1-(3)沙枝

「部会を再開します」

 部長のアナウンスが聞こえた。高仲が黒板の方へ身体を向けたので、ひそかに安堵の息をついた。握られた手に、相手の力の感触が残っていた。

 部長に代わり、「流星観測人」こと西尾さんが教壇に立つ。

「総務の西尾光太郎です!」

 わっと耳に響く声に、ざわめいていた教室は瞬時に静まった。部長に比べ、五割増しの音量だ。

「ここからはぼくの方で説明します。それでは、スライド、お願いします」

 照明が落とされ、スクリーンに最初の画像が投影される。見覚えのある光の配列に、はっとした。

 ――オリオン座だ。――

 夜空ではなく、プラネタリウム内部の写真だった。星座の形が弓なりに伸びているので、球面に投影されていることがわかる。

「これは、テスト上映中の様子です。冬の星座が見えますね。星像は複数の投影機を使って表現しますが、オリオンのベデルギウスなど、特に明るい星は一等星投影機、一般の星々は恒星投影機を使います。次のスライド」

 画像が切り替わる。再びプラネタリウム上映中の写真だが、今度は天の川らしき白っぽい光が画面を横切っている。星の配列に見覚えのあるところはない。

「これはどこの星空か、わかる人はいますか」

「南半球の星空」

 声が上がった。

「そうですね。この天の川は銀河投影機で表現していますが」

 西尾さんは指示棒で画面の中を指した。

「ここと、ここに、島のような光がありますね。これらは大小のマゼラン星雲、つまり南天にしかない天体です。プラネタリウムの魅力はさまざまありますが、その最大のものは、世界中どこの星空でも、また過去、現在、未来のいつの星空でも、原理上は再現できるということです。では次」

 三枚目の写真には、一種異様な工作物が写っていた。二つの黒い筒を金属の骨組でつないだものが主体だが、大小の部品か機械らしきものがあちこちに接続され、配線コードが縦横に走っている。その全体はA字型の架台に載っている。

「これが、ぼくらのプラネタリウムの本体です。先ほど触れた投影機のほか、惑星投影機、日周・緯度変換装置などを集めてありますが、ここに接続されていない補助投影機もたくさんあります。たとえば、ドームの中の時間を表す青空や夕焼け・朝焼け、方角を表すサインなどの投影機です。ほかにも、オーロラや流星、さらには自然界にはない演出を加える投影機もあります。プラネタリウムは、こうした多種多様な投影機の集合体なんです。次のスライド」

 スクリーンに、「プラネタリウムの構成」という題目が映し出された。その下に「ドーム」「主投影機」「補助投影機」「投影番組」と項目があり、主投影機と補助投影機の下にも多くの小項目がある。ざっと見たところ、「~投影機」と名の付くものだけで二十種類ほどはあるようだ。

「一年生の皆さんには、補助投影機を主に作ってもらいますが、ほかにもドームの建設、投影番組制作への参加など、やる気次第でいろんな仕事があります。ぜひ一緒に、本物の星空の再現、そしてそれにとどまらない演出を目指して、プラネタリウムを成功させましょう。以上です」

 教室が明るくなる。再び部長が教壇に立って言った。

「一年生の担当は、夏合宿で決定します。それまでに希望の担当を考えておいてください」

 部会の解散がアナウンスされた。周囲が立ち上がって動き始める中、西尾さんが佐久間とぼくのところに来た。にこにことぼくに訊く。

「どうでした。うちの部に興味、持ってもらえました?」

「そうですね、ちょっとまだ、考えてますけど……」

「獅子群を見るのは難しいかもしれませんけど、もっと安定して出現するぐんの観測会を毎年やってますから、良かったら参加、待ってますよ」

 西尾さんが引き上げると、代わって高仲が話しかけてきた。

「何、獅子座流星群を見たいの。君、流星屋?」

 うわ、聞いていたのかと思いながら答える。

「いや、本で読んだことがあるだけ」

「どんな本?」

「『獅子座の流星群』っていう本。外国文学」

「文学か。ロマンチストなんだ」

 頬が熱くなる。

「そんなんじゃ――」

わたる

 声がして、目の前の机に女性の手が置かれた。紺のブレザーの袖。見上げると、彼女が微笑んだ。あの鳶色の瞳がこちらに向けられている。

「この間はありがとう。天文部の人だったの?」

 とっさに答えられないでいると、高仲が言った。

「見学に来たんだって。沙枝さえはもう会ってたの」

「先週ね。でも名前は聞いてない」

「須崎海広だよ」

 ぼくは言った。

「わたしは時岡沙枝。入部、迷ってるの?」

「――えっと、……」

 彼女の大きな目に誘い込まれ、その瞬間、意志が固まった。

「今、入るって決めたところ」

 テンポのずれたぼくの反応に、時岡沙枝は吹き出しそうな顔になり、それからつんと背を伸ばして言った。

「じゃあ、須崎くん。これからよろしくね」

 よろしくと返しながら、彼女の目の光に見とれた。その強さとは不釣り合いな、良い家のお嬢様といった風情。こんな子、地元では見たことない、と内心でつぶやいた。

 佐久間が背中を叩いてきた。見ると、どちらかといえば表情の薄い彼の顔に、喜びがこぼれている。

「良かった」

 彼は言った。ぼくは照れ笑いで返した。

 時岡沙枝が他の女性たちのそばへ戻っていった後、佐久間が高仲に訊いた。

「高仲は、時岡さんを前から知っているんだっけ?」

「そ。十二年来の、腐れ縁……」

 高仲は彼女の背を涼しい目で追って答えた。

 佐久間と夕食に行こうという相談になり、二人で教室を出た。ぼくは彼に言った。

「高仲と時岡さん、目立つね」

「うん。東京って感じだよね。新潟にはあんな同世代、いないな。あか抜けてるよ」

 ――高仲渉……。あいつ、彼女と特別な仲なのかな。俺じゃ勝負にならない。――

 いったん舞い上がった気持ちが沈み始める。落ち込みを振り払おうと、話を変えた。

「獅子座流星群、西尾さんが十一年後って言ってたけど、そうなの」

「うん。でも、確実じゃないよ。これまでの記録から期待されているだけで、未来の出現数は誰も予想できないんだから」

 ――過去、現在、未来のいつの星空でも、原理上は再現できる。――

 西尾さんはさっき、そう言っていた。

「プラネタリウムで見たら、どんな感じなのかな」

「ああ、それは見てみたいね。十九世紀の大出現とか再現したら、圧巻だろうな。昔のアメリカの版画、知ってる?」

「知らない。どんなの?」

「空が流れ星で埋め尽くされてるんだよ。あれ、誇張なのか本当なのか、確かめる時が来ないかなって思ってるんだ」

 十一年後――一九九九年。

 その時、自分は三十歳か、と考えた。

 それまで待つとしたら、ずいぶん気の長い話だ。 

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