第2話 トラ猫、天から舞い戻る

私は虎模様の野良猫を思い出していた。これをもとに小説を書けないかと、悩んでいると声がした。

三十三年前、三キロも離れたところから戻ってきた野良猫が、天から舞い降りて言った。

「俺だよ。虎模様の猫だ」

私は一驚を喫した。


姿は見えないけど、日本語をしゃべれるのだ。天国に行けば何でも出来るようになるのかもしれない。

「おう、おう、久しぶりだな。どうしてここに?」

私が本を書くのに困っているようなので、天国から助けに来たらしい。

「恩返しをしたくて」

「ありがたいな」


野良猫が話し出した。そして奇跡の全貌を明らかにした。

私はその話を参考にして、本を書きだした。時は三十三年前ではなく、現在に設定した。第二部は奇跡の少女も登場し、現代ミステリーに仕上げた。


捨てられた翌日。ノラは近くの戸口で、ニャーニャーと鳴いてみた。ところが、誰も餌をくれない。

そこに、年老いたよれよれの飼い猫が声をかけてきた。

「若いの。いくら鳴いても無駄だ」

この辺の人間は野良猫に餌をやらないようだ。老猫の家に行き、助けてやれば、逆境から抜け出すヒントを与えてくれるというのだ。


ノラはあまり期待していなかったが、一応ついて行った。

老猫とノラは近くの家の、猫専用の戸口から中へ入った。

茶箪笥の上に饅頭があるようだ。老猫は足が悪くて飛び上がれないのだ。

「上がって叩き落としてくれないか」

飛び上がって匂いをかぐと、異臭がした。

「この饅頭、腐っている。こんなものを食べたら死んでしまうぞ」

三ヶ月位たっているから、腐っているのだろう。最後の食べ物のようだ。

「俺はもう死んでもかまわない」


「ここの主人はいないのか?

「四十五歳のエミコ先生だ。早く叩き落せ」

彼女は大学の教授だった。三ケ月前に救急車で運ばれ、それっきり帰ってこないという。

ノラは饅頭を叩き落して下に降りた。

老猫は饅頭をうまそうに食べながら、

「お前はいつここに来た? 」と尋ねた。

「昨日、黒猫と一緒にここに捨てられた」

老猫は威厳があるような表情を浮かべ、逆境からの脱出方法を語りだした。


「お前らにとって最悪の逆境だよな。

その一。

どんな逆境にも諦めず、ここが自分の運命を変えるチャンスと捉え、積極的にチャレンジする」

老猫が偉そうに話すので驚いた。


いったい何者なのだ。この老猫は。今しも胸にこみあげてきた疑問をノラは口にした。

「なんだって。今がチャンスだと。生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、なぜそんなことが言える?」

ノラは野良猫の世界しか知らなかった。残念ながら飼い猫の世界を知らなかった。天と地の違いがあることを知らなかった。老猫は保健所で殺処分されるところを、ケイコ先生に助けてもらったようだ。


「今が、飼い猫になれるチャンスだ」

ノラにはとても理解できないことを老猫は口にする。ノラの頭の中では、疑問が竜巻のようになってぐるぐる回っていた。

「今日の餌さえ得られないのに、どうすれば飼い猫になれるんだ?」


「その二。

チャレンジしてだめなら、発想を転換して、普通では考えられないことを実行してみる」

こみ上げてきた疑問をノラは口にした。

「普通、考えられないこと? なんだ」

「それは自分で考えろ」

何もしなければ、ノラたちは死ぬ運命となるのは間違いない。老猫が口にすることは事実なのか疑問だったが、他に選択肢はなかった。全く考えられないことを実行することにした。


ノラは普通、考えられないことを考えてみた。育ててくれた人の所に行くという、常識では考えられないことを思い浮かべていた。

「出来ると思っているか?」

「不可能と思っている」


「それではだめだ。

その三。

ネガティブ思考からポジティブ思考に、変えることだ」


難しい言葉が次々と出てくることに、ノラは圧倒された。

「どういうこと?」目を大きく見開いて言った。

ネガティブ思考は否定的に考えることだった。例えば不可能とか、出来ないと考えることらしい。ポジィティブ思考はその反対のようだ。物事を楽観的に考えることだ。必ず、出来る、可能だと考えることだった。

「これが大事だ」

「それがどうして?」

「物事は考えた通りになるからだ」

ノラの、声にならない声はどんどん膨らんできた。

「本当か? 信じられない」ノラは大きく息を呑んだ。

「信じられないもネガティブ思考だ」 


「じゃ、そうなのだと強く思えばいいのか?」

「この差は非常に大きいぞ」

ここで大事なことは、考え方や性格や行動が、運命を大きく変えると言うことだった。

「本当かよ?」目を真ん丸にして言った。


「その四。

潜在意識と自己催眠術を使い、性格や考え方を変えることだ」

「なんだ、それ。そんな難しいこと何処で覚えた」

「ケイコ先生だ」

先生は、三年前、がんにかかり、余命三ケ月と診断された。それから毎日、

「私は、必ず、がんに勝つ! 」と自己催眠術をかけて心に強く訴えていた。老猫は詳しくはわからないようだが、そのせいか、彼女は二年九ケ月、生き延びたらしい。


ノラは不審に思った。

「お前、人間の言葉が分かるのか?」

「十六年間、毎日、話しかけてくるのだ。そのうち分かるようになった」

そんなもんかと納得した。

ノラが生きるには、今まで育ててくれた人の所に行くしかないと思うようになっていた。

「どうすれば良い?」ノラは身を乗り出して尋ねた。

「その人の所に、必ず、行くことが出来る!と、自分の心に強く訴えるのだ」

どんな困難があっても、諦めては駄目ということだった。

「必ず、出来る!と心に強く訴えるのだ」老猫はこの言葉で締めた。

ここにきて、老猫を信じることにした。

「分かった。ありがとう。やってみる。俺は出来る!」


黒猫のいる場所に戻った。老猫に言われた事を全て話した。

「俺と一緒に行かないか?」

「俺は人間が嫌いだ。俺は俺の道を行く」

「なぜそんなに人間が嫌いなのだ?」

実はノラも知っていることだった。生まれて1週間後のこと。邪魔だと言って飼い主が蹴とばしたのだ。

「あれで嫌いになった」

「そうだったな」


最低の人間だった。しかも、ノラたちを捨てやがった。ノラは昔の嫌な出来事を思い出していた。

「本当にいやな奴だった」クロが怒りをあらわにして嘆いた。

ここら辺の人間は野良猫に餌をくれないから、ノラは尋ねてみた。

「それでどうするつもりだ?」

「俺は喧嘩に自信がある」目を輝かせて言った。

この近くに住んでいる野良猫は、餌のある場所を知っているはずだと言う。戦ってその餌を奪い取る魂胆だった。戦いの方法は友達から聞いていた。失敗したが、大きな野良猫と戦った経験もあるようだ。

「なるほど。それならうまくいきそうだな」ノラは納得した。

しかし、クロは戦いの連続が予想される。かなり厳しい毎日になるだろう。


生きるためなら仕方がないことだった。ノラも、育ててくれた人の所へ行けるかどうか分からないと、クロが心配しているようだ。

「あてはあるのか?」クロが尋ねた。

ノラは、人間に引き取られた二匹の白猫とは、長い間一緒だった。だから匂いを覚えていた。以前、何処に引き取られたか、試したことがあった。育ててくれた人から、三百メートルぐらい離れたとこだった。つまり、三百メートルぐらい近づけば、白猫の居場所が分かる。そうすれば、育ててくれた人の場所もわかるわけだ。

「要するに、白猫の体臭で育ててくれた人を探すんだ」ノラは胸を張って言った。

「なるほど。俺も絶対、生き延びてやる!」

「俺は育ててくれた人のところに行く。俺なら、必ず、出来る!」


こうして七日間の旅が始まった。何も食べず、水だけで苦しみの連続だった。それだけに、ここに辿り着いた時の喜びは、表現できないほど大きかった。

「出された、ご飯に味噌汁をかけた味は、今までで、一番おいしかった」

「そうか。その後、引き取られた人はどうだった?」

「いい人だった。でも俺は大冒険をした」

「そう。面白そうだね。全部、話してよ」

「いいよ。老猫が言っていたことは、すべて正しかった」ノラは感慨深げに言った。

逆境にいる時が運命を変えるチャンスだと、その時、初めて分かった。


「なるほどね。黒猫はどうなったか分かる?」

天国で再会した。初めは戦いの連続だったそうだ。組織を作って親分にまで、のし上がった。その後は何もしなくても、餌には困らなくなったようだ。

「大物になったよ」ノラは誇らしげに言った。

「黒猫は幸せになったんだ」

「そう。俺は大変なことになった。殺人事件にも巻き込まれた。詳しくは後で話す」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る