそこで食事にするか。」

若様の言葉に芙蓉はうなずく。 もう太陽は真上にいる。


店内は込んでいたが、幸運にも2人掛けの席に座ることができた。

店員は黒のメイド服を着た淡水魚と蛙の獣人だった。

なお、客は芙蓉以外みな獣人であることは言うまでもない。

この店の売りは森で取れる昆虫のようだがメニューの写真を見て芙蓉は気持ちが悪くなった。

地方によっては虫を食べる人間もいるらしいが、芙蓉の故郷では食べない。食べたいとも思わない。


「決まったか?」

メニューから目を背ける芙蓉に若様が頬杖をついたまま声をかける。

「は、はい。これにします。」

芙蓉は川魚の甘露煮がのったうどんを指さす。

若様は手を挙げて店員と呼ぶと

「これ2つ」

と注文した。

「同じものでよろしかったのですか?」

芙蓉は驚いて尋ねた。普段の若様の食事と比べるとあまりに質素だ。


「うん、選ぶのが面倒くさい。」


若様はあくびをしながら答える。

そういえば、若様は好き嫌いがなくてつまらないと延が愚痴っていたのを思い出した。

「お待たせしました。」

蛙のメイドがうどんの入った器を2つ持ってきた。

どんと乱暴に器を置き、去っていく。

先ほど注文を取りに来た魚の獣人より随分態度が悪いなと思いながら芙蓉は箸を持った。

うどんのつゆは魚のだしがきいていて美味しかった。芙蓉はつゆまで飲み干して完食した。


「デザートも頼むか?虫が入っていないのもあるぞ。」

若様が笑いながらメニューを芙蓉に渡す。

『そういえば若様も枇杷亭の皆も無理に食べろとは言わない。むしろ食べられないものを避けてくれる。』

芙蓉はそう思いながら、嫌いな食べ物を無理やり口に詰めてきた兄や遊女たちを思い出した。


『いけない。若様の前では笑顔でいないと』


芙蓉は気を取り直してデザートメニューを見た。

「これはいかがですか?」

芙蓉はそう言ってサツマイモのきんつばとお茶が写った写真を指差したのだが、

「うん、それ2つ」

若様はメニューを見ることなく店員を呼んだ。



「なんで人族なんかがいるのよ!?」

蛙のメイドは舌打ちした。

病み上がりで体調が悪い。特に嗅覚は鈍くなったままだ。

蛙はイライラしていた。


「はーい。すごい顔よ。メイドさん。」


客が笑いながら話しかけてきた。

「あら、奥様。いらっしゃいませ。」

蛙は笑顔でトンビの獣人にお辞儀する。

「残念。満席みたいね。」

トンビの奥方はため息をついた。

「お待ちください。すぐに席が空きます。」

蛙はニヤリと笑うとデザートを運んだばかりのテーブルに向かった。


「さっさと席をあけて」


蛙の獣人は2人組の客に凄む。

「え?」

雌の方が驚いて蛙を見上げる。

「殺すよ。」

蛙は雌の人族を睨みつけた。


ガタン


蛙は立ち上がった男と目があった。

蛙の全身が粟だつ。


なんで?


疑問に思う間もなく、蛙は絶命した。


龍希が立ち上がり、蛙の獣人をつかんで床に叩きつけたのだ。

凄まじい音がして床に大きな亀裂が入る。

「行くぞ。芙蓉。」

龍希はカエルの死体を跨いで出口に向かう。


「あの・・・腰が抜けて。」


芙蓉の声は震えている。

龍希は立ち止まって振り返ると芙蓉の背中とひざ下に腕を回して抱き上げた。

「怖い思いをさせてすまなかったな。」

そう言って、芙蓉を抱えたまま店を出た。



「なんの音だ。」

店の奥から鯰の獣人が走ってきた。この店の店主だ。

店主はひび割れた床とカエルの死体を見て驚いた。

「どいつがやった?」

激怒して叫ぶが、客も従業員も誰も答えない。

真っ青な顔をして誰も動かない。

「おい!」

そばにいた魚のメイドを怒鳴ったが、メイドは店主の方を見もしない。

立ったまま気絶していた。


「運がよかったな。」


店の奥の個室から赤い鳥が顔を出した。

「旦那様!何があったのでしょうか?」

店主は膝をついて賓客に尋ねる。

「馬鹿な蛙がけんかを売ったんだ・・・シリュウにね。」

「はあ?」

店主はぽかんとしたのだが、

「それも妻を連れた若い雄だ。下手すりゃ店ごと消されていたよ。」

賓客はそう言って肩をすくめる。

店主は信じられず、ほかの客を見た。


「ひい!」

真っ青な顔をした客が立ち上がって店を飛び出した。他の獣人も続く。

我に返った従業員たちも皿を投げ捨て逃げて行った。


『なんてことをしてくれたんだ・・・』


店主は恐怖で腰を抜かした。

「シリュウは戻ってこないだろうが、もうこの店はダメだね。達者でな。」

賓客は店主にそう告げると歩いて店を出て行った。

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