第十二話 秋風ステッフェルン

 帝国の兵士たちが、勝利の雄叫びをあげています。手に持った剣を天に突き上げ吼える者、戦友たちと勝利を喜び合う者、疲れ果てて腰を下ろす者まで様々です。


 ラルべ川の向こうで激戦を繰り広げていたアルレーンの兵が、再び舟橋を渡ってこちら側に戻ってくるのが見えました。皆満面の笑みを浮かべ、胸を張ってもといた陣地まで行進しています。どの兵士もその鎧は土や血にまみれていました。


 その中で赤い紐を兜につけた近衛兵の姿がありました。負傷した兵士を二人がかりで背負いながら、喜びに湧く周囲から遠ざかるように橋を慎重に超えてきました。背負われている兵士は意識を失っているのかぐったりと体を預けたままです。その兵の腰には、見覚えのある奇妙な長剣が吊るされていました。


 考えるよりも早く、わたしの足が動いていました。これまでの戦いでもずっと前線に立ってきて、大した怪我を負わずにいた方が異常だったのです。慌てて駆け寄って来たわたしを見て、近衛兵も事情を察してくれたようでした。


「すぐ、手当を。少しですが、わたしは治癒魔法が使えます」

「お願いします、かなりの重症です」

「安静にできる場所まで、運んでもらえませんか? ちょうど、あの高台であれば用意もあります」

「はっ、直ちに」


 右腰のあたり、ちょうど鎧で覆われていない部分に剣で突かれたような大きな傷があります。わたしは急いで防具を外し、血を拭って治癒魔法を唱え始めました。


 魔法の効果があらわれたのか、出血が止まり、傷が少しずつ塞がっていきます。青黒かった腹部の血色が戻ってきました。


 疲労した体で魔法の使使ってしまったため、立ちくらみのように一瞬視界が暗くなります。危うく倒れそうになるところを必死に堪えてわたしは治療を続けていました。


「キーレ=サツマ隊長は勇敢でした」


 近衛兵が思い出したかのように報告を始めます。


「銃部隊の前線で絶えず敵の攻撃に晒されながら、一歩も退かずに兵士を鼓舞しておりました」


 彼ならきっと、そうするでしょう。いつだって先陣を切って危険な場所に行きたがるのはよく知っています。


「騎兵部隊の救援に行くところで銃撃を受け、落馬して敵の攻撃を受けたようです」


 あれだけの激戦であれば、傷のない兵士はいないはずです。今でもラルべ川の向こう岸では、多数のアルレーンの兵士たちの死体が残されているはずでした。敵軍の死傷者の方がずっと多いはずですが、こちらもだいぶ無茶な戦いをしたのも事実です。その負担は、銃部隊の先鋒に重くのしかかっていました。


 キーレの顔色が少し良くなったように見えます。相変わらず目を覚ましてはくれませんが、微かに息をしているようです。近衛兵もそれを見て、わたしとともにほっと胸を撫で下ろしました。


 安心したと同時に、わたしの目の前が真っ暗になりました。次いで目眩と吐き気が襲ってきます。完全なマナ切れの症状でした。


「医療部隊の者です。治癒魔法が必要だと聞いてきました」


 真っ暗な視界の中、駆けつけてきてくれた医療兵の声だけが聞こえます。


「よかった、その場しのぎですが、処置をしてあります。あとは、お願いしま--」

「ちょっと、マリアンヌ!? 倒れちゃダメよ!」


 どこかで聞いたような医療兵の声を前に、わたしの意識はゆっくりと落ちていきました。


 ◇


 ガタガタと地面が不規則に揺れています。馬蹄の音とともに、兵士たちの話し声が聞こえてきました。


「これで戦いも終わりかね、ようやく家に帰れるなあ」

「リガリアの奴らに怯えることもなくなるし、今年はいい年越しを迎えられそうだな」


 目を開けると、白い天幕が目に入りました。どうやら馬車の中で横になっていたようです。確かキーレの治療中に、意識を失ったような--。


「そうです、キーレ、彼を治療しないと」

「あ、目が覚めたんだね、よかった。マナ切れ起こすなんて、もう」

「クリス……? どうして?」


 どうしたことか、馬車の中にはクリスの姿がありました。


「言ったじゃない、医療部隊にいるって。銃部隊の隊長が重症だからって呼ばれてみれば、少年が倒れてるし、マリアンヌは気を失っちゃうしでさー」

「そう、だったのですね。ありがとう、助かりました」

「それよりもこっちはまだ安心できないかなー、怪我そのものの治療は終わってるんだけど、血を流しすぎたみたい」


 そういう彼女の隣には、キーレが包帯巻きの体で横になっています。息はしていますがまだ目を覚ましていないようで、時折痛みのせいでしょうか、呼吸が荒くなります。


 あれから意識を失ってしまった後、わたしはキーレと一緒に負傷者を運ぶ馬車へと乗せられたようでした。今は最寄りの村を目指して、街道を進んでいるとのことです。


 そういえば魔法部隊の皆への指示も放ったらかしにしてしまった気がします。キーレの治療に夢中ですっかり忘れていましたが、ローターさんがなんとかしてくれたのでしょうか。


 そんなことを考えているうちに、馬が足を止めたようでした。目的地の村へ着いたのか、兵たちが馬車の近くへ駆け寄ってくる足音がします。


 馬車の後方からこちらに入った兵が、二人がかりでキーレを運んで行きました。わたしも慌ててその後を追おうとしますが、うまく体に力が入りません。数刻前に激しい戦いを終えたばかりだということを、すっかり忘れてしまっていました。


「一応言っておくけど、あなたも負傷兵扱いだからねー。無理はダメよ」


 そう言うクリスは先に馬車を降りると、わたしに肩を貸してくれました。ありがたくその肩を借り、重たい体を必死に動かして先導する兵士を追います。


 どうやら村が一棟建物を用意してくれたようで、負傷した隊長級の兵士はそこで安静にさせるとのことでした。用意と言っても実際は接収に近いのでしょうが、この際細かいことは言っていられません。


 その宿舎で軽く体を拭いて服を着替えた後、わたしはキーレの横たわる部屋へと案内されました。


 思い返せば一年前も、こうして彼が寝台で目を覚ますのを皆で待っていました。あの時わたしはまだ学生で、キーレは言葉も全くわからない状態で--。


 それから続くことになる戦場での日々に、こんなはずでは、という思いもあります。ですがそれよりも、こうやって無事に生き延びられたことが、今は何よりでした。


 あとは彼が目を覚ましてくれれば--。


 ◇


 いつものようにキーレの部屋で彼が目覚めるのを待っていたときのこと。ただじっとしているのも退屈なので、わたしは村の人に貸していただいた針と毛糸で編み物をしていました。こう、落ち着いてかぎ針を操れるのも随分と久しぶりのことです。心地よい朝日を受けて、針をもつ手が時折止まります。まぶたがだんだんと重くなってくるのがわかりました。


 うたた寝のさなか、彼の横たわる寝台から微かに衣擦れの音が聞こえた気がしました。それから、ガサゴソと鈍い体を動かすような音が--。


「……!」

「よかった、目を覚ましたのですね。本当に、もう起きてこないのではないかと、心配したのですよ……」


 キーレがその目を開けていました。もう、数日も眠ったままだったでしょうか。本当に心配ばかりかけてくれます。


「おいは、生きておったか」

「ええ、ええ……」


 どうもここ最近、涙腺が緩くなってしまっていけません。それもこれも、彼が無茶ばかりするからなのですが。


 涙で濡れた頬を拭うわたしをよそに、キーレは何ごとか呟きながら天井を見上げていました。まだ体に力が入らないのか、起きあがろうとするのは諦めたようです。


ユッサば、勝ったかの」


 頷いたわたしを見て、安心したのか一つ大きく息を吐きます。少し目を閉じて考えたあと、ゆっくりと言葉を紡ぎました。


「おんしが戦う理由ヂュッも、のうなりもしたな」


 もともと、エンミュールを守るためにわたしは戦いに身を投じていたのでした。今回の勝利でリガリア軍が撤退したということは、当分は争いの種がなくなったということです。少なくとも当分は、この気忙しい戦場に身を置くことはなさそうでした。


「キーレは、これからどうするのです」

「そいは、傭兵団によるの」

「先ほどヨーゼフから聞いたのですが、キーレのいる傭兵団は士官の話を受けるそうですよ」


 ほう、とキーレが驚いた顔を見せました。わたしがその話を聞いたのは、つい先日のこと。見舞いに来たヨーゼフが嬉しそうに話していたのを思い出します。


 なんでも、先の決戦で大きな戦争が無くなってしまったそうで、傭兵団をやっていくのも難しいと判断したようです。戦争がなくなれば困る人もいる、そういう世情でした。


 テロルランドの家族を迎えに行くとのことで、多くの団員さんたちは去って行ってしまいました。そのためエンミュールには少数の団員しか残っていませんが、じきヨーゼフのもとで領地防衛の兵士として組織されるでしょう。


「傭兵団の方々も、皆心配していましたよ」


 特にあの少女は、泣き出さんばかりの勢いでキーレの見舞いに来ていました。この村になんとしても残ろうとするのを、きっと回復するから、となだめすかして団長さんが無理やり連れて帰ったのを覚えています。


 キーレはそうか、と言ったっきり黙ったままです。相変わらず何を考えているのか、よくわからない表情をしています。


イメをば、見ておった」


 しばらくの静寂の後、キーレがゆっくりと語り始めました。


「目覚めたら薩摩の、我が家ワガエでの。イメで魔法ばある国でユッサしとった、と話したもんぞ」


 懐かしんでいるような、寂しがっているような、そんな声色です。


「どいがイメで、どいがうつつか、と考えカンガユとったがの。こっが、うつつじゃな」


 故郷のため、という大義名分があるわたしと違って、キーレは言わば成り行きで戦ってきたはずでした。その成り行きの戦いの中で、絶えず危険な場所に身を晒してきたのです。


 語り終えた後のキーレは、どこか満足そうな表情をしていました。


 ◇


 後日。少し歩けるようになったキーレと、村を回ることにしました。キーレはまだ満足に体を動かせないのか、右手には杖をついて器用に歩いています。


 わたしたちが宿にしている建物の外からは、あのステッフェルン平原が遠く見渡せました。


「キーレは、なぜ戦っているのですか?」


 ふと、ずっと疑問に思っていた言葉が口から出ます。


「他に、できるこっがなか。何もせんで、野垂れ死ぬよりはようごわす」


 当たり前のこと、とばかりに言うキーレに、わたしは一つ提案をしてみることにしました。


「傭兵団の方も来ることですし、キーレもエンミュールに住んでしまっては? 兵士の訓練などしてあげれば、ヨーゼフも喜びますよ」


 戦い以外に存在意義を感じられていないキーレに、何か居場所を作ってあげたいのです。ここで生きることを、気に入ってもらえるように。


 キーレは一言そうじゃの、と呟くと、目線をはるか先の平原へと移しました。先日までの戦いが嘘のように、ただ秋の風だけがステッフェルンの地を通り過ぎていきます。


「また、寒くなってきましたね」

「む。こっ冬は寒くてかなわんの」

「ふふ。……今年は、マフラーを編んであげますよ」


 しばらくの間、少し嬉しそうな顔をしたキーレと一緒に、わたしは冷たい秋風に吹かれていました。

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