水珠の遺

そうざ

Auction on the Celestial Sphere

 豪華客船の如き佇まいを以て静謐な闇を往く銀河競売館。

 今ここに、綺羅星の如き参加者が一堂に会している。と言っても、各人は各様の化身アバターに身をやつした仮り初めの姿であり、実際には何千、何万、何億光年をもへだて思念の疎通のみで繋がったつどいである。


              ◇


「今回の出品物おたからはこちらです」

 主宰の声に合わせ、展示プレート上に出品物が登場すると、感嘆の声が木霊した。但し、空気を振動させている訳ではない。意思と意思とを直接対話させている。

 それは無職透明の液体。重力の支配が及ばぬ空間に水玉すいぎょくの如く取り澄ました球体として存在している。

 その単位はnm《ナノメートル》。しかし、競売の参加者は物理的な大きさなどに囚われない。

「1万ユニバースからのスタートです」

 通常であれば、開始数値の提示と同時に喧々けんけんたる大声たいせいが飛び交う。参加者は事前に配布された目録から出品物の来歴を知り、狙いを定めてこの日に臨んでいるのである。

 ところが、時として飛び込みの出品物がお目見えする。

 それは往々にして競売に於ける事実上の主役に成り得るが、如何いかがわしい代物である可能性を否定出来ない。参加者は所有欲を擽られながらも自然と触手が鈍くなるのだ。

『質疑権を行使する』

 参加者の一人が沈黙を破ると、同様の台詞が次々に飛んだ。出品物に関する情報開示請求は、参加者に等しく与えられた当然の権利である。

『発問。基本的な事柄からお訊ねする。当該品の組成は?』

御意ぎょい。水素原子と酸素原子とが結合した化合物でございます」

『発問。H2Oか?』

「御意。液体状にとどめてございます」

『発問。産地は何処いずこか?』

「惑星系〈#TS―8+5〉宙域、恐らくは〈水珠スイジュ〉でございます」

 館内が更なるざわめきで満たされる。

 外表面にH2Oが液体として存在した事で知られる惑星〈水珠〉の遺物となれば、誰にとっても垂涎の的である。

『発問。しかし、天の川銀河に在ったの惑星系は、主系列星が寿命を迎え、〈水珠〉もその過程で消滅した筈では?』

「御意。出品物探索おたからハントの折り、当該宙域に漂流していたものを偶さか入手致しました」

『発問。〈水珠〉由来と特定せし根拠は?』

「天然のH2Oと考えるには些か不自然な点が確認されたからでございます」

『発問。天然物でないとするその証拠とは?』

「文明の痕跡でございます。具体的に申さば人工放射性物質、すなわち濃縮ウランの混入が認められました」

 再びどよめきが起きた。一際ひときわ大きな反応だった。

 この悠久の宇宙せかいから生命の痕跡を見出し、我が物にする、そのあり得べからざる瞬間こそが競売の醍醐味なのである。


              ◇


『2万ユニバース!』

『5万ユニバース!』

『10万ユニバース!』

『30万ユニバース!』

 参加者が投じるのは金銭ではない。気紛れに奪取した多元宇宙マルチバースから我勝ちに切り取った時空間であり、その継続的な支配権である。

『100万ユニバース』

 りの流れを遮ったのは、見慣れない参加者の落ち着いた声だった。

 その世にも奇っ怪な容姿みために参加者一同は不審の色を濃くするが、主宰は意に介さない。

「100万ユニバース。他にいらっしゃいますか?」

『150万ユニバース!!』

『200万ユニバース!!』

『300万ユニバース!!』

『310万ユニバース!!』

『1000万ユニバース』

 参加者の視覚が一点に集まった。

『貴君は初参加であるか?』

『はい、新参者です』

 それを聞いた参加者は挙って口吻にあざけりの色を添え始める。

『初回であれば、黙して見物に徹するべきである』

『競売は賭け事と同義ではない。いたずらに値を上げられてははなはだ迷惑』

『大恥を掻く前に金額を訂正した方が良い』

『全ては先人から若輩に向けた助言と心得よ』

 矢継ぎ早の口撃を、主宰は泰然と静観している。

『主宰っ、競売の速やかな進行を要望する』

『異議なし』

『異議なし』

『異議なし』

「現在の価値は1000万ユニバース。更なるご入札は?」

『主宰っ、改めて最初から――』

「競売は只今、正常に進行しております」

『主宰っ!』

「更なる入札はっ!」

『1010万っ』

『1500万っ』

『1550万っ』

『1555万っ』

『5000万ユニバース』

 一瞬、誰もが発声の仕方を忘れたようになる。が、主宰が終了の合図を出そうとするのを見るや、阻止する為の発語が成される。

『1億ユニ――』

『10億ユニバース』

 遂に本当の静寂が訪れた。


              ◇


 競売は終了した。

 参加者は50億年後に再び開催される競売への意気込みを新たにし、それぞれの住処へ散って行った。

 この場に居残っているのは主宰と新参者――今や栄えある落札者となっただけである。

『貴方の指示通り自作自演の片棒を担ぎました。今度はボクとの約束を果たして頂けますね?』

「あぁ、どんな問いにも答えよう」

 は、空気を震わせる器官のみならず、言語に類する伝達方法すら有していない。因って、主宰はささやかな脳の内を走る微電流を体系化した上で翻訳し、対話を可能にさせている。

何故なにゆえにボクを蘇生させたのですか?』

「成り行きに過ぎない。仮死状態の君を発見した者としての責務……否、素朴な好奇心と言おう」

『ボクが〈水珠〉由来のだと直感したからですね?』

 この宇宙に於いて実体を有す生命は、即ち低級である事を意味する。主宰や競売参加者の如きこそが高級生命の名に相応しい。

 そんな価値体系に統べられた宇宙に於いて、の存在は余りにも奇異ユニークだった。発見時には単なる高分子化合物の塊にしか見えなかっただったが、成分解析の結果、仮死状態の生命である事が判明した。

「君の生命力には感服する。この宇宙ではもろい部類に属する蛋白質由来の実体でありながら、高度な乾眠クリプトビオシスに依って真空の暗闇を生き抜いたのだからね」

 蘇生は速やかに行われた。には頭部があり、胴体があり、四つい八本の脚を有していた。参加者はこれを化身アバターだと誤解していた。

『もう一つ教えて下さい。貴方はボクの体内に残っていた僅かなH2Oを競売に掛けましたが――』

「君の唯一のを勝手に出品した事は、申し訳なく思っている」

『何故、それをボクに落札させたのですか? 貴方には何の利益も生まない茶番でしょう?』

「入手した〔遺物〕を競売に掛けるのが主宰の役儀だ。しかし、極稀ごくまれに、争うべからざる欲望に突き動かされる事がある。所有欲、独占欲、支配欲、そういった感覚を喚起する〔遺物〕にまみえてしまう事がね……」

 それは、己が身の恒常性維持以外に生きる目的など存在し得ないにとって、余りにも高次過ぎる回答だった。

『では、何故を競売に掛けなかったのですか?』

 主宰は直ぐには言葉を継ごうとせず、に心の丈を全て吐き出させようと無言で構えている。

『競売参加者は生命の僅かな痕跡にさえ色めき立つ連中です。実体を持つ生命ボクを眼前にすれば、さぞかし高次元の取り引きが成立した事でしょうに』

 もしの記憶領域に昔日の思い出が一欠片でも遺っていたら、この瑞々しく輝く〔遺物〕から故郷である〈水珠〉を連想出来ただろう。

 しかし、は〈水珠〉に於いては緩歩かんぽ動物と呼ばれる下等生物の一種でしかなかった。望郷も、追憶も、悔恨も持ち合わせず、今この瞬間を盲目的に生きる事だけが最低限にして最重要な課題だった。それがにとって不幸であるのか、幸福であるのか、自身にも永遠に解けない主題テーマだった。

「間違いないのは、このH2Oおたからは貴君と共にあってこそ価値があるという事だ」

 それだけを言い残し、主宰は消えて行った。主宰の姿もまた化身アバターであり、に存在しているかのように見えていたに過ぎない。

 競売館に本当の静寂が訪れた。再びの競売まで、これから50億年のしんに就くのだ。

 そして、もまた再びの永い乾眠クリプトビオシスに身を委ねようとしている。自由意思を持たない者は、その遺伝子と環境とに従うまでである。

 全ての意識体が消えても、〔遺物〕は物理法則のまにまに球形を保ち続けている。たとえそれが汚染された液体であっても、凍て付いたこの宇宙せかい一縷いちるの希望を秘め、今は亡き〈水珠〉の幻影を宿して輝くのだった。

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